第30話 霊気と聖霊気と髭
何度か浄化の魔術の練習をして、ジェイドさんの聖霊気を貸してもらえれば肘の手前くらいまでを浄化できるようになったところで集中力が切れたので、ひと休みすることにする。
「ところで、ひとつ疑問があるんですが」
聖泉石の水でのどを潤してから、俺は改めて口を開いた。
「『魔術の四要素』の、『魔術的な力を込めて』というの、何故『聖霊気を込めて』じゃないんですか?」
俺の言葉にジェイドさんが、「あ」と言う顔をする。振り向けば、勇者姫様も掌を口元に当てている。
しばしの静寂。ごとごとと馬車が進む音だけが響く中、ごほん、と咳払いをして、ジェイドさんは姿勢を正し、口を開いた。
「それは、『魔術的な力』が、聖霊気ひとつだけではないからですな」
この世界の殆どの人間は、霊気という魔術的な力を持っている。
その中の一部の人間は、霊気よりも強い聖霊気も持っている。
その人が、霊気だけしか使えないか、聖霊気も使えるかは、基本的には血筋による。
霊気だけでも魔術は使える。
けれど、同じ魔術でも、霊気で発動させるのと聖霊気で発動させるのとでは効果が大きく違う。体内に溜めておける量も聖霊気の方がはるかに多い。
日常的に使う魔術的力の消費が少ない浄化や発火はともかく、戦闘で役に立つ強化や加速、効果の高い高度な治癒、強力な結界などは、大量の魔術的な力を必要とするので、霊気だけしか使えない人間には使いこなすことができない。
はるか昔、北方の国、東方の国からの侵略に脅かされていた時代には、必然的に聖霊気を使って戦える人間が求められ、聖霊気を使える血筋が求められていた。
結果として、王侯貴族は血統重視となり、現在は「聖霊気が使えなければ貴族ではない」という認識になっている。
「たとえるなら、霊気はふわふわの羽毛のが詰まった羽根枕、聖霊気は金塊というところでしょうか? 力の密度が全く違うのです」
姫様がジェイドさんの説明をそんな風に補足してくれた。
「俺に聖霊気がないことはわかってるんですが、霊気もないんでしょうか?」
わずかな期待から質問をしてみたけれど、ジェイドさんは「残念ながら」と首を振った。
やっぱりかー。
俺はため息をついて聖泉石の瓶にコルクの蓋をして、ポーチへとしまった。
「ジェイドさん、また練習に付き合っていただけますか?」
浄化の左手お守りを握りながら、俺が改めてジェイドさんに体を向けると、ジェイドさんは「喜んで」と笑顔で言ってくれた。
「ちょっと待ってください」
突然、勇者姫様が真剣な声で言った。振り向けば、睨むように姫様がこちらを見ていた。
「ジェイド、お前、妙に嬉しそうだな」
「そんなことは……」
「いいや、確かに嬉しそうだ。そもそも、お前、私相手にはいつもしかつめらしい顔で文句を言っているのに、姫巫女様姿のユウキ様にはやたらにこやかに接するではないか! 私はこの旅に出る前まで、お前の笑った顔など見たことなかったぞ!」
姫様の指摘に口元に握った手を当て小さく咳払いをしてから、ジェイドさんは悪びれない調子で口を開いた。
「神官として、姫巫女様に仕え、助けとなれることを喜びと感じるのは当然でしょう? それに、老いたとはいえわたくしも男、若く美しい姫巫女様に頼りにされれば、多少浮ついた気分になるのも仕方がないというものです」
「ん……?」
思わず差し出そうとしていた手が止まってしまう。
「あ、いや! ユウキ様が男であることは重々承知しております。
ですが、それはそれとして、目の保養になるのも事実でございます。ほれ、こうやって座られている姿、足の先まで、完全にたおやかな女性ではないですか。顔立ちも少々彫りが浅くはありますがすっきりと整っており、女性として違和感を感じませぬ。髭の一本もない」
「そういえば」
勇者姫様が俺に視線を向ける。
「ユウキ様の世界では、男でも髭が生えないのですか?」
あー。まあ、当然の疑問か。
俺がこの世界に召喚されてから10日以上経ってるけど、一度も髭剃ってないもんな。
「俺は、元々体毛が薄くてまばらな体質なんです」
実際、すね毛はまばらすぎて貧相に見えるくらいだし、腕毛なんて全然生えてない。夏になると
「無精髭を生やすと部分的に生えてるところと全く生えないところができるし、剃っても剃り跡にむらができる。うっかり遅刻しそうになって髭を剃り忘れて出かけると生えかけの髭がみっともないし、毎朝剃るのも面倒臭かったので、医療脱毛――髭が生えなくなる治療をしたんです」
鼻下、アゴ、アゴ下、3カ所6回コース74,800円の2セット、合計約15万円!
