エピローグ

 目覚ましが鳴って窓ガラスが不透明から透明に変化した。


 外からのまぶしいくらいの光が寝室を照らして、飛雄馬はベッドの上で目を覚ました。


 寝返りを打つと見慣れた白っぽい天井が見える。


 いつもと変わらない宿舎の寝室だったが、今日はシーダーが借りていた拠点を新商会の拠点として購入する大切な日だった。


 飛雄馬は昨日わざわざ作業を早めに終わらせて寝たことを思い出して、腹筋と反動を使って起き上がった。


「今何時っすか?」

「共通時間で八時ちょうど、人間族標準的時間で六時三四分です。マスターは共通時間で七時間二一分眠ってらっしゃいました。

 朝食になさいますか?」

「頼むっす」

「和朝食セットをご用意いたします」


 生活支援AIのなでしこがいつもと変わらない控えめで柔らかな日本語で答えて、キッチンの全自動調理器が動き始めた。


「今朝はシャワーをお使いになりますか?」

「よく眠れたから今朝は止めとくっす」

「かしこまりました。朝食を準備できましたら声をおかけいたします」

「頼むっす」


 飛雄馬はベッドから立ち上がって、寝室を出てすぐのトイレで用をすませた。


 モンスターの群れとの戦闘に勝利し、その後始末の車両回収や回収した車両の被害評価、修理の手伝いで忙しい日が続いていたが、昨日は早めに寝たので体調は良かった。


(予定では一四時にみんな来るはずだから、今着るのは作業服で良いっすね)


 トイレから出た飛雄馬はその隣の洗面所に移動して、洗顔、ひげそり、整髪をすませ、Tシャツとトランクスからいつもの淡い水色のつなぎの作業服に着替えた。関係者が集まる部屋の準備はなでしこに任せていたから、それまでガレージで車両の被害評価をするつもりだった。


 被害評価する車両を思い浮かべながら飛雄馬が洗面所からリビングダイニングに移動したとき、全自動調理器はまだ動いていた。


「マスター、おはようございます。

 今だし巻き卵を焼いておりますので、朝食はもう少しお待ちください」

「おはよう、なでしこ。了解っす」

「また、ジュラ商会の新担当様のメッセージなど四七件のメッセージが届いております」

「多いっすね」

「本日のお祝いメッセージが一三件、お祝いをかねた売り込みのメッセージが一七件ありますので、最近の件数より大きく増えております」

「そんなにしゃべったつもりはないんすけどね……」


 飛雄馬は苦笑して、背の低いダイニングテーブルとセットになっているソファーに腰を下ろした。


 思っていたより早く、借り物ではない自分たちの拠点を持てることがうれしくて、何人かの知り合いに契約日まで話したことは確かだったが、話が広まる早さは飛雄馬の想像以上だった。


 気を取り直してまだ何も置かれていないテーブルにメッセージの差出人の一覧を音声操作で表示させ、名前を見ていくと、まったく付き合いがなくて、日本の名字っぽく意訳されただけの名前さえあった。


「この辺は名前を見てもさっぱり分からないから後回しっす」


 差出人が分かるものと分からないものに仕分けし、さらに食後に確認するものと夜に確認するものに仕分けをして、飛雄馬は一覧を音声操作で消した。間違って後回しにしたとしても、急ぎの内容であればなでしこが指摘してくれるはずだった。


 テーブルの上が片付いたときにはだし巻き卵も完成していて、作業用ロボットが運んできたほかの料理とともにテーブルに並んだ。和朝食のメニューは、白飯、豆腐とシイタケの味噌汁、だし巻き卵、テラスでなでしこに育てさせているキュウリのぬか漬け、麦茶だった。


 料理から立ち上る湯気と香りが空腹の胃を刺激して、飛雄馬は姿勢を正した。


「お待たせいたしました。

 どうぞお召し上がりください」

「いただきます」

「ニュースか音楽をお聞きになりますか?」

「ニュースをお願いするっす」

「かしこまりました」


 日本語に通訳されたニュースが流れる中、飛雄馬は箸で切り分けただし巻き卵を一口食べた。


 おいしい。


 ふわふわと柔らかく、だしがあふれ出してくる感じは日本で食べたものと同じ気がした。


(この味が好きだった気がするっす)


 断片的にしか思い出せなかったが、懐かしく幸せな記憶とつながった気がした。


 飛雄馬は口の中のだし巻き卵をよく味わって飲み込み、白飯と味噌汁、ぬか漬けにも箸をのばした。


「結構かかったけど和食を食べられるようにして良かったっす。次はだし巻き卵に大根おろしを添えて食べたいから大根を育ててほしいっす」

「かしこまりました。明日の朝食の際に調査結果をご報告いたします」

「頼むっす」


 この世界に大根が存在するのかから育てるのにいくらかかるのかまですべての調査も依頼して、飛雄馬はもう一口だし巻き卵を口に運んだ。大切に食べるつもりが三口目からは一口の大きさが大きくなって、結局いつもと変わらない時間で食べ終えてしまった。


「ごちそうさまっす。ぬか漬けもうまかったっす。

 再現にもっと時間がかかると思ってたから、魔法みたいっす」

「ありがとうございます」


 完食して麦茶を飲みながらなでしこをほめていると、流しているニュースが飛雄馬にも関係のある話題を伝え始めた。


 モンスターの群れとの戦闘で撃破し、回収した戦車のモンスターを修理して、町の防衛隊に配備するらしかった。


「二両とも修理するんすかね?」

「調べますか?」

「止めとくっす。契約の証人として来てくれる親方に聞けば分かるはずっす」

「かしこまりました」

「二両とも配備するのは大変だと思うけど、本当になったらうれしいっすね。戦車が増えればフサリアで遠出できるかもしれないっす」

「行きたいところがおありなのですか?」

「一番は海に行きたいっすね。子供のころに行ったきりだし、食べられる魚も探してみたいっす。荒野が嫌いになった訳じゃないけど、涼しいところや緑が多いところにも行きたいっす」


