第28話 姫巫女の役目

「ヴェス、リアメグロ、テアーユ、チッテアー」

 ジェイドさんが地面に自分の杖で歪んだ紋章を描き、呪文を唱えると、ぱきん、と何かが割れるような音が響いた。

「よく、ユウキ様を守ってくれた。さすが『鉄壁のジェイド』だ」

「お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします」

 わずかに残る壁の基礎をまたいでこちらにやって来た勇者姫様に、ジェイドさんが座ったまま言う。

 勇者姫様は聖剣を左手にしまってから、俺の顔を心配気に覗き込んだ。

「ユウキ様、お怪我はありませんか?」

「あ、はい……」

 尻もちをついた痛みはないわけではないけれど、大したものじゃない。

「大丈夫ですか? 立てますか?」

 そう言われて、マイアさんから何度も聞かされた言葉を思い出す。

 

「姫たるもの、庶民のように地面に座ってはなりません」

「自ら見下ろされることを選ぶ者は侮られます」

「地面に座るくらいなら、どれほど疲れていても立ち続けるのが王族の矜持というものです」

 

 立たなきゃ!

 慌てて立とうとしたけれど、なんかうまく立ち上がれない。いつものように立とうとしているはずなのに、尻が地面から持ち上がらない。

「ユウキ様?」

「あ、怪我はないです。でもちょっと、足に力が入らなくて……」

 これって、あれか? 腰が抜けたってやつか?

 そう思ったとたん、恥ずかしさに顔が熱くなった。

 女の姫様があんな馬鹿デカい使徒と堂々と渡り合ったのに、男の俺が腰を抜かして立てなくなってるなんて、それ、恥ずかしすぎないか?!

「怪我がないのならよかったです」

 勇者姫様はそう言って、へたりこんだ俺の隣、地べたに座った。

「姫様……」とジェイドさんが何かを言いかけたのを、「まあ、ユウキ様も座ってらっしゃるんだから」と姫様が制する。

「ではわたくしも――」

「お前は、そのままでいろ。今日一番の功労者に、私たちより高い位置に座る栄誉を与える」

 勇者姫様はそう言うと、俺の方を振り向き、俺を安心させるように目を細めて笑ってくれた。

 


「それで、青玉の光は?」

「さほど変わっていないように見えますが……」

 ジェイドさんが聖杖の青玉を姫様の前に差し出す。

「一撃なら、姫巫女様の力の補充が無くても使えるということか。折を見て、何回聖なる力の斬撃を飛ばせるか、試してみよう」

 そう言って勇者姫様はジェイドさんから聖杖を受け取り、それを俺に渡した。

 杖に触れた途端、一瞬、体の中をあの感覚が通り抜けて触れた手から杖に流れ込んだ。杖の端で、青玉の光がわずかに増す。

「少しは減っていたようですね」

 納得したように言ってから、姫様は自分の体の中の音に耳を傾けるように首を傾げた。

「どうも、ユウキ様が聖杖に触れているだけでも、少しずつ姫巫女様の力が聖剣に流れ込み溜め込まれるようです。これからは、できるだけ聖杖に触れるよう、心がけていただけますか?」

 姫様の領地の館を出てから、なんとなく自分だけが手ぶらなのが心地悪くて聖杖を持ち歩くようにしていたから、そのくらい、いくらでも、だ。

「わかりました」

 俺が言えば、姫様はにっこりとあの綺麗な笑顔で「よろしくお願いいたします」と言った。

 それから、「そうそう」とジェイドさんに顔を向け、握った手をさし出す。

「これが、使徒の正体らしいぞ」

 ジェイドさんの掌に姫様が置いたのは、あの巨牛の角と同じ色の石ふたつ。明らかに人の手が加えられた細工物。

「魔法の刻印がされた翡翠細工……伝えられている通りですな」

 俺がジェイドさんを見上げていたら、ジェイドさんは俺にふたつの翡翠を差し出してきた。

「大丈夫、もう害はありませぬ」

 そう言われて、俺はそれを受け取った。

 白味がかった緑色のそれは、背骨に沿って二分割された角のある牛の翡翠細工だった。そこだけ真っすぐでつるつるの切り口を合わせてみると、ずんぐりと手足の短いちょっと愛嬌のある牛の姿になった。切り口以外の表面には、びっしりと読めない文字が刻まれている。

「この文字……魔法陣の?」

 俺が召喚された時に足元で回っていた、魔法陣に描かれていた文字と似ているように見える。

「はい。千年以上前に失われた神聖文字だと思われます」

 ジェイドさんが言う。

 それって、姫巫女を召喚する魔法と同じものが、魔女の使徒に使われてるってことなのか?

