第一章

第2話 すべての始まり

 金曜日の夕方、アパートの部屋で民法概論のレポートを書いていて、集中力がなくなったところでコーヒーでも淹れようかと立ち上がったときだ。

 突然足元に白い光の輪が広がった。

「わっ!」

 思わず声を上げて後ろに下がったら、足元の光輪が俺の足を追いかけるようにこちらに向かってきた。

 本能的にさらに後ずさったら脚がベッドにぶつかった。バランスを崩してベッドに座り込みそうになれば、光の輪がスピードを上げてこちらに迫ってくる。

 半ばパニックを起こした俺は、ベッドの上に立ち上がった。

 光の輪が、フローリングの床から水平に浮き上がる。

 「わ?! わ?!」

 ベッドの上でたたらを踏む。

 光の輪は布団の上にまでは上がってこなかった。掛け布団よりも少し低いところで、小さく上下に揺れている。ここまで上がって来れない光の輪に、俺はちょっとほっとした。

 改めて、光の輪を観察する。

 同心円状のいくつかの輪と、幾何学模様と、見たことのない文字らしいものが、びっしり並んでいる。どうも、俺の足元辺りに同心円の中心があって、そこを軸にゆっくりと左回りに回転しているらしい。

 これ、魔法陣か?

 魔法陣に見えるよな……

 それこそ、アニメか漫画に出て来るみたいな光の魔法陣だ。

 ベッドから床を覗き込めば、重心の移動に伴ってぎしりとマットレスが沈み込んで、同時に魔法陣が少し沈み込んだ。

 ……もしかして?

 俺はベッドの上に正座して、光の魔法陣に手を伸ばした。

 魔法陣は、俺の指先に押されるように水平を保ったまま下に移動した。

 どうやら、俺の体の一番下になっているところに接するように、魔法陣は移動するらしい。

 思い切って床の上に立ってみる。

 床の上に広がった魔法陣の直径は、ロングサイズのベッドよりも大きい。床を踏む俺の両足の中間点を中心に、ゆっくり回転している。

 試しに足は動かさずにお辞儀をしてみたら、魔法陣の中心が前に移動した。そのまま両腕を水平に前に伸ばしたら、さらに前、顔の真下辺りに中心が移動した。俺の体がはみ出さないように、移動しているのかもしれない。

 前後左右上下、どの方向に移動しても、魔法陣はぴたりと俺についてくる。移動のタイムラグはほとんどない。

 つまり、俺はこの魔法陣から逃げられないらしい。

 逃げられないらしいけれど、魔法陣はただ光って回ってるだけで、実害らしいものはない。

 えー。なんだこれ?

 もしかして、俺の目がおかしくなったとか?

 最悪、俺の頭がおかしくなったとかもある?

 いや、今まで普通に普通の大学生してた健康な20歳男子が、いきなり幻覚バリバリ見る精神状態になるって、ありえないだろ!

 そんなことを考えてたら、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴った。

 こんな時に、誰だろう?

 もしかして、この魔法陣に関係する誰かか?

 この状況を解決する可能性のある誰かからの接触なら、出ない選択はない。

 思い切って「はい」とインターホンに出たら、『シロネコトヤマですー』と返事があった。

 宅配便?

 あ! 通販! この時間に配達指定してたんだった!

 慌てて玄関に向かおうとして、一瞬立ち止まる。

 こんな状態で対応に出ていいのか?

 いや、手を離せないから、そこに置いといて、とでも言えば、玄関を開けなくても済むかもしれないけれど……どうする?

 少し迷ったけれど、よく考えてみたらこれは、状況を確認するいいチャンスだ。

 俺は、少しドキドキしながら玄関に向かった。

 高校ジャージの上下に靴下というデフォルトの部屋着のまま玄関でサンダルをつっかけたら、外から「わっ!」と驚いたような声が聞こえてきた。

 チェーンと鍵を開けてドアを開ければ、ドアの向こうに広がっていたらしい魔法陣を見下ろしていたシロネコトヤマ配達員さんが、ぱっと顔を上げた。

「すごいですね。プロジェクションマッピングってやつですか?」

 いや、プロジェクションマッピングって、ドアの向こうまで投影できないだろ。

 心の中でそう突っ込みながら「そうなんです。――サインで良いですか?」と誤魔化して、俺は中に布ものが入っている感触のする通販の袋を受け取った。

 鍵とチェーンを閉めて部屋に戻り、通販の袋をベッドに放り出し、俺は改めて足元を見た。

 どうやら、この魔法陣が見えるのは俺だけじゃないらしい。

 俺の頭がおかしくなったわけでも、俺の目がおかしくなったわけでもないと判明したのはありがたい。

「しかし、何も起きないなあ……」

 これが魔法陣で俺にくっついて移動しているのなら、俺に何かが起きそうなものだけど、何も起きない。

 実害ないならまあいいか、と思いかけて、「よくねえよ!」と俺は喚いた。

 謎の魔法陣が常に足元で光ってるなんて、そんなびっくり人間が存在するのを知られたら、大騒ぎになるだろ!

 どうしたらいいんだ?

 頭を抱えてしゃがみ込んだら、ふと、回転している魔法陣が、さっきよりも明るく光っていることに気付いた。

 あれ? さっきはこんなに模様が光って無かった気がする。それに、回転も速くなってないか?

 慌てて立ち上がって、魔法陣を見回す。

 明らかに光っている面積が増えてる。

「もしかして、これ、なんかが進行してんのか?!」

 じっと見ていると、ぱっと、光量が増した。模様の一部が光に塗りつぶされるように光り出したのだ。

 やばい? もしかして、なんかやばいこと起きてるのか?

 どんどん回転が加速して、どんどん模様の中で光に塗りつぶされる部分が増えていく。

 何かが進んでいるのはわかるけれど、俺には何もできない。

 逃げることも、止めることも、何もできない。お手上げだ。

「あーっ!! 痛いのと熱いのと苦しいのと寒いのとひもじいのは勘弁してくれーっ!!」

 誰にともなく心からの願いを喚いたとき、足元の魔法陣が真っ白に染まり、目を開けていられないほどに光り輝いた。

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