麻酔しても痛かったし、高かったよなあ。お年玉貯金つぎ込んだ甲斐はあったけど。
「なんと!」
「男が髭を生えなくする?!」
二人が驚きの声を上げる。
「髭は大人の男の象徴、威厳を示すための物です。生来の髭が薄くて生やしても威厳を感じないからと、つけ髭をつけている貴族の話はよく聞きますが、まさか、生えなくなる術を使うとは……」
姫様は心底信じられないように言う。
「ユウキ様の世界は、本当にこの世界と異なるのですね……」
「まこと、こちらの世界との違いに驚くばかりですな」
「俺から見ると、日常生活に魔術が完全に組み込まれているこちらの世界の方が、驚くことばかりなんですけどね」
魔術が使えないと、トイレもままならない方がよほど驚くんだけど。
「では、練習を再開しますか?」
話を切り上げるようにジェイドさんが言う。
「あ、はい!」とジェイドさんの方に向き直れば、妙にやる気を感じさせるジェイドさんにちょっと引く。
「だから、ジェイド、なぜそんなに嬉しそうなのかと!」
姫様が割り込んでくる。
「神官として姫巫女様に奉仕できることを喜びと感じるのは当然でございましょう?」
「ええい、私の姫巫女様にべたべた触るな! ユウキ様、今度は私と練習しましょう」
「若い男女が手を取り合うのはいかがなものかと……」
「ユウキ様は私の姫巫女様なのだぞ? 私と手を取り合って、何が悪い! ささ、ユウキ様、こちらへ」
自分の隣の席を叩いて、姫様は言う。
ジェイドさんが俺に変な下心があるってことはないと思うけど、まあ、相手が変われば気分転換にもなるし。
俺は素直に姫様の隣へと移動した。
姫様の意外と硬い触り心地の両手が、左手お守りを挟む俺の両手を挟む。
間近に勇者装束の姫様を見下ろす。
くっきりと意志の強そうな眉、リラックスするとちょっと垂れ気味になる目尻、羨ましいくらいに長いまつ毛。まだ細い顎、すっきりと通った鼻筋。彫りの深い整った顔立ち。凛々しい若者。21歳だと聞いたけど、俺の感覚だと高校生くらいに見える。
高校生くらいって思ったら、今どき珍しい詰襟金ボタンの母校の学生服を着た勇者の姿が思い浮かんで、少し笑う。
どういうシチュエーションだよ。交換留学生とかか?
でも、人懐っこい印象だから、女の子達から何やかやと話しかけられるタイプだろう。どこに行っても上手くやりそうだよなあ。
そんなことを考えていたら、目力の強い目が俺を見返した。
目が合うと、勇者姫様は綺麗に綺麗にほほ笑んだ。
途端に女性的な印象になって、あ、そう言えば、この人は女の人だったんだっけ、と思い出す。
さっき無条件に男子高校生の制服を脳内で着せてしまった凛々しいイメージと、間近で見る美女の笑顔に、ちょっと混乱する。「年若きイケメン勇者」と「男装の麗人」の間で、印象が反復横跳びしているみたいだ。
「では、いきますよ」
言葉と共に、少し温かい姫様の手からたくさんの何かが俺の中に流れ込んでくる。これが姫様の聖霊気かな?
ジェイドさんの聖霊気は体の中に入って来る時になんか少し抵抗があって、少し嫌な感じがした。入って来た聖霊気はその抵抗のせいでどこにも行けず、まっすぐ掌の左手お守りに流れ込んでいたように感じる。
姫様の聖霊気は全然そんな感じがない。入って来た聖霊気は、俺の中に抵抗なく広がって、一部が手の中の左手お守りに流れ込んでいく。
「ユオーテ」
姫様が呪文を唱えると、ぱあっと俺と姫様が光り、浄化の魔術が発動し、さっぱりと爽やかな感覚に包まれる。
今まで、ジェイドさんが何度も浄化の魔術を使って、その度にさっぱりした感じを味わっていたけれど、姫様の浄化はさらに一段上のさっぱり感があった。
たとえるなら、ジェイドさんの浄化は「シャワーを浴びた後のさっぱり感」で、姫様の浄化は「いい湯加減の風呂に入った後のさっぱり感」というところか。
「どうぞ」と姫様に言われる。
俺は、姫様が手に触れてからずっと体の中に満ちているものを、手の中のお守りに注ぎ込むことをイメージした。両掌の間の空間にも、俺の中にあるものが満ちる感じがする。頭の中で全身があのさっぱりした感覚に包まれることを思い描き、俺は呪文を口にした。
「ユオーテ」
まばゆい光が手の中から放たれる。周りのものも全部光る。
その光が消えたとき、俺は「運動してかいた汗を、いい湯加減の風呂に入って流した後のさっぱり感」に包まれていた。めちゃくちゃさっぱりすっきりしている。
「ああ――」
姫様が、しまった、という顔をする。
「姫様の桁違いの聖霊気で発動させたため、ユウキ様のテグルオーの範囲を超えた効果が出たようです」
ジェイドさんがやれやれと言いたげに首を振る。
「今のは相当広い範囲で浄化されましたぞ? 森林内での広範囲浄化は、森の動物たちを驚かせ、気性を荒くし、森の周囲の村に迷惑をかけることもあります。姫様がユウキ様の魔術練習を手伝うのは、禁止とした方がよろしいようですな」
ジェイドさんの言葉に、勇者姫様はがっくりと肩を落としたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます