第25話 ひとまずの目標

「俺の世界では、俺は、ごく一般的な田舎の家庭で4人兄弟の三番目として生まれ育ちました。使用人なんかいなくて――」

 俺の言葉の途中で、姫様が「え?」と目を丸くし、ジェイドさんが「なんと!」と驚きの声を上げた。

 え? ここまでに、驚く要素あったか?

 俺が話を止めると、姫様は縦にした片手でぱっと口元を押さえた。思わずという感じの仕草だ。ちょっと可愛い。

 しばしの沈黙の後、口元を隠す手を下ろし、「話の腰を折ってしまって、もうしわけありません」と姫様が言い、ジェイドさんが「失礼いたしました」と頭を下げた。

 姫様がどうぞと右掌を俺に差し出して先を促したので、ともかく俺は話を続けることにした。えーと――

「とにかく、俺の家の食事の支度は、主に母がしていたんです。それで、母が忙しそうに働いていたら、そのとき手の空いている家族が手伝うのは当たり前でした。だから、自分は特にすることがないのに、自分も食べるものを忙しく作っている人をただ眺めているのは、とても居心地が悪いんです」

 姫様とジェイドさんが顔を見合わせる。

 なんか、すごく変な雰囲気だ。

「ユウキ様は、文字の読み書きができますよね? そして、『学者』なのですよね?」

 さっきも「学者」って言ってたな。これ、自動翻訳のさらに翻訳で変になってるな?

「確かに俺は、俺の国の言葉の読み書きができます。でも、俺は学問や研究を仕事にしているわけではないです。ええと、俺の国には、そこに通えば学問を教えてくれる学校というものがありまして、俺は一人前の大人として仕事に就く前に、そこに通ってより良い仕事に就くために必要な勉強をしている身分です」

 んー。この説明でわかってくれるかな?

「使用人を持てぬほどの生活であるにもかかわらず、読み書きができて、学問を学んでいるのですか?」

 ジェイドさんが信じられないと言った顔で言う。

 ああ。そういうことか。

 ここは、庶民の識字率が低い世界なわけだ。

「俺の国では、子供を学校に通わせる義務が、親に課されています。だから、子供の頃から読み書きや計算を学びます。読み書きや簡単な計算ができない人間は、ほとんどいません。そして、大部分の人がメイドのような身の回りの世話をする使用人を持ちません」

「魔術も使えぬ上に使用人もおらぬのに、召喚されたユウキ様は大変に身ぎれいでいらした。どういうことでしょうか?」

「それは、俺たちの国には魔術や魔法とは違う、便利な道具が沢山あるからです。薪や火を使わずに料理をする道具もありますし、服を洗って綺麗にしてくれる道具もあります。そういう道具が沢山あるから、多くの人にとって使用人を雇う必要はないんです」

「魔術や魔法とは違う、そのような道具があるとは、何と不思議な……!」

 ジェイドさんが感心する。

 実際のところ、日本だって家政婦を雇ってる人がいないわけじゃない。多くの家庭で使用人を雇わない理由は人件費が高いのと、庶民にそういう習慣がないからだと思うけど、まあ、この説明で納得してるからいいか。

「あの……ユウキ様!」

 姫様が少し前のめりに言う。

「先程、食事の支度はお母上の役目とおっしゃっていましたが、それをユウキ様も手伝うのですか?」

「はい」

「男しかいないからやむを得ず、ではなく、女が一人で充分に役目を果たせても、男のユウキ様が手伝うのですか?」

「はい。だってその方が早く支度が済んで早く食事ができますし、母が自由にできる時間も増えるでしょう?」

 俺が言うと、姫様は脱力したように肩を下げた。

「ユウキ様の世界の男女の在り方は、この世界とは異なるのですね……」

 姫様はそう言うとふと空に目をやり、眩しそうに目を眇めた。

「是非、この目で見てみたいものです」

 そう言う勇者姫様は、なんだかひどく無防備に見えた。

 


「ユウキ様のお気持ちと、そう感じる事情は理解しました。ユウキ様が心苦しくて辛いとおっしゃるのであれば、できるだけお心に沿いたいと思います。その上で、これからの食事の支度についてですが――」

 冷めかけたスープにパンを浸しながら、勇者姫様は言った。

「残念ながら私もジェイドも、魔術を使わず安全に料理を作るやり方を知りません。お手伝いいただけることがあるとしたら、薪を運ぶとか食器を運ぶとか些細な仕事になってしまいます」

「今の俺にそれくらいしかできないことはわかっています。もしも邪魔でなければ、それでお二人の手間が少しでも減るのなら、やらせてください。そして――」

 俺はそう言って、少し迷ってから言葉を付け足した。

「この先、俺が浄化の魔術や発火の魔術を使えるようになって、できることが増えたら、もっと他のことも手伝わせてもらえますか?」

 勇者姫様は目を細めて笑った。

「はい。その時はよろしくお願いします」

 可愛い笑顔でそう言われると、やる気が出る。

 俺は手に持った食器と木匙を握り締めた。

 

 優先順位を確認しよう。

 聖杖に触れ、姫巫女の力を聖杖に与える役割を果たすのは大前提として。

 まず、姫様の演技に必要な、「勇者を褒める言葉」をちゃんと発音できるようにする。

 これは、姫様から頼まれた絶対にしなきゃいけないことだから、優先順位1位だ。

 次に、することを許された手伝いを、きっちりこなせるようになる。

 自分からしたいと言ったんだ。教わったら教わったことを確実に実行しなければいけない。「子供がやってみたいとわがままを言うから、大人にとっては逆に手間だけれど我慢して手伝わせてやる」みたいな形で、姫様とジェイドさんの負担になることだけはしちゃいけない。

 そして、できるだけ早く浄化の魔術、できたら発火の魔術も使えるようになる。

 俺が魔術を使えるようになったら、きっと、姫様もジェイドさんも楽になるし、俺のQOLクオリティー・オブ・ライフも爆上がりすること確実ってもんだ。

 この三つが俺の当面の目標だ。

 やるべきことがはっきりと決まって、俺は少しほっとしたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る