第26話 魔女の第二使徒・出現
昼食を食べ終えると、勇者姫様は後片付けを俺とジェイドさんに任せて、鹿狩りのためにまた森へと行ってしまった。
ジェイドさんが浄化の魔術で食器やまな板と呼ぶには大きな肉を切るのに使った板を浄化し、立ち上がれないジェイドさんの代わりに俺がそれらをかまどの横にまとめておく。皿洗いが浄化魔術一発なので、簡単なことこの上ない。
ジェイドさんの指示で火のついた薪を地面に下ろし、砂をかけておく。薪の節約のためで、火が消えたら消えたでいいし、消えなかったら夜の炊事の火種にするのだそうだ。
火の始末も終えて、後片付けは完了だ。
「ジェイドさん、発音練習に付き合ってもらえますか?」
杖を膝に置いて瓦礫に座っているジェイドさんに、俺は頼んでみた。
「姫巫女様のお望みとあらば、喜んで」と胸に手を当て、ジェイドさんは言ってくれた。
「ナムクピラケ。アリテアーグ、オーレ、ユウキ」
「見事でした。異世界の勇者、ユウキ」という意味になるはずの音の列を口にする。
「抑揚はリズムは良いのですが、やはり、音に違和感がありますな」
ジェイドさんが困ったように言う。
「もう一度、一音一音、発音しますね」
音を一つ一つ区切って確認してもらっても、変なところはないと言われる。
なのに、それを確実に、抑揚やリズムに気を付けてつなげて発音しても、上手くいかない。
「うーん。何か見落としがありそうなんだよなー」
「多少奇異な発音だとしても、いざとなったら『姫様の癖』とでも言い張れば、切り抜けられると思いますぞ。姫様は稀代の変わり者として有名ですから」
ジェイドさんが苦笑する。
それで通用するんなら、これ以上発音練習しなくてもいいような気もするけれど。
「でも、マイアさんと『姫様の評判をこれ以上落とさない』と約束したので、それは最後の手段ということで」
「ユウキ様は誠実なお方ですな」
ジェイドさんが感心したように言うのが照れくさい。
「あ。すみません。ちょっと、トイレへ行ってきますので、合図をしたらお願いします」
俺はジェイドさんにそう言って、その場から逃げるために聖杖を手に立ち上がった。
半壊した家の玄関先に停めた馬車。用を足したところで、黒鉄の馬に「いななけ」と命令すると、ヒヒヒヒヒーン、と高い声で馬がいななく。
すぐに、馬車全体が浄化魔術の光に包まれる。ジェイドさんの広範囲浄化だ。
浄化の魔術は他の魔術と比べて格段に消費霊気が少ないので、広範囲魔術が得意なジェイドさんにとってはいつもの浄化魔術と負担は大差ないというから、ジェイドさんが馬車から離れているときはこのやり方に落ち着いているけど。
魔術の効果範囲を広げる方が、立ち上がって馬車まで歩くより楽ってことか。
それだけ浄化魔術が簡単なのか、それとも、それだけ腰が辛いのか、判断に迷うところだなあ。
そんなことを考えながら服を整え、聖杖を片手に馬車から降り、俺はかろうじて入り口の形が残っている半壊した家に戻った。
「ありがとうございます」とジェイドさんに声かけて、「どういたしまして」と返事を聞きながら、ふと、家の奥に顔を向けたら、突き当りの右半分が崩れたレンガ壁の向こうに、見慣れないものがあるのが目についた。
緑色の滑らかな塊。白味がかかって透明感があるし、艶がある。けど、微妙に色むらがあるし、プラスチックよりももっと重そうに見える。
大理石? にしては緑色だけど。
「ジェイドさん」
俺は一度ジェイドさんに目を向け、左手で緑の塊を指さすために再びそちらに目をやった。
あれ? 目を離したのは一瞬なのに、なんかさっきと違う形してないか?
さっきよりも大きくなって……
「あそこにあんなもの……」
ありましたっけ、と俺が言うのと、足元で杖の先が地面を走る音がしたのと、ジェイドさんの緊張した声が聞こえてきたのは同時だった。
「ヴェス、リアメグロ、ペミタ、チッテアー!」
足元に円に正方形が内接した紋章が広がり、俺の目の前に薄く光る壁が立ち上がる。
「物理攻撃完全遮断の結界を張りました。内側からも出られません、お気をつけください」
振り向けば、ジェイドさんは杖を握り、鋭い目線を緑の塊の方に向けている。
「おそらく、魔女の第二使徒が出現しようとしています」
「えっ?!」
振り向いたら、緑の塊は黒鉄の馬よりも大きくなっていた。見ていてわかるほどぐんぐん大きくなりながら、形を変えていく。
カーブしながら伸びていく尖った角。伸びる首と鼻面。盛り上がる背中。
形の変化とともに、色も変わっていく。角以外が黒く。
やがて緑の塊は、角を持つ黒くて巨大な牛の形になった。あれだ。前に見たことある、闘牛のドキュメンタリーに出てきたような肩の盛り上がった、曲がった角を持つ牛。角と目に、緑の色が残っている。
その緑の目が瞬いたと思たら、それまで生気のない作り物にしか見えなかったそれが、ブルブルと首を振った。とたん、「生きている巨大な牛」になる。
牛は頭を下ろし、腰のあたりまで崩された家の壁の下に頭を隠した。
直後、ごっ、と音が響いてこちらにひとかかえもありそうなレンガ壁の塊りが飛んでくる。
「わっ!!」
驚いて下がって避けようとしたけれど、足がもつれてしまう。
しまった、避けられない!
姿勢を崩して後ろに倒れ込む俺の視界の中で、飛んできたレンガ壁が俺に当たる寸前で薄く光る壁に跳ね返された。
巨大な牛と俺との間に重そうな音を立ててレンガ壁が落ちるのと、俺が尻もちをつくのはほとんど同時だった。
反射的に閉じた目を開けば、すぐそこに何かで塗り固められたレンガの塊。その瓦礫の大きさ。質量感。
これ、当たってたら、絶対、ただじゃすまない。
震え上がった俺の耳に、ぶふーっ、とすごい鼻息が聞こえてきた。顔を上げたら緑色に光る巨大な牛の目と視線がばっちり合った。
ヤバイ。目をつけられた。
ぶん、と一度首を上下に振った巨牛が、頭を下げ、角をこっちに向け、手前のレンガ壁を蹴散らして突っ込んできた。
死ぬ! これ死ぬだろ!
逃げなきゃ!
そう思うのに、体が動かなくて。
俺は馬鹿みたいに座ったまま聖杖を握り締めた。
その時だ。
俺と巨牛との間に、右側から何かが割り込んだ。
逆光で光る長い金髪。決して大きくない背中。
どごっ、と何かが激突する音が響いたのに、その背中はびくともしなくて。
見上げれば、「勇者」が広げた両手で巨牛の2本の角を掴み、その突進をしっかりと受け止めていた。
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