「あ!」

 突然、勇者姫様が声を上げて立ち上がった。

「しまった、鹿……っ! 内臓抜きもせずに放置したままだ!」

 勇者姫様は、俺に右手を出した。反射的に握れば、軽々と引き起こされる。

「急いで取ってきますね。あまり味が落ちていないことを祈ってください」

 逞しい笑顔でそう言い残して、勇者姫様は走り去ってしまったのだった。

 

 

 ごとごととわずかに揺れながら馬車が進む。

「ムクピ」

 勇者姫様が俺の向かいの席で言う。

「ムクピ」

 その音を俺がマネしてジェイドさんを見る。

 ジェイドさんは「合ってます」という意味で頷いてくれる。

 俺は左手に紙の束と一緒に持ったインクに羽根ペンのペン先を漬け、紙に発音記号風にアルファベットを並べた。

 クとピは、つなげて発音するとクの母音が消える。

 発音記号風に書くなら、mukupiじゃなくmukpiと書く感じだ。

 多分、音の接続で本来あるはずの母音が省略されているんだろう。

 その言語を使っている本人たちは、そういう発音の使い分けを意識していないから、1音ずつ切って発音するときには母音がついた形で発音してしまっていたのだと思う。

 単語を数音ずつに分解して音の接続による発音の変化を少しずつ確認し、なんちゃって発音記号でメモを取る。

 ひと通り終わったところで、俺はもう一度メモで発音の修正ポイントを確認してから口を開いた。

「ナムクピラケ。アリテアーグ、オーレ、ユウキ」

 ジェイドさんが「おお」と声を上げ、勇者姫様が両眉を上げた。

「今までよりも格段に滑らかに、『見事でした。異世界の勇者、ユウキ』と聞こえましたぞ!」

「もうすこし、ゆっくりと落ち着いた感じでお願いできますか?」

 勇者姫様が言う。

 言われた通りに、ゆっくり、落ち着いた、女性的なイメージで発音してみる。

 勇者姫様がぱっと顔を輝かせ、ジェイドさんが目を丸くした。

「上品で優しそうな姫巫女様になりました! 素晴らしいです!」

 勇者姫様がそう褒めてくれて、俺はほっとした。

「加護によって聞かせることが出来ない音を伝えるのに、1音ずつ伝えることは私も理解できたのですが、いくつかの音を繋げて伝えることでこんなにも言葉が滑らかになるとは!」

 少し興奮気味に、勇者姫様が言う。

 なんだか目がキラキラしてる。すごく嬉しそうで、可愛い。

「ユウキ様は多岐にわたり様々な知恵をお持ち……知恵の姫巫女と称えられるトオノ・カオルコ様に負けず劣らぬ知恵の姫巫女様です! まことに素晴らしいです!」

「それはほめ過ぎだと思いますよ……」

 インク瓶にコルク栓をしながら、俺は苦笑してしまった。

「何もできない上に情けない――魔女の使徒を目の前にして、腰を抜かす、情けない男ですよ、俺は」

「ユウキ様、そう卑下することはございませぬぞ」

 ジェイドさんの言葉に、俺は顔を上げた。

「初陣の騎士見習いが恐怖に動けなくなることなど、よくある話――いえ、むしろ、当然。実質的な初陣で、あの巨牛に突っ込んでこられて失禁も気絶もしていないのですから、神官騎士見習い時代のわたくしに見習わせたいくらいです」

「そうですね。私が魔女の使徒を恐れずに戦えるのは、勇者の力があるからにすぎません。それを持たないユウキ様が使徒を恐れるのは当然ですし、しっかり恐れて使徒から逃げ、ジェイドに守られてもらわねば私が、ひいては我が国の民が困ります」

 勇者姫様が言ってくれるけれど。

「怖がって、恐れて、逃げるのは情けないことだと思うんですが?」

「戦場の騎士には役目がございます」

 今ひとつ納得できない俺に、ジェイドさんは諭すように言った。

「例えば、伝令は生き延びて目的の相手に伝えるべき知らせを伝えるのが仕事、道筋に強敵がいるなら勇猛果敢に戦うよりも、恐れて迂回することの方が正しい選択であることもございます」

「その通りです」

 勇者姫様が向かいの席から身を乗り出して言う。

「今のユウキ様は、姫巫女様として私どもの旅に同行し、生き延び、姫巫女様の力を杖に与えることが役目。そして、その役目を全うするために必要な言葉を、自ら工夫をし、覚えてくださいました。

 何もできていないわけでも、情けないわけでもございません!」

 勇者姫様はぐっと自分の手を握り締めて力説した。

「ユウキ様は、私の自慢の姫巫女様です! 私の召還に応えて下さった姫巫女様はこんなにも素晴らしい方なのだと、公の記録に残せないことが口惜しい程です!」

 自慢の姫巫女様だと言われても、実感はない。

 実感はないけれど。

 姫様にそう思ってもらえる姫巫女になれていたらいいなあと、俺は少し思った。



 第三章に続く

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