第92話 勇者姫様の気遣い

 その夜、例のごとく貸し切った宿坊の食堂で夕食を食べ、シトリたちが宿屋に引き上げたところで、「ユウキ様。少し、よろしいでしょうか?」と勇者姫様から声をかけられた。

 宿で話し合うときはジェイドさんの負担が少ないように、ジェイドさんが泊る部屋に集まるのが定番になっている。

 廊下から入ったところに使用人が控えるための椅子がひとつとトイレがあり、その奥の寝室にベッドがふたつと、書き物机と椅子がひとつ。宿坊の定番スタイルの部屋の、ふたつあるベッドの片方にジェイドさんが座り、もう片方に俺が座る。

 ふかりと隣に勇者姫様が座って、ちょっとびっくりする。こういうときの勇者姫様は椅子に座るのが定番なのに。

「ユウキ様」と、すぐ隣から勇者姫様が俺を見つめる。

「鏡の件、まだ気にしていらっしゃいますね?」

 見抜かれてるなあ。

「昼間にも申し上げましたが、本気で私の正体を隠すのなら、別のやり方があったのです。そうしなかったのは、『姉弟子であり、好きなもの嫌いなものが似ているだろうシトリと、もっと話してみたい』という欲から、私がその選択をしなかっただけのことです。

 私が自らの欲を抑え、宴席以外での同席を断っていたのなら、ユウキ様が鏡を必要だと考えられても、シトリではなく私に要望されていたでしょう。問題は起きなかったのです」

 勇者姫様は言った。

「異世界からいらしたユウキ様が、この世界の常識を知らぬこと、それゆえに思いもかけないことが起きることは予想しておりました。

 ですが、ユウキ様は当初の私の予想よりも、はるかに上手に『リアナ姫』を演じてくださっています。その上、使徒を倒し魔女を討伐する、その旅を続けるために必要なことを御自身で考え、行動してくださっています。それがどれだけ勇者一行わたしたちを助けていることか! なあ、ジェイド?」

「左様、相違ございませぬ」と、同意を求められたジェイドさんがうなずくのを確認してから、勇者姫様は続けた。

「正しい知識が増えればよりよい行いを選べるようになりますから、間違いは間違いとお伝えします。ですがそれは、決して『間違えるな』『失敗するな』『自ら考えて行動するな』という意味ではありません。

 失敗は、よりよい行いを自ら選べるようになるためには避けられぬものなのです。

 どうぞ、『失敗をしたこと自体』に囚われないでください。失敗したくないから必要なことを口に出さず黙っている、などと萎縮しないでください」

 勇者姫様は、思わぬ失敗をしてへこんでいる俺を、言葉を尽くして慰めてくれようとしている。それはわかる。

 けれど、慰めようとするあまり、本当はそう思っていないことを口にしてはいないだろうか?

 俺は、それを確認するために口を開いた。

「本当は、俺が余計なことを言わないでおとなしくしている方が、姫様には都合がいいんじゃないですか?」

 勇者姫様が、眉を上げ目を見開く。

「これは、失敗するしないの問題じゃなく、俺たち全体の利益の問題です。そうならば、遠慮なくそう言ってください」

 俺個人には心地よい言葉であっても、それが勇者一行の旅にマイナスに働くようなら、俺はそれをうのみにするわけにはいかないだろう。

「ユウキ様はそういう方だから……」

 勇者姫様は、柔らかく目を細め小さくつぶやいてから、改めて口を開いた。

「もしも、そのあたりの庶民女性を連れてきて『リアナ姫』を演じさせていたのなら、『余計なことを言わずに黙ってにこにこ笑っていろ』と指示したでしょう。実際、それが最善と思ったときには、ユウキ様にもそうしていただいていたでしょう?」

 ああ、そういえば、地方の村で肉をふるまうときとか、そうしてたな。

「けれど、ユウキ様は思慮深く勇気があります。指定した言動以外をするなと指示して、失敗することも含めて経験を積むことを制限するよりも、多少の失敗はしても経験を積んでいただくほうが、ユウキ様自身の判断で動けるようになり、今後の旅に有益であると判断しました。『全体の利益』を考えた結果ですので、ユウキ様こそ気を回し過ぎて消極的になり過ぎないように、お気を付けください」

 勇者姫様はそう言うと、「そうですね」と少し天井に視線をさ迷わせた。

「幸い、シトリとスフェンにはもう隠す必要はないのですから、今後はふたりに協力を頼むことにしましょう。ふたりと色々な話をして、不自然な言葉遣いや、考え方があったら指摘してもらうということで」

 シトリやスフェンを相手に、一緒に旅をする人以外との会話の練習をするということか。

「それはありがたいですね」

 練習ができるのは、本当に有難い。俺は膝の上の聖杖を見下ろしながら、ほっと息をついた。

 すっ、とその視界に白い手が入ってきた。

 手の甲から見るとたおやかに見える勇者姫様の手が、聖杖を握る俺の手に重ねられて、どきりとする。

 レースのフィンガーレスグローブの上から俺の手を握る姫様の手は温かくて、どれほど強くても俺の手よりも華奢で綺麗な女性的な手で。

 ちらと視線をずらせば、膝を揃え足先を流している足が目に入る。膝を揃えた太ももの外側のラインは、トラウザーズに包まれていても、女性的なものを感じさせて。

「ユウキ様」と声をかけられて視線を上げると、すぐ近くで勇者姫様が綺麗に笑っていた。改めて間近に見る綺麗で女らしい姫様に、心拍数がぐっと上がるのを自覚する。

 けれど、なんでだろう?

 とても女性的に見える姫様に、俺はうっすらとした違和感を覚えた。

「これからも、ユウキ様は必要なことは必要と言い、私たちを助けてくださいませ。頼りにしております」

「はい」と返事をしながら、「こういう姫様を見るの、久しぶりだからかな?」と俺は思った。


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