第23話 神官長の弱点
屋根がなくなり、二方向の壁がなくなっている家の残った壁際にあったのは、煉瓦を積み上げて作られた、床の高い暖炉みたいなかまどだった。
煉瓦の壁には、逆L字型のしっかりした鉄のパーツが取り付けられていて、かまどの真ん中あたりに水平に鉄のフックが突き出ている。そこに鍋を引っかけて火にかけられるようになっているようだ。
「今日はもう、移動の必要がありませんからね。昼食は、温かいものを作りましょう」
馬車に積んでいた塩漬け用の樽から出した塩塗れの豚肉の塊を入れた鍋をフックに下げ、勇者姫様は嬉しそうに言った。
この国の肉類の保存方法のメインは、燻製と、塩蔵――塩漬けだ。
「これが馬や
毎日、昼食は時間短縮のために調理はせずに燻製肉とライ麦パンを食べているのだけれど、まあ、顎が鍛えられる味だ。特にパンの方は日毎に固くなって、最近では水に浸して食べても歯ごたえ満点だ。
正直、これだけしか食べられないというのは、辛い。
いそいそと勇者姫様が、聖泉石の入った小瓶で鍋に水を注ぐ。指で聖泉石入りの茶こしが転がり出ないように押さえ、小瓶を傾ければ、決して大きくない瓶からとぽとぽ延々と水が出てくる。手品みたいで少し面白い。
鍋にたっぷりの水を張り、馬車から下ろした薪の束と人参と小麦の袋をかまどの下に置き、勇者姫様はジェイドさんを振り向いた。
「火起こしを頼む。私は、果物でもないか近場を見てくる」
「お任せを」
ジェイドさんの返事に爽やかな笑みを返し、勇者姫様は家の裏手の森に向かって駈け出し、あっという間に木々の影に隠され見えなくなった。
え? 見えなくなるの早くないか?
「うっ……」
呆然と勇者姫様が消えた方向を見ていたら、背後からジェイドさんの呻きが聞こえてきた。からん、と杖の倒れる音もする。
振り向くと、ジェイドさんが少し屈んだ姿勢のまま自前の杖を取り落として固まっていた。
「ジェイドさん?」
「あ、いや……ぐっ……」
動こうとしても動けないジェイドさんの様子は、見覚えがあった。
「もしかして、腰ですか?」
持たされていた聖杖を手に、俺はジェイドさんに駆け寄った。
「なんのこれしき……カオー。カオー。カオー」
ジェイドさんは腰をかがめた姿勢のまま左掌に右の人差し指を走らせた。左掌に治癒の紋章を描き、三連続で治癒魔術を使う声を聴きながら、俺は地面に倒れていたジェイドさんの杖を拾った。
「ありがとうございます……ユウキ様のお手を煩わせ、申し訳ありません」
そっと腰を伸ばし、杖を受け取りながら、ジェイドさんが言う。
「大げさなことを言わないでください。この薪を、どうすればいいんですか?」
「あ、いえ。わたくしがやりますので、ユウキ様はどうぞ休んでいらしてください」
「ジェイドさん、俺が本当に姫様だったとしても、腰の具合が悪くなったジェイドさんに無理して働けとは言わないと思いますよ?」
「――ありがとうございます」
「いえ。姫様がしてもおかしくないようなこと――俺にできることは、何でもさせてください。どうすればいいか、教えてください」
俺は言った。
「聖杖に触ること以外何もできないんですから、それくらいさせてください」
俺もひとり暮らしの大学生、外食は多いけれど、それなりに自炊もする。小学生の頃から母親に「生きるのに必要な技術に男も女も関係ないでしょ」と炊事洗濯掃除裁縫、ひと通り叩き込まれた。同い年の大学生男子と比べたら、料理は出来る方だと自負しているし、レパートリーも多いはずだ。
でもそれは、あくまでも日本の調理環境と食材あってこそだ。
がっつり塩漬けした肉の扱い方も知らないし、アウトドア料理の経験がほとんどないので、まな板と水道とコンロを使わない料理の仕方も知らない。
手伝いますと言おうと思っても、浄化や発火の魔術を当然のように使いながらてきぱきと料理をしている勇者姫様の様子を見ていると、魔術を使えない俺が手を出しても邪魔なのではないかと思えて躊躇してしまって。
結果として、マイアさんと別れて以来、食事の支度はほとんどを勇者姫様がしているのだ。
「聖杖に触れて力を与えることこそ、ユウキ様にしかできないこと。それ以外は他のものに任せて――と言いたいところですが、姫様以外にいるのがこのおいぼれだけではそうもいきませぬな」
ジェイドさんはため息をついた。
「それでは、薪の束を解いて特に太い薪を2本選び、鍋の下に平行に置いてください」
「はい!」
俺は聖杖を壁に立てかけ、今の自分にできることをするために、薪に手を伸ばした。
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