第三章
第29話 魔術の練習
「ジェイドさん、また、練習に付き合ってもらえますか?」
昼下がり、移動する馬車の中で薄切り燻製肉と硬いライ麦パンの薄切りとを水でふやかしながら食べるという、えらくあごの筋肉が鍛えられる昼食を取り、食後にいつもの発音練習をしてから、俺は右のウエストポーチを開けて言った。
「もちろんですとも」
ジェイドさんが快諾してくれたので、俺はウエストポーチから姫様から借りたものを取り出した。
魔術に使う紋章を正確にかたどり、透かし彫りにし、魔術的力が伝導しやすい樹液と油を塗りこめた、直径4センチ、厚さ1センチくらいの丸い木製品。
浄化の「左手お守り」だ。
この世界の魔術は、4つの要素が揃って初めて発動する。
ジェイドさんはそれを「魔術の四要素」と呼ぶのだと教えてくれた。
「魔術的な力」「紋章」「呪文」、そして、「
具体的には、
「魔術発動の結果を思い描きながら」
「魔術的な力を込めて」
「魔術の効果を象徴する紋章を正確に描き」
「魔術の効果を意味する呪文を正確に発音する」
これら4つの要素をある程度以上の精度でクリアして初めて魔術は発動する。
この、3つ目の「魔術の効果を象徴する紋章を正確に描く」というのを簡略化するための道具が、「左手お守り」なのだそうだ。
「魔術発動の結果を思い描きながら」
「魔術的な力を込めて」
「その魔術紋章の左手お守りを素手で握り」
「魔術の効果を意味する呪文を正確に発音する」
ゆがみのない正確な「左手お守り」を入手する必要はあるが、人間側が揃えるべき要素がひとつ減るので、ぐっと発動しやすくなる。
このため、魔術の練習の最初の最初に使うのだと、ジェイドさんは教えてくれた。
ちなみに、この木製の紋章が「左手お守り」と呼ばれるのは、左手一本でも発動できるから。
戦場で
浄化の「左手お守り」は、3本の同じ長さで平行かつ等間隔の縦線と、縦線の下端と右隣の縦線の上端を繋ぐ右上がりの2本の斜め線を組み合わせた図形が、外周の円に内接している形をしている。
俺は勇者装束の姫様と席を交換してジェイドさんの隣に座り、合掌するように両手でお守りを挟んだ。
「お願いします」とその両手をジェイドさんに差し出せば、ジェイドさんは「失礼いたします」と血管の浮いた老人らしい痩せた両手で、俺の手の甲に掌を重ねるように挟んだ。ジェイドさんの方が手の温度が低いので、少しひんやりする。
「まいりますぞ」とジェイドさんが言うと、いきなり手の甲が温かくなる。
温かい何かが、俺の手の厚みを通って手の中のお守りにじわりと染み込んでいくような気がする。
聖杖を握ったときに体の中を通り過ぎて行くものの感触に似てるんだけど、なんだかちょっと嫌な感じでぞくぞくする。
「『聖霊気』を感じますかな?」
「はい」
「では、呪文を唱えますぞ」と断ってから、ジェイドさんは浄化の呪文を唱えた。
「ユオーテ」
俺とジェイドさんの体と服がぱあっと光り、いつもの浄化と同じ、さっぱりと爽やかな感じがする。
この呪文で、確かに浄化が発動したという実感。
「感覚が残っているうちに、どうぞ」
ジェイドさんの手から俺の手を通って、何かの力がお守りに流れ込む身体感覚のイメージ。それを維持しつつ、同時にさっきのさっぱりする感覚を思い描きながら、俺はジェイドさんが発した呪文を口にする。
「
手の隙間から、ほわんと光が漏れる。手の間が、すっと涼しくなるような感じがした。
「発動しましたよ!」
姫様が少し弾んだ声で言ってくれる。
「良い調子ですな。小さな範囲ですが、私の聖霊気を借りて確かに浄化の魔術が発動しています。テグルオーと呪文の質が上がっているのです」
テグルオーというのは、魔術の効果をイメージすることを意味する言葉だそうだ。対応する言葉がないから、こちらの世界の言葉そのままで聞こえている。グの音に母音がつかないのに、ルの音に母音がつくのが、外国語っぽさと日本語っぽさが混ざった感じで面白い。
「呪文は、ジェイドさんの言葉そのままが聞こえますからね」
呪文の言葉自体は「浄化」とか「結界」とかの意味があるそうだけれど、実際に呪文として発音されるときには自動翻訳の加護が効かず、発音された音そのままが聞こえる。
もしかしたら、呪文として「
そんなことを考えていたら、「ユウキ様?」とジェイドさんから声をかけられた。
いけない、いけない。今は魔術の練習だ。集中しろ。
「では、もう一度」
ジェイドさんはそう言って、再び俺の手を通して左手お守りに聖霊気を流し込んだ。
再度、ジェイドさんの聖霊気と呪文で浄化の魔術をかけてもらい、その感覚が残っているうちにジェイドさんの聖霊気と俺の呪文で浄化の魔術をかける。今度はさっきよりも強く手の中の左手お守りが光って、すっと爽やかな風が手の甲を含めた両手全体をさっぱりさせてくれるような感じがした。
いい感じだ。
「では」とジェイドさんが両手を離す。
途端に、さっきまで俺の手に感じていた何か――多分、ジェイドさんの言う「聖霊気」の気配がなくなる。
なくなったものがまだそこにあるようなイメージを思い描き、それが左手お守りに流れ込むことを思い描き、浄化の効果を思い描き、俺はさっきと同じ呪文を口にした。
「ユオーテ」
しかし、何も起きない。
「やっぱり、聖霊気を貸してもらえないと発動しませんね」
俺は大きく息をついた。
過去の姫巫女様たちが、「地球人は聖霊気がない」みたいなことを言ってたらしいんだけど、その意味が分かる。
俺の中には、あれはない。通り過ぎるのを感じることはできるけれど、無いものをイチから作ることも、入って来たものを貯めておくこともできない。そういう感じだ。
希望がないわけじゃない。地球人も持っている「気」を使って魔術を使っていた姫巫女がいたらしいからだ。多分、聖霊気の代わりに「気」を使えば、地球人も魔術が使えるのだと思う。
ただ問題は、今のところ俺には「気」を感じ、使うことができないってことと、「気」の使い方を教えることがジェイドさんや姫様にできないということだけど。
「そうがっかりすることはないと思いますぞ」
ジェイドさんは言った。
「魔術の四要素は、ひとつひとつの質を高めることでより発動しやすくなります。ひとつの要素が欠け落ちてしまうと発動しませんが、他のみっつの要素の質が高ければ高い程、残るひとつの要素に許される質の幅が広がります。
姫様の左手お守りは正確に作られた最高の品、最高の質。そこに、質の良いテグルオーと質の良い呪文を合わせれば、わずかな魔術的力が加われば発動するようになるはずです。
今は、過去の魔術を使えるようになった姫巫女様方が使われていた魔術的力――キなるものを、ユウキ様がどうすれば使えるようになるかはわかりません。ですが、この訓練を続けることで、少しでもキを使うことができれば確かにキが使えたのだと知ることができます。
それは、キを使いこなすための手がかりになるはずです。
この訓練を続けることは、決して無駄ではないはずですぞ」
ジェイドさんの言葉に、姫様もうんうんと頷いてくれた。
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