第87話 シトリの悩み
日暮れ前に今日の宿となる宿場に着いた。
馬車を礼拝所の横に停め、ジェイドさんが馬車を守るための物理防御結界を張る。
さらにジェイドさんは、シトリが手配した宿坊を確認し宿坊全体に物理防御結界と音の結界を張った。同時に複数の結界を張り、任意に解除するのは、結構な高等技術なのだそうだけれど、ジェイドさんは苦も無くやっている。さすが神官長。
俺が浄化の魔術と発光の魔術を使えるようになったので、今の部屋割りは1人1室だ。
ジェイドさんの腰の具合によっては俺が同室になって介助する予定だけれど、この頃は調子がいいようなので、この部屋割りに落ち着いている。
夕飯までひと休みしてくださいと勇者姫様に言われて、俺は割り当てられた部屋のベッドに座り、ひと息ついた。
靴を脱ぐかどうか迷って、浄化の魔法を使ってから靴を履いたままベッドに足を上げてしまう。
日本人として土足でベッドに上がることに抵抗がないわけじゃない。けれど、ゲートルを付けている都合で簡単に靴の脱ぎ履きができない。脱ぐのもひと苦労、履くのもひと苦労、急に来てくれと呼ばれたら対応に困るので、このやり方がいいだろう。
ひとまず聖杖を抱いてベッドに横になる。
この頃やたら眠いから、短時間でも眠れたら嬉しいなあ。
聖杖に触れて落ち着いて目を閉じると、体の中をゆったりと聖霊気が通り抜けていくのを感じる。それは心地よくて、なんとなく落ち着いて。
ジェイドさんが、「勇者と姫巫女は、共にあることで互いに精神的に強くなる」みたいなこと言ってたけど、それ、何か分かるなあ。
だって、どこかで勇者姫様に繋がってるって感じがする。ひとりじゃないって感じがする。安心できる――
――気が付いていないのだろうか?
――多分、気が付いていないのだろう。
――自覚していないのだろう。
誰かの声が聞こえる。
――これ以上、恐い思いをさせたくないのに。
――嫌な思いをさせたくないのに。
何の話をしてるんだろう?
わからない。
――でも、避けられないのならば。
――せめて、心の準備ができるように……
コンコン、とノックの音がしてはっと目を覚ます。少しうたた寝していたようだ。
目元を擦りながら窓を見れば、カーテンの隙間から夕焼け空が見えた。
コンコン、と、もう一度ノックの音がする。
「はい!」と返事をすれば、「私です」と勇者姫様の声。
出てみれば、勇者姫様が少し困ったような顔をしていた。
打ち合わせたいことができたとジェイドさんの部屋に行き、俺とジェイドさんを前に、勇者姫様は口を開いた。
「先程、シトリの従者――スフェンに使徒との初戦の話を聞きたいと頼んだところ、代わりにひとつお願いがあると言われまして……」
え? なに?
「『リアナ姫』様が、料理の味の評価も含め、一切口をきかないのは何故か教えてほしいと――何か、手配に不備があったのかと、シトリが気にしていると」
「あのような席で、王族の姫が口を開かぬことは、決して珍しくはないのですがな……」
ジェイドさんが小首を傾げる。
「シトリは、勇者が王都を旅立ったという知らせを受けてから、『勇者がガボーグ領に来たら、勇者一行が何を求め、どのような接待をしたかを手紙で知らせてほしい』とセミスに頼んでいたようです」
あー。道理で、宿坊を貸し切りにしたりなんだりの手配が完璧だったわけだ。
「その手紙で『リアナ姫』の人となりも伝わっていまして、『堅苦しいのが嫌いな姫様の機嫌を損ねたのかもしれない』と考えているようです。スフェンと話しているのが聞こえました」
「なるほど。セミス殿とは気さくに話をしていたという情報が伝わっていたのならば、シトリ嬢が気にされるのはわかりますな。伯爵夫人と、辺境伯の姉の領主代行。格に大差はありません。セミス殿には直接話しかけシトリ嬢に話しかけないのは、シトリ嬢に不備がないのならば、姫として配慮に欠けて不自然な行いとも言えます」
うえー。王侯貴族様のお付き合い面倒臭いなあ。
「とりあえず、『姫様は、勇者と神官長以外の男性の前では、口をきかないのですよ』と言っておきました。昼に、スフェンが同席していてよかったです」
勇者姫様は小さく息をついた。
「昨夜の宴席は、シトリが主催。勇者の接待のためにも主催は席を外すことができず、主催の妻の立場の人間もいなかったので、『女だけの一席』を設けられませんでした。やむを得ないところですが、シトリにしてみると己が女であるがゆえに十分にもてなすことができなかったと感じるところなのでしょう。アレヴァルトの館でもう一度宴席を設け、その際に女性だけの気楽な席に誘おうと菓子の手配に余念がないようです。
私としてもシトリには、その心遣いに相応の栄誉を与えるべきと考えます」
「俺は、どうしたらいいですか?」
俺は、ポーチから羽根ペンとインクの入った小箱と紙とを取り出しながら聞いた。
「今日の夕食も、シトリが同席しスフェンが給仕するでしょう。私かジェイドが、スフェンが見聞きした姫のようすを他に漏らさぬ人間かを確認しましょう。信頼できるとシトリが保証するでしょうから、その返事を確認して『リアナ姫』は安心して本来の姿――姫らしくない言葉を使う姿を見せるようになる、という流れで、シトリとスフェンの前で『リアナ姫』が口をきける状況を作りましょう。状況が整ったら、ユウキ様は、昨夜のもてなしに満足していると伝えてください」
信頼できるという返事前提だけど、「そもそもシトリは信頼できない人間を従者にはしない」という判断なんだろう。
「えーと。夕食を食べながら話すんですよね? 『これも美味しいけれど、昨夜の料理も美味しかったわ。ありがとう。お礼を言うのが遅くなってごめんなさいね』――みたいな言い方でどうでしょうか?」
俺が確認をすると、ジェイドさんが小首を傾げる。
「シトリ嬢は領主代行であってもあくまで貴族女性、リアナ姫の臣下のようなものです。されて当然のことに感謝する必要も、
この辺り何度説明されてもピンとこないんだよなあ。
「ありがとうは惜しむな」「ごめんなさいは素直に言え」は、親父からも母さんからもよく言われていたからなあ。
「言葉にすべきなのは、評価と期待です。ユウキ様が特に気に入った料理を例に挙げ、使徒討伐後の祝宴にも期待していると続けるのが良いと思います」
勇者姫様が教えてくれる。
「では、『これも美味しいけれど、昨夜の料理も美味しかったわ。乳飲み子豚やケーキが特に美味しかったわね。使徒を討伐したあかつきには、美味しい料理で乾杯できると期待しているわ』でどうでしょう?」
俺が言えば、勇者姫様もジェイドさんも「いいですね」「いいですな」とうなずいてくれた。
「今宵はないでしょうが、今後、『女だけの一席』が設けられたときには、ユウキ様をお助けできるように、『勇者はこの世界のことを知らないので、男同士の話が分からない。退屈だろうから、席を移すときには一緒に行ってもいいか?』と持ち掛けていただけるとありがたいです。
おそらく、その話もセミスから伝えられているでしょうから、すんなり受け入れられると思います」
「わかりました」
俺がメモを取っている間に、勇者姫様はジェイドさんを振り向いた。
「ジェイド、大勢の会食のときには、異世界からの来訪者にはわからないような政治や貴族の話題になるように、お前が誘導してくれ。頼んだぞ」
「承知いたしました」
ジェイドさんは胸に手を当て自信ありげに言ったのだった。
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