第88話 従者スフェン
その日の夕食も、宿坊の食堂に用意された。
よく出される、白いクリームが添えられた赤い根菜の入った真っ赤なスープ。手よりも小さいくらいの細めのフットボール型の揚げ物。豚塊り肉のハーブロースト。まとめて焼いたせいでくっついている沢山の丸いパンの境目に割れ目を入れてニンニクとハーブのオイルを染み込ませた、この世界のガーリックトースト。デザートに焼きリンゴ。
昼よりも肉料理がひとつ多くて、用意された量も多くて、デザートもちょっと凝ってて、エールだけじゃなく、
旅の夕食にしてはとても豪華だ。
スフェンの給仕で、シトリと一緒にそれらを食べはじめたところで、打ち合わせ通りに勇者姫様が口を開いた。
「シトリは、いつも彼――スフェンを連れているのですか?」
「はい」
シトリはクリームを溶かしてピンク色になったスープにちぎったガーリックトーストを浸しながら言った。
「6歳のときに拾って以来成人するまで、どんな王侯貴族に仕えることになったとしても恥ずかしくないよう、私が教育して来ました。少しばかり気が利きすぎるきらいはありますが、私の命令をたがえることはありません」
「では、我々がいる音の結界内で交わされた会話、見たものは外に漏らさぬよう、シトリ殿から命じていただけますかな?」
ジェイドさんが言う。
「かしこまりました。――スフェン」
「勇者様御一行の結界内でのようすは決して他に語らぬと、我が命に懸けて誓いましょう」
スフェンが胸に左掌を当てて言う。
「スフェンがこの言を
にっこりと笑って、シトリがおっかないことを言う。
「――だそうですよ。『姫様』も、肩の力を抜いて、にぎやかに食事を楽しみましょう」
勇者姫様が、俺に顔を向けて笑う。
「嬉しいわ。三食黙って食べるのも、少しつらかったのよ」
俺は、庶民の女性の言い回しに聞こえるはずの女言葉で言った。
「堅苦しいのは嫌いなの。この5人の食事は、気楽に行きましょう。ねえ、シトリ?」
俺の言葉に、シトリは少しほっとしたような顔で「はい。姫様の御心のままに」と言った。
さて、食べるものを食べていないのに、美味しいという話をするわけにはいかないから、まずは料理に口を付けなければいけない。
俺は、初めて見る揚げ物にナイフを入れた。
カリッと揚がっている薄い衣ごとふたつに切ってみると、鶏肉っぽい肉の中からとろりとハーブが入った殆ど液体状の詰め物が垂れてきた。チーズよりも透明感があるなと思いながらひと口ぶん切り分けて食べると、ハーブとバターの良い香り。詰め物は溶けたバターのようだ。肉は脂っ気の少ない鶏胸肉みたいだけど、中から出てきた透明なバターを絡めて食べるとぱさぱさ感がなくなって美味しい。
「美味しい――」
しゃべってもいいとなったら、つい、素直な感想が口を突いて出た。
顔を上げてシトリを見れば、シトリは嬉しそうに微笑んでいた。
「これも美味しいけど、昨夜の料理も美味しかったわ。特に、乳飲み子豚とケーキが美味しかったわね」
そんなシトリに、俺は打ち合わせ通りの言葉を口にした。
「姫様のお気に召したようで、嬉しいですわ」
最初の「美味しい」が心からの言葉だったせいか、シトリはすんなりと俺の言葉を受け入れたようだ。
「使徒を討伐したあかつきには、美味しい料理で乾杯できると期待しているわ」
「はい。とっておきの料理を準備しておきますわ」
落ち着いた笑顔で、シトリはそう言ったのだった。
「私が見た第五使徒は、6歳のとき、私を買った人買いの男の姿をしていました」
デザートに、カッテージチーズとレーズンとはちみつが詰められた焼きリンゴを食べながらスフェンの第五使徒初戦の話を聞く。
「双玉光る国では奴隷売買は禁じられていますが、幼い子供を入手したい金持ちはいます。私を身内から買い上げたその男は、金に困る者から子供を買い上げ、時に買主の希望通りの子供を攫い、買主の要望通りに仕込んでから引き渡すことを仕事にしていました」
立ち居振る舞いが洗練されているように感じたのは、その男に仕込まれたからだったのかと、俺は納得した。
「6歳の子供が、大人の男に逆らうことなどできません。俺はただ恐ろしさに強張る体で言いなりになるしかできませんでした」
