第95話 無意識の意識

 取り留めなく様々な話をして、そろそろ日が高くなってきたところで午前中の魔術の練習をしてはどうかとジェイドさんに言われた。

「昨日の午後は色々あって練習をしておりませぬからな。しっかりと身に着くまでは、テグルオー効果のイメージを確かにするためにも反復練習は重要です」というのがジェイドさんの意見だ。

「魔術を使える姫巫女様は珍しいと記憶しておりますが……」

 シトリが言えば、「そうなのです!」と勇者姫様が目を輝かせた。

「歴代姫巫女様のうち、魔術を習得された姫巫女様はわずか3人。ユウキ様は、浄化、発火、発光の魔術を習得し、4人目の魔術を使える姫巫女様となり、歴代の姫巫女様でいちばん多く魔術を使えたオオニシ・アラタ様と、使える魔術の数で並ばれたのです。これだけでも素晴らしいのに、さらに、4つ目の魔術として厠の結界――気配遮断結界の習得に励んでいらっしゃるのですよ!」

「まあ、それは素晴らしいことですわ」

「シトリも、そう思ってくれるのですね。ああ、ユウキ様という素晴らしい姫巫女様の存在を、ジェイド以外にも知ってもらえることが、心から嬉しいです!」

 勇者姫様の表情は生き生きしていて本気で言っているみたいなんだけど、目の前でこうも褒めたたえられると照れくさいし、過剰な期待にも思えてくる。

「でも、4つ目の魔術を使えるようになるとは限りませんよ? 実際、厠の結界の習得には苦労してるわけですし」

「厠の結界の習得に苦労する……まるで、スフェンのようですね」

 シトリが言う。

 俺と勇者姫様とジェイドさんの目がシトリに集まる。

「彼も、厠の結界を習得するのに苦労したのですかな?」

「はい。この子には浄化、発光、発火以上の魔術は私が教えましたが、厠の結界よりも先に自己加速や自己治癒を覚えるほどに苦労しておりました」

 ジェイドさんが訊ねるのに、シトリがスフェンを見ながら答える。

「加速はともかく、一般には厠の結界よりも、治癒の方が難易度が高いと言われています。相当苦労したのでしょう」

 勇者姫様が補足してくれる。

「習得に苦労した原因は何だったのですかな?」

 ジェイドさんが興味深々というようすで聞く。

「厠の結界は、本来、狩りなどのときに獲物から音と臭いを隠すために体の周りに張る気配遮断の結界ですが、この子のテグルオー効果のイメージにはなぜか、とても強固な物理防御結界が含まれておりまして、そのために発動難易度が上がってしまっていたのです」

 あれ? それ、俺が厠の結界を使えない原因と同じじゃないか?

「原因も同じですな」

 ジェイドさんが言うと、スフェンが思わずという感じで顔を上げ、俺を見た。目が合うとすっと視線を下げ目礼する。

 目を逸らされたようで、ちょっと嫌な感じだけれど、仕方ないかと納得する。

 同じと言われてつい見てしまったけど、王国の姫君が下にも置かない扱いをしている姫巫女様と女領主代行の使用人では身分が違うから、失礼にならないように目を逸らしたってところなんだろう。

「それで、どう対処されましたか?」

 ジェイドさんが、続けて質問する。

「聖霊気を融通して物理防御結界に気配遮断の効果を付与した結界を練習させてから、物理防御結界の強度を変化させる練習をさせました。そうだったわよね? スフェン」

「はい。最初は聖霊気をお借りしないと発動できないほど消費聖霊気の多い強力な物理防御結界しか作れませんでしたが、弱い物理防御結界を張れるようになったら消費聖霊気も減って、自力で発動することができるようになりました。ごくごく弱い物理防御結界を作れるようになったところで、改めて厠の結界に弱い物理防御結界を付与するテグルオー効果のイメージで練習しましたら、厠の結界に付与する物理防御結界も弱いものにすることができるようになり、日常生活でも実用できる程度の消費聖霊気量になりました」

 ん?

「スフェンさんは、聖霊気を使えるんですか?」

 俺の質問に、スフェンは「はい」とうなずいた。

「庶民にも、聖霊気持ちが生まれることがあるのです。祖先に貴族の落とし胤おとしだねか、追放貴族が居たのかもしれません」

 ああ、「聖霊気を持っていないと貴族と認められない」と、「庶民は聖霊気を持たない」とは、イコールじゃないもんな。

「そうなると、聖霊気を使えない俺には、参考にならないか……」

 俺が肩を落とすと、「そうでもありませんぞ」とジェイドさんは力強い声で言った。

「物理防御結界は、弱いものであれば霊気でも発動できるほどのものです。現在、ユウキ様が厠の結界を使えないのは、付与されている物理防御結界の無意識のテグルオーが大変強力であり、要求される魔術的な力の量が跳ね上がっているためです。これを意識して弱いものに換えられるのであれば、ユウキ様の使うキで結界魔術を発動できる可能性は、充分にありますぞ」

「そうなんですか?」と訊ねる俺に、ジェイドさんがうなずいてくれる。

 おお。がぜんやる気が出てきた!

 まずはいつもの通り、発火と発光の魔術の練習だと、俺は発火の左手お守りと麻ロープの切れ端を出すために、ポーチを探った。

「そういえば、スフェン。あなた、今も厠の結界に物理防御結界を付与しているの?」

「いいえ。今はもう、厠の結界だけを使うことができるようになりました」

 準備をする俺の耳に、シトリとスフェンの会話が入ってくる。

「まあ。いつのまに?」

「使徒の問いに答えを得たのをきっかけに……」

「ああ――」

 納得するようなシトリの声。

「――そうね、そういうこともあるかもしれないわね」

 ん? どういう意味だ?

「どういう意味ですか? シトリ、スフェン」

 勇者姫様も気になったのか、そう訊ねる。

「使徒の問答を経て己の答えを得た者の中には、それまでできなかったことができるようになったり、目に見えて強くなったりする者が出るのです」

 シトリは言った。

「そんなことがあるのですか?」

 勇者姫様が、少し明るいトーンの声で言う。

「いえ、そうなるとは限らないのですよ!」

 シトリは慌てて言った。

「変化しない者もおりますし、己の答えを見出すことができず使徒との対峙が心の傷になる者もおります。使徒との初戦をきっかけに、神官騎士を辞める者、兵士を辞める者も珍しくありません。『強くなる可能性があるのなら』とむしろ喜んで初戦に臨んだ者が、酷い顔で『もう二度とアレに会いたくない、別の仕事に回してくれ』と言いだすのを、私は何度も見て来ました。あれは……魔猿は――」

 シトリは少し言いよどんでから続けた。

「――どれほど覚悟していようと、必ずこちらの心の一番柔らかいところを抉ってくる。そういうモノです。決して甘く見てはいけないのです」

 重い響きの言葉。

「甘く見ているわけではありません」

 勇者姫様は言った。

「私は勇者。どれほど恐ろしくとも、何度挑むことになったとしても、必ずや第五使徒を打ち倒さねばなりません。ならば、その果てに何かの褒美があったら嬉しいではないですか」

 そう言うと、勇者姫様は屈託のない笑顔を作って見せる。

「ああ。討伐後の祝宴も楽しみにしています。できたら、あの、乳飲み子豚をまた食べたいですね」

「承知いたしました。手配しておきますわ」

 シトリは笑顔でそう言ったのだった。

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