第90話 兄弟弟子の罠
昼前に宿場に到着し、例のごとく貸し切った宿坊の食堂でシトリと共に昼食を取る。
肉と野菜の煮込みとマスタードソースを添えた豚塊り肉のローストと白パンとプラムとリンゴ。飽きないようにか、毎回、新しい料理を出してくれるのが嬉しい。
しかし、いつも給仕をしているスフェンは、いつ、食事をしてるんだろうか?
「荷馬車と鏡につきましては、道中で手紙をしたため、先ほど早馬を砦に向かわせました。僭越ながら、交換どきに見えましたので、勇者様御一行の馬車の車輪も手配いたしました」
「馬車の車輪にまで目配りを忘れぬとは、シトリ殿の手配はまこと行き届いておりますな」
食事をしながら報告するシトリの言葉に、ジェイドさんが賞賛の言葉を口にする。
「いやあ、助かります」と言った勇者姫様がちらと俺に視線を寄こす。
必要なのは、評価と期待だっけ?
「仕事が早くて助かるわ。これからもよろしく頼むわね」
シトリと目を合わせそう言って笑いかけ、シトリが軽く目礼するのを確かめてから勇者姫様に目をやると、勇者姫様は目を細めて笑っていた。いい対応ができたようだ。
俺はほっとしながら黄色いマスタードソースを塗った豚のローストを口に運んだ。
この頃、ファミレスとかでハニーマスタードソースの料理を食べることが多かったけど、それとはちょっと違う。スパイシーで酸味があって塩気のしっかりあるソースは、ちょっと脂っこいローストした豚肉をさっぱり食べさせてくれて、美味しい。
「このソースは、焼いた豚肉に合って美味しいですね」
まるでそれが作法のように椅子に足を乗せて膝を立てて食事をしながら、勇者姫様が言う。
「このマスタードソースは、私を鍛えてくれた父の護衛――いわば、私の武術と魔術の師が教えてくれたものです。彼の故郷で、決まって豚のローストに添えられるものだそうです」
シトリがにっこり微笑んで言う。
「豚のローストにマスタードソースというと、姫様の御母堂であらせられる王妃殿下のご実家、北のジャナル辺境伯領の名物料理でしたかな?」
「ええ、その通りですわ」
ジェイドさんの言葉に、シトリが明るく言う。
「彼は、私が23歳のときに同じ仕事を生業にしている故郷の親族を紹介して、この地を離れました。その後、アレヴァルトに買い付けに来る革商人が、王妃殿下の領地で鹿皮を売りに来たリアナ姫様の護衛をしている彼を見たという話をしておりまして――」
ん?
「もしかしたら、私とリアナ姫様は、兄弟弟子かもしれないと、いつかお目にかかることがあったら確かめてみたいと思っておりました」
聞いてないですよ!
「まあ。そんなことがあるのかしら……ねえ?」と勇者姫様を振り向いて顔色をうかがえば、勇者姫様は「あると思いますよ」と笑顔で言った。
ということは、リアナ姫も護衛から武術や魔術を習っていたし、その護衛がシトリの護衛だと知ってたということかな?
「先日、『姫様』は、子供の頃に剣や魔術を教えてくれた『トーマ』の話をしてくださいましたよね?」
お。勇者姫様が名前を上手く教えてくれた。
「トーマ!」
シトリが嬉しそうな声を上げる。そちらに目をやれば、嬉しそうなシトリの笑顔。
「その者の名は、トーマ・ジャナルですか?」
シトリが身を乗り出して聞いてくるのに、「ええ、そうよ」と俺は笑顔でうなずいた。
「ああ。やっぱり」
満足げに、シトリは言った。
「あなた様はリアナ姫様ではなかったのですね」
え?
俺は思わず勇者姫様を振り向いた。
勇者姫様は片目を細めて、シトリを睨んでいた。
「困りますね、シトリ。私の大切な姫巫女様に罠を仕掛けないでください」
シトリはさっと立ち上がると、テーブルの角の席に座る勇者姫様の傍らまで早足で移動しその場に片膝をついて頭を下げた。シトリの後ろにスフェンも片膝をつく。
「本物のリアナ姫様にお会いするためには、こうする以外ないと愚考いたしました。どうぞご容赦ください」
「私達の師、トーマ・ケイジ・ライターに免じて許します」
勇者姫様は、さっきシトリが言ったのと違う名前を口にした。ファーストネームは同じだけど、続きが違う。
ええと、つまり俺は、シトリがわざと口にした違う名前にうなずいてしまったことで、本当はリアナ姫の護衛の名前を知らないと――自分はリアナ姫ではないと証明してしまったわけだ。まんまと罠に引っかかったんだ。
「今後は、姫巫女様をあなたの思惑に巻き込まぬように。何か思うところがあるのであれば、直接私に言いなさい。姫巫女様は心優しく、誠実な方でいらっしゃるのです。御自身の選択のために状況が悪くなれば、たとえ仕方のないことでも御心を痛める方です。我が国の50年の安寧のために召喚に応じて下さった姫巫女様の御心をいたずらに傷つけること、以降は決して許しません」
「はい。肝に銘じます」
一段と頭を下げて言ったシトリは、その姿勢のまま言葉を続けた。
「姫巫女様には、だまし討ちのような真似をいたしましたことを謝罪いたします。申し訳ございませんでした。どうぞお許しください」
えー。これ、俺に言ってるんだよなあ。
「どうぞ、ユウキ様のお好きなように。無条件で許せないのでしたら、詫びの品を要求しても良いですし、金銭を要求しても、何らかの奉仕を要求しても構いませんよ」
勇者姫様が俺を振り向いて言う。
そんなこと、いきなり言われても――あ! いいこと、思いついた!
「じゃあ、朝に頼んだ鏡、金属鏡にしてもらえますか? それで許します」
俺の失敗のために余計にかかるはずだった1千万円相当がチャラになるのなら、罠にかけられたくらい、どうってことない。
そう思ったんだけど。
勇者姫様の目が、真ん丸に見開かれる。
あれ? と思ってシトリに目をやればシトリが思わずと言った感じで顔を上げ、ぽかんと俺を見返していた。
また俺、変なこと言ったのか?
もう一度勇者姫様に目を戻せば、見開かれていた目が柔らかく細められた。
「だそうですよ、シトリ」と勇者姫様がシトリに言えば、シトリは「御心のままに」と改めて頭を下げた。
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