 飛雄馬はこの世界のまだ行ったことのない景色を想像して、麦茶を飲み干した。


「でも、今は仕事が優先っす。回収した車両モンスターの被害評価はまだ終わってないし、契約が終わったら新商会の拠点の引っ越しもしなければならないっす。メッセージの確認もあるし、麦茶をもう一杯と食器を下げてほしいっす」

「かしこまりました」


 すぐに作業用ロボットが新しい麦茶を持ってきて、空になった食器を台所へ運んでいく。テーブルもきれいに拭いてくれたので、テーブルの上は食事前と同じになった。


 飛雄馬は受け取った新しい麦茶を一口飲んでから、食後に確認することにしたメッセージを音声操作でテーブルに表示した。絞り込んだつもりでも、テーブルの上に紙が散らばるように表示すると思っていたより数が多く感じた。そのメッセージを手で操作して、飛雄馬は一件ずつ中身を確認し始めた。


「……新担当とリーダーは予定どおり来てくれるっすね。事前に連絡してもらえると助かるっす。

 防衛隊からは被害評価報告書の催促と論功行賞のためのオンライン面談の時間の通知っすか。昨日の分の報告書はみんなが来るまでに提出できるっすけど、面談時間がこの時間だとミカたちと飲み会に行くのは難しいっすね」

「予定を変更なさいますか?」

「そうっすね。ミカたちと戦車の足回りについて語り合えなくなったのは残念っすけど、ミカに契約のときに説明して、みんなにも伝えてもらうことにするっす」

「かしこまりました。夕食はどうなさいますか?」

「お願いするっす」

「かしこまりました。夕食のご希望はございますか?」

「さっき海のことを話したし、飲み会に行けなくなった分盛り上げたいから、この前もらった鮭っぽい缶詰を使った料理を食べたいっす」

「かしこまりました。検討いたします」

「まだいくつかあったっすよね?」

「はい、二缶ございます。

 時間はかかりますが、いくつか取り寄せますか?」

「お願いするっす。おいしかったし、一ダースほしいっす。ほかにも良さそうな缶詰があれば味見用にいくつか取り寄せてほしいっす」

「かしこまりました」


 なでしことのやりとりを終えて、飛雄馬はメッセージの確認に戻った。


 鮭っぽい缶詰はこの世界の海にいる動物を加工して缶詰にしたもので、少し手を加えると地球の鮭に色と味がよく似ていた。海のない荒野では高価で貴重なことが難点だったが、先日初めて食べて以来飛雄馬は気に入っていて、飲み会の代わりに一人で楽しむのならちょうど良い食材だった。

 焼く以外の方法でも楽しめそうだったから、なでしこならきっとまた美味しい料理を出してくれるに違いないと期待した。


「……あとは整備工場からのフサリアの整備報告書と仲間たちからのお祝いメッセージっすね。

 フサリアの整備報告は昨日簡単に聞いたけど、砲塔本体にほとんど被害がなくて良かったっす。この結果ならオーバーホールのときに応力除去をすれば大丈夫っす」


 飛雄馬は整備報告書の数値を見て安心した。


 フサリアはモンスターの群れとの戦闘で砲塔正面に多連装ロケットの子弾二発と一二〇ミリクラスの戦車砲弾一発の直撃を受け、装甲シートがすべて吹き飛ばされていたから、砲塔本体の装甲板も修理困難な被害を受けているのではないかとずっと気になっていた。


 それだけに防御が弱くなることはないと確認できたことはうれしくて、飛雄馬はお祝い要素を増やそうとなでしこに呼びかけた。


「なでしこ、夕食に日本酒っぽい酒も出してほしいっす」

「かしこまりました。ほかのお酒もお出ししますか?」

「そこまで飲むつもりはないからいらないっす」

「かしこまりました」

「あと、日本酒っぽい酒も取り寄せてほしいっす」

「かしこまりました」


 なでしこに飛雄馬のうれしさがどれだけ伝わっているかは不明だったが、飛雄馬は気にしないで再びメッセージの確認に戻った。


「……お祝いメッセージはどれもうれしいっす。シーダーの仲間たちと整備工場の先輩たちには今返事を書くっす」


 両者からのメッセージには飛雄馬個人に対しても戦車乗りとしてさらに成長し、活躍することを願う言葉が添えられていて、飛雄馬をより喜ばせた。今まで悩みながらがんばってきたことを認められ、後押しされている気がした。


 飛雄馬はすぐに音声操作で文章を音声入力する画面を表示して返事を作成する。


 メッセージを寄せてくれたことへの感謝を述べて、ミカならどう答えるか考えながら自前の拠点を持つ決意と目標を語った。そして、段落を分けて飛雄馬自身の抱負を述べた。


(一目置かれる戦車乗りになってみせるっす)


 フサリアに乗り始めて一年近く経ち、戦車戦も経験した以上、飛雄馬はもう初心者ではないはずだった。大きな被害を受けず、費用もそこそこにできていたから、一人前と言っても良いかもしれなかった。


 誰かに尋ねて確認したことはなかったが、モンスターの群れとの戦闘は飛雄馬の自己評価に大きな影響を与えていた。


 運良く戦車を手に入れた半人前から、実績のある一人前の戦車乗りへ。


 シーダーの仲間たちを追いかけていたときと違って「一目置かれる」の具体的な姿をまだ思い描けていなかったものの、飛雄馬は新たな目標に向けて改めて決意を固めた。

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話好きの自動車整備士が戦車に乗って一人前の冒険者を目指します @kaba2308

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