Episode2

「……妻?」

 桜は赤夜が発したその言葉を繰り返した。

「そうだ。あの時……桜の力を封印し、その記憶を消した巫女は私の妻だったんだよ」

 彼はそう説明する。

「私に見覚えなかったか?」

 桜は首を振った。

「だったら、彼女の封印と“ケシ”は成功したってことだ」

 桜は彼の隣に立つ緋翠を見る。だが、緋翠の顔に驚きの色はなかった。

「……知ってたんですね……緋翠さんもこのこと……」

「うん。知ってたよ。でも、僕から言う必要はないし、桜くんだって聞いてこなかった。そうでしょ?」

「でも……だからってこんな……俺は偶然ここに来たはずなのに……」

「偶然じゃないんだよ。必然だ。君がここに来ることは必然だったんだよ」

 部屋の空気が変わった。

「桜……?」

「……封印したはずの力が戻って、ここに来るのも必然で、ここで俺の力が強くなって……なんで……」

 桜の両手は強く握られていた。

 緋翠は赤夜に耳打ちする。

“桜くんのあれ、怒りです”と。

「桜、落ち着かないか?ちゃんと話すから、君が知りたいこと全部話す。だから、落ち着こう……な?」

「俺の両親がこの力を消してほしいって言ったんですよね……てことは、知ってたってわけだ。この力が何なのか」

「いや、ご両親は知らなかったよ。知っていたのは、君が失くしものを見つけるのが上手い、考えを読もうとする。それくらいだった。現に、あの時の君はそれくらいしか力がなかったんだ」

「たったそれだけの力だったのに、消そうとしたんだ……嫌ってたもんな……俺のこと……」

 嫌っていたわけじゃない。そう伝えるも、桜は首を横に振った。

「嫌ってたさ!あんたたちは知らないんだっ!俺が何か話そうとするたびに、とてつもなく怖い目を向けてた両親を……知らないんだよ……。俺が……どんな思いでずっと生きてきたのか……この力のせいで、仲間も家族も離れて……なのに、今度は力を必要としてるなんて言われて……どうしたらいいのか分からない……しんどいよ、もう……」

 初めて涙を見せた桜。緋翠はそっとその肩を抱く。

「桜くん、ごめんね。君の気持ち、ちゃんと分かってなくて。僕や社長も似た境遇だった。僕らは……少なくとも僕は、ここに来て救われた……。だから、君もそうじゃないかって……勝手に思ってたんだ。ごめんね……」

 そんな彼の言葉を受け入れることもなく、桜は目を閉じる。そして、再び目を開いたその時、彼の両目は今までになく金色に輝いていた。

「まさか……」

「完全に降りたんだ……ツクヨミが……」

 彼らの前に立ちあがる桜。雰囲気は全くと言っていいほど異なり、恐怖さえも感じるほどだった。空気が震える。まるで足には重りがついているかのように動けない。

「社長……外を見てください……これ、まさか……」

 時刻は午後一時ちょうど。だが外は、まるで真夜中のように暗くなった。

「これは……まさか、あなたが降りてきたから……?」

 赤夜は目の前に立つ桜……ツクヨミにそう声をかける。

「だとしたら、どうします?」

 彼が、ツクヨミが口を開くたびに空気が凍りそうなほど冷気が当たる。

「なぜ、外をあんなに暗く……?」

は夜の神。それはそなたたちも知っているはず」

「だからと言って夜にしなくても……」

 緋翠はそう口にした。

「不満ですか?」

「不満とかじゃ。でも、どうして桜くんの体を……」

「これは、我の生まれ変わり……いや、我そのものなんですよ」

 ツクヨミはそう告げる。

「そのもの……?」

 緋翠がそう尋ねる。だが、ツクヨミは口を開くことはなかった。 

 空気が張り詰める。

 それを破ったのは、携帯に届いた緊急メールのメロディーだった。

「“天変地異か、大地震の後に現れた突然の夜”……これ……」

 緋翠が読み上げる。

「タイミングがいいというか悪いというか、桜にツクヨミが降りたからね」

 赤夜は外を見ていた目をツクヨミに、もとい桜に向けた。

「我が理由なく、この者に降りてきたとでも思っているのですか?」

「理由があって降りたと……?」

「我は悪魔でもなければ、邪気でも妖魔でもないんです。理由なく姿を現すなど、あるわけもない」

 心外だと言わんばかりの顔を赤夜らに向けるツクヨミ。

「では……どんな理由があって……」

 緋翠はツクヨミに尋ねた。

「この者は、自らを閉ざそうとした。我はそれを抑えに来ただけです。この者の負の感情は周りにも影響を及ぼす。これ自身が闇に呑まれるのを防ぎに来ただけですよ」

 彼は言った。

「……もし、桜くんが闇に呑まれたら……どうなるんですか?僕たちが呑まれるのとは……わけが違いますよね」

「無論、その通りです。この者が呑まれたら……少なくともこの国は滅びます」

「滅びる!?そ、そんなに……!?」

「ええ。これの力はそれほどの影響を及ぼすのですよ。最近頻発している地震、あれは滅びる前のいわば……前兆です。かつて、稲荷神の祠を壊しましたよね。あの時にはすでに地震が起きていた。それをこの者は無意識のうちに、稲荷神を収め地震を落ち着かせていた。だが、最近はこの者自身も乱れていたのでしょう。……」

 ツクヨミは目を伏せる。

「桜をどうする気ですか?」

 赤夜は聞いた。

「この者しか、この国は救えません。地震を抑えられるのもこの者だけ……つまり、滅びるのを防ぐにはこの者の力が必要なんですよ」

「で、でも……桜くんはそれがしんどくて自分を……それなのに頼めないですよ……彼に申し訳ない……」

「ならば、滅びる道を進むだけ」

 そう突きつけるツクヨミ。

「なにか、方法はないのですか?」

「ありません」

 赤夜が問うても、彼はそう答える。

「彼の意識を一旦お返しします。よく考えることですね」

 ツクヨミが還ったのか、桜の瞳は徐々に金の光を失っていく。それと同時に体の力が抜け、その場に崩れ落ちた。

「桜っ!」

「桜くんっ!」

 横たわる桜をそっと抱きかかえる赤夜。

「……社……長?」

「桜、大丈夫か……?」

 彼は目を伏せ、ゆっくり口を開いた。

「ツクヨミが降りたんですね……俺に。全部、聞いてました……。俺が……何とかしないとってことですよね……」

「桜……辛いんなら……」

「俺だって嫌ですよ、力を使って自分の身を滅ぼすのは。この力のせいで嫌われて離れていかれたのに、今度は必要だなんて矛盾してるのも嫌です。でも、この国が滅びるのはもっと嫌なんです。だったら……俺しかいないですよね」

 彼はそう言ってまっすぐに赤夜を見る。

「なら、せっかくのこの力……使いますよ。月の力、借りちゃいましょうか」

 桜は悲し気に微笑んだ―――。

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