スフェンは顔を上げ、シトリに目をやった。
「そんな俺を救ってくださったのは、シトリ様でした。人買いは北のバレッティア領との境界近くに盗賊たちが作った隠れ里に身を寄せていたため、盗賊討伐の際に一緒に成敗されたのです。身内に売られたため、今更家に戻ることもできない俺を、シトリ様は『行くあてがないのなら、私のところにおいでなさい。手伝ってくれる者を探していたところなのよ』とおっしゃり、館に連れ帰ってくださいました」
「拾った当時は末の妹が生まれる直前で、『もし、弟が生まれたら遊び相手になってもらおう』と思っただけだったのですけれど、この子は本当に私を手伝うものと勘違いしたようでして――」
シトリが少し困ったように言うのに、わずかにスフェンの目が細められる。
「生まれたのは妹で、男は遊び相手にはなりませんでした。では、将来騎士にでもなって身を立てられるようにしてやろうと、教養を身に着けさせ、武術魔術を教えていたら、勝手に領内のことを学び始めまして――。市井のことは私よりも詳しく役に立つもので、実際に弟が遊び相手を必要とする頃には、手放せなくなってしまったのです」
「私は、シトリ様の手伝いをするとお約束して館に入ったのですから、間違ったことはしておりません」
そう言う口元が、少し緩んでいる。生真面目な印象が、ちょっと柔らかくなった。
「私には予定外だったのよ」とため息をつくシトリから目を離し、スフェンは勇者姫様に目を向けた。
「私が第五使徒との初戦に臨んだのは、昨年の春、18歳のときです」
改めて第五使徒の話を切り出す。
「魔猿は、私を買った人買いの姿をしていました。私の目の前で、シトリ様に右腕を切り落とされ、腹を切られ、苦悶の末に死んだはずの男が、五体満足な姿で立っていました」
さっきシトリに向けた表情とは真逆の、硬い表情。
「人買いは、『よう、久しぶりだな』と言いました。『またよろしくやろうぜ』と言いました。
6歳のときの私にそうしたように、私を力で押さえつけて人買いは言いました。『もうお前を売ったりしねえよ』『ずっと俺が可愛がってやる』『本当は、お前もそうして欲しいんだろう?』
声を出すことを忘れた私に、人買いは言いました。
『なあ、本当は、お前は、何者なんだ?』『お前は、何をしたいんだ?』
後は、他の者と同じです。気が付いたら、初戦の者を回収する荷馬車に乗せられ、砦に向かっていました」
スフェンはそう言うと、ひとつ大きく息を吐いた。
「私の話はこれでお終いです」
「話にくいことを話してくれたこと、感謝します」
勇者姫様が椅子に上げていた足を下ろし姿勢を正して言う。
ん? そんなに話しにくいようなこと、あったかな?
そんなことを考えていた思考が、「ところで」という勇者姫様の声に中断される。
「シトリもスフェンも、もう何度も使徒討伐隊に参加しているのですよね?」
「はい」とシトリが返事をし、スフェンもうなずく。
「初戦の者が我に返るきっかけは、何でしょうか?」
「恐慌状態に陥り、酷く脅えたり暴れたりしている者は、殴られたり、興奮のあまり気を失ったりが、正気に戻るきっかけになるようです。それ以外――呆然自失している者は、『距離』と『時間』が関係しているのではないかと考えられています」
シトリが言う。
「使徒が健在の場合、使徒から離れると使徒の影響から脱するようです。使徒が討伐された場合は、ある程度の時間が経つと影響を脱します。人により差はありますが、荷馬車で砦の中に戻る頃には、皆、正気に戻ります。私の知る限り、例外はございません」
「なるほど。いいことを教えてもらいました」
「勇者様の使徒討伐をお助けする機会は、アレヴァルトの者にとって望んでも得られるとは限らぬこと。女の身でその機会に恵まれたことを、幸運と思っております。必要なことがありましたら、私かスフェンに何なりとお申し付けください。――頼みましたよ、スフェン」
「お任せください」
微笑むシトリの傍らで、スフェンが胸に手を当てて言う。
その表情は、柔らかいとも硬いともまた違う、どこか真摯なものに見えた。
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