Episode4
「桜くん、さっきのはやりすぎだよ……」
「なぜでしょう?どこかですか?」
桜もといツクヨミは小首を傾げる。
「相手は何も知らない、普通の人間なんだよ?あのままじゃ……あんなやり方じゃ死んじゃうことだってあるよ……」
緋翠はそう俯いた。
「そうですか……なら、気を付けます。ですが、お一つお尋ねしても?」
「何?」と緋翠が聞き返す。
「あなたやこの者だって、普通の人間では?」とツクヨミは言った。
「どうだろう……こんな力があるのが、普通の人間って言えるのかな……」
目を伏せ、ツクヨミから目をそらす彼。
「……緋翠さん……?どうかしたんですか……俺、何かやらかしちゃいました?」
突然、いつもの桜の声が自分の耳に入った。
どうやらツクヨミは帰ったようだ。
「桜くん……」
「はい……」
「帰ろっか。いったん休憩しよう。ね?」
緋翠に連れられ、桜はインビジブルへと足を進めた。
インビジブルに戻るまでの間、緋翠は一言も話さなかった。
きっと、俺が何かしたんだ。訓練を始めて、あれを見つけて、緋翠が男性に声を掛けたあとから記憶が薄い。いや、記憶が無いに等しい。
緋翠さん、すみません……でもどうしても気になるんです……。桜は心の中で彼に謝罪し、意識半分だけを緋翠の中へと滑り込ませた。
声を掛けたあとのやりとりが、緋翠の記憶には残されている。まるで、映像を見るかのように、桜はそれを見ていた。
「……勝手に視るなんてエッチだな」
緋翠のその言葉で現実に戻される桜。
「桜くんは気にしすぎだよ。君が何かした、君が何かを言った。そんなことで傷つくような人間じゃないよ、僕は。それに、今さっきのは君じゃなくて、ツクヨミだ。桜くんは人の顔色を気にしすぎなんだよ」
「けど……」
緋翠は「あまり気にしすぎたら、禿げるよ」と彼の肩に手を置き、インビジブルの扉を開けた。
「二人ともおかえり」
赤夜は普段と変わりなく、彼らを出迎える。
きっと、彼のことだ。二人が事務所に足を踏み入れただけで、彼らに何があったのか感じ取っただろう。ほんの少し、表情が変わったのを緋翠は読み取っていた。だが、それを悟られまいと、赤夜は話を続ける。
「夕食、久しぶりにカレーにしたんだけど……ごめん、失敗したかもしれないんだ」
彼は顎をかく。
「え~!?社長!なんでカレーにしたんですか~!社長はカレー作ったら絶対に失敗するのに!」
緋翠は慌ててキッチンへと向かう。
玄関まで聞こえる二人の会話。桜は、小さく笑った。
「カレーだったら、俺が何とかしましょうか?」
桜は手を洗い、エプロンをつけると、緋翠と代わった。
「いい匂いって言いたいところですが……」
「やっぱり、変だよね?」
「だから言ったじゃないか、失敗したかもって」
「どうやったらカレーを失敗するんです?」
「それ僕もいつも気になるんだよね~」
「小麦粉から……」
「小麦粉から作ろうとしてたんですか!?」
やっと普段と変わりなく戻った桜。
鍋を覗き込む桜を、緋翠はほっとした顔で見ていた。
*
その晩、桜は窓から外をじっと見ていた。
「なんで俺の中なんだ……ツクヨミ……」
彼は闇夜を照らす月にそう呟く。だが、答えが返ってくることはない。
「何の関係があって俺にツクヨミなんだ……?なんで、俺だったんだ……?」
桜はそう月に尋ねる。月はただ輝き、闇夜を照らすだけで返事はしない。
深いため息を一つ。彼はベッドにもぐりこみ、静かに目を閉じる。
桜は夢を見ていた。
幼い日の、普通の生活を送っていた時の……。
朝、テーブルにきちんと朝食が並び、母親は笑顔を見せている。久しぶりに家族で出かけようと、母親は朝からお弁当を作っている。
「動物園に行ったら先に何を見に行きたい?」
母親はおにぎりを握りながら桜に聞いた。
「トラかな~、でも馬も見たいな~」
桜はそう答える。そんな息子を微笑ましく見る両親。
父親は「じゃあ順番に全部見て回ろうか。アイスも食べて、おみやげも買おうな」と笑った。
楽しく、普通の生活を送っているときの記憶が、夢として現れていた。
だが、突然場面が変わり、辺りは暗くなる。
静かな怖い声が聞こえてきた。
「だってそんな……」
「仕方ないだろ……こればっかりは……」
「でも……意識が戻る可能性の方が高いって……」
「戻ったとしても障害が残るかもしれないって言ってたじゃないか」
「だからって治療を
何の話だ……?桜はその声に耳を澄ませた。それは、両親の声で、自分の生死にかかわる話をしている。
「治療しても障害が残るかもしれない。だったら、このまま治療を止めた方が……」
「なんでそんなこと言うの……?やっと普通の家族になったのに……あの子の力が消えて、普通の家族になれたのよ?私たち。なのに……」
普通の家族、その言葉が頭から離れない。
この時にも、両親はそんな話をしていたのか……。
「このタイミングで事故に遭ったのも、もしかしたらこの子の力が影響しているのかもしれない。そうは思わないか……?」
父はそう言った。
「この事故だって、この子のせいだって言うの?」
「事故の原因が不明なんだ。そう思っても不思議じゃないか……」
母はそっと桜の髪をなでる。
「私は嫌ですよ……治療を止めるなんて……せっかく普通の……」
その続きを話さないまま、母は口を閉じた。
それと同時に、桜の意識も再び閉じられていった―――。
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