第四章

Episode1

 一言主の事件以来、桜の力はさらに強さを増した。

 彼は人の感情に敏感になり、強く念じさえすれば相手の思考を読み取ってしまうほどに。それは便利な反面、コントロールができないと辛いものだった。

「桜くん、僕が今何を考えているか分かる?」

 緋翠は教育係として、桜に力のコントロールを教えていた。

〈オムライス食べたい〉

 桜は顔をほころばせ、「何でオムライスなんですか?」と答える。

「やっぱり、君の力は前よりも強くなってるね」

「それは……俺も感じてますよ。前まではいくら頑張っても考えていることなんて読み取れませんでしたから。でも今は、強く念じられれば分かってしまう……。俺って、もうすでに人間じゃないですよね」

「桜くんは人間だよ!?そんなこと言わないで。ほら、続きやるから読み取って」

 緋翠はまたあの顔をする。あの悲し気な表情を、彼にさせてしまった。

〈今日の夕飯はオムライスにしよう〉

「だから、何でそんなにオムライスにこだわるんですか」

「食べたいからに決まってるでしょ!社長に言ってさ、今日はオムライスに……」

 がたっ、がたがたがた……と建物が音を立てる。

「地震だ!」

 緋翠が叫ぶ。

〈地震です 地震です 強い揺れに注意してください〉

 二人の携帯が同時に危険をしらせる。

「緋翠さん!震度五だって!」

「揺れが収まったら社長にも連絡しよう!」

 二人は、身を守りながら揺れが収まるのを待つ。

 一分ほどして強い揺れは感じられなくなった。

「僕は社長に連絡するから、桜くんは地震情報を確認して!」

 緋翠はそう指示すると、携帯を手に赤夜に連絡を取った。

『午前十一時二十分ごろ、兵庫県南部を震源とする地震がありました。震源の深さは約十キロメートル、地震の規模を示すマグニチュードは四.六、最大震度は五弱を観測しています。この地震による津波の心配はありません。被害状況などは現在調査中ですが、家具が倒れるなどの被害が予想されます。足元には……』

 テレビのニュースをつけると、緊急速報が流れていた。

 お昼の情報番組、ドラマ、バラエティー番組、ニュース放送、テレビで見かける番組全てが地震情報を報せていた。

 大きな揺れだったのだろう。情報を伝えるキャスターも顔がこわばり、手元にはヘルメットが届けられていた。

「桜くん!情報はどうなってる!?」

「津波の心配はないみたいですけど、かなり大きかったようです。浅いところでの大きな揺れですからね……余震も気になりますし……。あ、社長は!?」

「大丈夫だ。こっちに戻ってくる最中だったって。もうすぐ着くと思うよ」

 二人は身の回りの物をまとめ始めた。何かあったときにすぐに避難できるようにと言う、日ごろから赤夜に言われていることを思い出したのだ。

「緋翠さん、こっちはもうすぐ終えられますけ……ど……」

「え?なんか言った?」

 自室から顔を出す緋翠。リビングには立ち尽くす桜の姿。

「桜くん?桜……くん……?」

 緋翠は彼の正面に立った。

「なんで今……」

 桜の瞳が薄い金色に光る。それは力を使っているという証拠だった。

「社長もいないのになんで……」

 桜を座らせるべく、彼の体を支える緋翠。だが、身長が高い桜。こうなっているときの彼はびくとも動かない。

「もう、無駄にでかいんだからさ……」

 何とか体を支えながら動かし、倒れたときにケガしないようにとソファーに座らせる。と、その時「二人とも大丈夫か!?」と赤夜が血相を変えて飛び込んできた。

「社長!ちょうどよかった……桜が例のアレなんですよ」

 緋翠の背中で隠れていた桜を覗き込む赤夜。

「何が……どうなって?」

「分からないんです。全く何も……。いつでも避難できるように荷物をまとめていたら、急にこれですよ。桜くん、あれ以来……頻繁にこうなりません……?」

 緋翠はそう彼に言う。

 一言主が桜に降りてきてからと言うもの、二週間に一回のペースでこうなっていた。それが最近では一週間に一度になり、つい三日前にも。

「桜?聞こえるか?」

 だが、彼の体が動くこともなければ、瞼ですら動くことはなかった。

「もしかしたら……いやでも……」

 赤夜は首を傾げ、頭を掻いた。

「社長……?」

「これは推測だが……桜のと、今回の地震と関係があるかもしれないな……」

「関係?地震と桜くんのこれが?それってどういう……」

 緋翠は尋ねる。

「何かの神が……桜に地震を知らせているのかもしれない……」

「もしそうだとしても、地震を知らせるって……あ、……」

「いや、そのかもしれないぞ」

 二人はその名を口に出さなかった。

「……ん……」

 顔をしかめ、桜は閉じていた目を開けた。

「緋翠さん……あ、社長……」

「やっと目覚めたか」

「え……あ、もしかしてまた俺……」

 桜は状況を察したようだ。

「なんかすみません……俺、最近多いですよね……」

 表情が暗かった。

 ここに俺がいたら二人の迷惑になるんじゃないか……?彼の心にはそんな言葉が渦を巻き、こうなる度にかせとなり付きまとってきた。

 そんな桜を緋翠はじっと見る。

「……桜くんさ、変なこと考えるのやめなよ?僕たちは迷惑だなんて思ってない」

「え……」

「知ってるでしょ?僕だって心を読めるんだよ。桜くんが考えていることなんて、簡単に分かるんだから」

 桜はうつむいた。

「君たち二人は私が欲しかった力を持ってる。羨ましいよ……それだけで話すことが出来るんだからね」

 赤夜はそう前置きし、再び口を開く。

「桜、碧の言う通りだよ。私たちは君がいることを迷惑になんて思わない。むしろ、いてくれた方が良い。そう思って今まで来たんだ。これからも、それが変わることはないよ」

 彼ははそう言った。

「でも俺……最近こんなことが頻繁に起きて、こうなってるときの記憶が薄いって言うか……だから、無意識に二人を傷つけてたり……だから俺は……ここにいない方が……。一回でもこんな力が無くなったんなら復活しなければ良かったのに……消してくれた人も二度と復活しないように消してくれれば……」

 桜は己の力を邪魔に思っていた。

 そんな彼の感情が、緋翠に痛みとなって突き刺さる。

「桜くん、その力は君にとっても、僕たちにとっても……この世界にとっても必要なものだよ。その力を消した人だって、きっと苦渋の決断だったはずだよ」

 刺さる感情に顔を歪めながらも、緋翠はそう伝える。だが、桜は首を横に振った。

「消す力が弱かったんだ……だから俺は……っ!」

 突然、空気を切り裂くような音が響く。

「社長……っ!」

 赤夜が桜の頬を叩いた音だった。

 彼は痛みが残る手を握りしめ、そっと静かに言った。

「妻だ……桜の力と記憶を消したのは……私の妻だよ―――」

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