第93話 一夫多妻と男の甲斐性
朝食の席で切り出された、第五使徒討伐までのアレヴァルト領滞在期間中、俺の会話の練習に付き合って欲しいという勇者姫様の要請を、シトリは快諾してくれた。
「そういうことでしたら、まずは『女だけの一席』で出がちな話をするのがよろしいかと」と提案もしてくれた。ありがたいことこの上ない。
御者が無人の女領主の馬車で先導するのに、ポクポクゴトゴトとついて行く黒鉄の馬が引く馬車の中、「女だけの一席」に招かれたことを想定しての会話練習は、シトリの苦笑から始まった。
「実際、未婚女性がいる席となりますと、殿方の噂話に終始することが多いのですけれど。誰と誰が婚約したとか、どこぞの誰が素敵な方だとか、『あなたはどんな殿方と結婚したい?』とか」
あ。そういう質問をされたとして、俺が勝手に答えるわけにはいかないよな。俺の発言は「リアナ姫様の発言」として他の人の記憶に残るんだから。
俺は例のごとくメモ用紙とペンとインクを出しながら勇者姫様を振り向いた。
「姫様は、どんな男の人と結婚したいんですか?」
俺の質問に、勇者姫様は綺麗な笑顔を見せた。
「『国王陛下のような立派な殿方が良いですわ』といつもは答えていますね」
あー。それは無難な回答だ。
「庶民女性らしい言い方をすると、『お父さんのような立派な人がいいわ』ですか?」
「さすがに国王陛下を『お父さん』とは言いませんから、そこは『国王陛下』のままがいいでしょう」
「では、『国王陛下のような立派な人がいいわ』ですか?」
「いいと思います」と言った勇者姫様がシトリを振り向けば、シトリもうなずいた。
俺はインク瓶のコルク栓を開けて羽根ペンにインクを付け、「お父さん→国王陛下」とメモった。
「ちなみに、この世界では『立派な殿方』ってどういう人を言うんですか?」
立派な淑女についてはマイアさんに叩き込まれたけれど、男性についての価値観はちゃんと聞いていなかった。
「そうですね。理想を言うのでしたらですが――」と、勇者姫様は視線を天井に向け、数えるように立てた人差し指を動かしながら言った。
「貴族としては、爵位と領地を持っている、あるいは相続予定である。貴族としての立ち居振る舞い、常識が身についている。
戦場においては武術や魔術に優れ、勇猛と知謀を併せ持っている。
領主としては領地経営に優れ、経済的に豊かである。また、領民の争いを収める者として、慈悲と決断力を併せ持っている――というところでしょうか?」
何その要求要素の多さ。
「これ、全部できてなきゃダメなんですか?」
思い出すための手がかりの単語を箇条書きでメモしながら聞けば、勇者姫様は苦笑した。
「あくまで理想ですよ。貴族の男子として生まれたのなら、こういう男を目指しなさいという話です」
勇者姫様が言えば、シトリがうなずいて付け足すように口を開いた。
「結婚相手としては、正妻を立てる配慮も求められますね」
ん?
「正妻を立てる……夫を立てる、ではなく?」
「貴族の妻には、正妻と第二夫人がありますから」と、勇者姫様が説明してくれる。
あ。そうか。一夫多妻制!
「俺の国では一夫一婦制なのでわからないんですが、正妻を立てるというのは具体的にはどういうことなんですか?」
「例えば、正妻が健在であれば、公式の場に同伴するのは正妻でなければいけません。正妻が病を得て寝付いているなどの特殊な事情がなければ、第二夫人が公式の場に出ることはありません。他には――」
そこまで言った勇者姫様が、シトリに目を向ける。
「他にもいろいろとございますよ」とシトリは話を引き継いだ。
「第二夫人や愛人に贈り物をするのなら、先にそれより良いものを正妻に贈らなければなりません。衣食住、全てにおいて、正妻に与える以上のものを第二夫人や愛人に与えることは、甲斐性のない――物や金を使わねば女の関心を惹けない上に、正妻にそれ以上のものを与えることもできない甲斐性のない男とみなされます」
甲斐性のハードル、高くないか?
「正妻は、神に誓った伴侶ですから、ないがしろにされたら神殿に駆け込んで夫の不実を訴えることができます。神殿が夫の不実を認めたなら、子々孫々にまで語り継がれる情けない男になりますわね」
そう言って、シトリは面白そうに笑った。
一夫多妻制って、夫だけが得をするシステムみたいに思ってたけど、そんなに単純なことじゃなさそうだなあ。
「男の立場からは、一夫多妻制はどう考えられてるんですか?」
俺はスフェンに聞いてみた。
「私は貴族ではありませんから……庶民が第二夫人を持つということはまずありません。貴族と違い、庶民は養子を取るのに国の許可は必要ないので、第二夫人という形式を整える必要がないのです」
身分が違えば常識も違うってことか。
「女房以外の女と関係する男は居ますが、旦那子持ちの庶民の女はたくましいので貴族の奥様と違い体面を考えて我慢したりしません。浮気者の末路は、麺棒を振り上げる妻と妻に味方する女たちに追い回され、散々打たれて笑い者になった末に、妻と浮気相手の和解を経て共同所有物扱いされるのが定番です」
スフェンが真面目腐った顔で言う。
うわー。庶民の女房、たくましい。まあ、自業自得だけど。
庶民ではない男性の意見を聞きたくて、俺はジェイドさんに目を向けた。
「貴族の三男坊に生まれ、神官騎士になった立場――神に仕えるために世俗の欲から離れた身から申しますと、誰それが第二夫人を迎えたと聞くと、『よく決心したな』と思うところですな」
俺の視線を受けて、ジェイドさんは白髭を撫でながら言った。
「愛人と違い、第二夫人には嫡出子の母としてそれなりの権利が法で認められていますから、別れるのにも相応の離縁金か生活の保障が必要です。
さらに正妻の立場や愛憎や見栄が絡めば、心情も人間関係もさらに複雑になります。第二夫人とその子が絡んだ貴族の御家騒動もよくある話です。
将来にわたる経済的負担とやっかいのタネを自ら背負い込むようなものです。
「確かに、その通りでございますね」
シトリが言った。
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