Episode6
事務所を飛び出した桜は、止まることなく走り続けた。
「桜くん!乗って!」
車に乗った緋翠が声を掛ける。
その声に促されるまま、桜は助手席に乗り込んだ。
「急に走っていっても住所分かんないでしょ!?それに、一人で行動はしないで。何かあっても離れてたら助けられない。いい?」
桜は申し訳ないと謝った。
車は発進し、交差点に進入していく。
「そこの高速道路を使いましょう!その方が十五分は短縮できますから!」
桜は目の前に迫る高速道路を指さしながら言う。
「よし、分かった!……え……?」
緋翠はそれに従ったものの、なぜそれを知っているのかと疑問に思う。隣に座る桜を見るが、彼はまっすぐに前を見て、自分の視線に気づいていない。
十分ほど高速を走り、出口に差し掛かったころ、またも桜が口を開いた。
「そこの交差点を渡ったら、左に。その方が近いですよ。そしたら左側にマンションが見えてきますから」
「う、うん……了解」
なぜ……桜は磯田のマンションも住所も知らないはず。それどころか、ここに引っ越してきてまだ十日ほど……どうして……。
ふと緋翠が彼の顔を見る。
その目は真剣で、まっすぐに見つめている。
「桜くん?」
声を掛けると、桜は彼を見た。
「あ……」
「どうかしました?」
「ううん。何でもない。急ぐね」
そう声を掛けると、桜はまたまっすぐに前を見つめる。
フロントガラスにうっすらと映る桜の顔。その中央には、薄く金色に光る二つの光。彼の瞳だった―――。
力を無意識に使っているのか、それとも意図して使っているのか。それすら不明だが、もし力を使っているのなら、知らない住所でもたどり着くことはできるだろう。だが……。運転しながら、緋翠はずっと考えていた。
「この左の茶色の建物、磯田のマンションです!四階の四〇二号室ですよね?俺、先に行ってますんで車停めたら急いできてくださいね!」
マンションの下に車が止まると、一目散に駆けていく桜。
「四〇二……本当に……?」
駐車場に車を停め、桜が口にした“四〇二”を目指す。
四階にたどり着くと、確かにこの階で間違いはなかった。
「霊気……」
そして、四〇二号室の目の前。
「マジか……」
霊気どころか、何やら普段はお目にかかれない代物に出会ってしまったような、そんな気がしていた。
部屋の中に一瞬、赤夜の姿が見える。
「社長!桜くんは!?」
「碧!こっち来てくれ!」
赤夜の切羽詰まった声。ただ事ではないと、慌てて中に入る。
「こ、これ……」
緋翠が目にしたそれは、リビング中央に開く“霊界”への入り口だった。
まるで騙し絵のようなそれは、大きく口を開き、灰色の無数の手が伸びていた。その中に一際白い手が、磯田の両足首を掴んでいる。
「引き揚げろ……!碧!引っ張れ!絶対離すな!」
「やってますけど……っ!引く力が強すぎて……!社長!桜くんは!?これ、二人じゃ……」
赤夜と緋翠が引っ張るが、何本もの手に引かれる磯田の足は、既に片方が暗い闇のような口の中へと入りこんでいた。
「た……たす……離さないで!助けてください……っ!いや……いやだ……っ!」
渾身の力で腕と肩を持ち、引き続ける赤夜と緋翠。だがその手は少しずつ力を失っていく。
「桜……桜くん!」
桜を呼ぶ緋翠。だが、彼の返事は聞こえることはなかった。
「社長!桜くんは!?まさかここに落ちたとか言いませんよね!?」
「違う!落ちてない!桜は、あそこだ……!」
離せない手の代わりに、顔を動かし、彼の居場所を伝える赤夜。
その先は、寝室だった。
「桜くん!こっちきて!手伝って!」
「無理だ!何回声かけてもあのままなんだよ!」
赤夜は説明した。
「ここに入ってきた桜は、玄関をじっと見たあとそのまま寝室へ向かった!……くっ……そのあとから動かない!彼を引き上げながら桜の様子を見ていたが、天井のシミを見て、動かないんだ!……磯田さんっ!上がろうとしてください!ここに足かけて!」
磯田を引き上げながらも説明を続ける赤夜。
「桜はあのシミに気づいたんだよ!私が説明する前に、寝室に入って天井のシミを見た!まるですべて知っているかのようにね!……あと少し……磯田さん、ここに……足をっ!」
寝室に立ち尽くす桜。
天井に手を伸ばした瞬間、シミから細長く黒い何かが下りてきた。
「触るな!桜くん!それに触るな!」
「桜!それは放っておくんだ!触っちゃいけない!」
二人で声を掛けるが、桜は……それに触った。その瞬間、それはどす黒さを増し、桜の右手に巻き付いた。
「桜くんっ!」
それはどんどん溢れ、ついには桜の右腕を吞み込んだ。
「……ふっ……」
笑った。桜は呑まれた腕を見つめ、天井から降りてくるそれを見て、笑ったのだ。
「……笑ってる……どういうこと……」
緋翠は一体何がどうなっているのか、さっぱり見当もつかない様子だった。
「……そこにいてないで、出てこい……お前なんだろ……あれを苦しめて、現象を起こして、あいつを祟ろうとしてるのは……」
桜はそう言うと、左手を伸ばし、それに触れた。そして苦痛に顔を歪めながら、その中に左腕を突っ込んでいく。
「見つけた……霊の正体……」
ずぶずぶと音を立てながら引き抜く桜。
出てきたのは、白い小さな破片だった。
「こいつは取り返しに来ただけだ……これを取り返すために、あんたに付きまとってただけだ」
桜の手のひらに置かれたそれは、骨だった。
「あんたはこれを玄関に隠し持ってた。誰にも見つけられないと思ったんだろ。でも、こいつには気付かれてた。だからこれを取られないように、札を貼った。けど、それが逆効果だった……。取れないと分かったこいつは、あんたに攻撃したんだよ。扉を開けたり、部屋を荒らしたり、鏡に映ったりと古典的な嫌がらせを。幽霊はこうするという固定概念を利用したんだ。そうしたら……あんたがここからいなくなる。札も剥がれるって……これを取り返せるって……」
それは溢れ出るのを止めた。
〈お゛お゛お゛ぉぉぉ〉
だが、それは不気味な鈍い叫び声を上げる。やがてそれは、声に変わった。
〈か……えし……て……〉
それは徐々に形を形成していく。
「磯田祐輔、自首するんだ。あの山林の遺体、この女性とその子ども……この骨は、その子どもの……だよな?お前は、あの親子を撥ねた。違うか?見つかるのが嫌で山林に隠した……違うか?」
桜は突拍子もなくそう告げる。だが、磯田は目を丸くさせ、桜を見ているだけだった。
「社長も、緋翠さんも、その手……離していいですよ。こんな奴、落としてやればいいんですから……」
「桜、何するんだ……!?」
桜はおもむろに三人に近づくと、右足で磯田の肩を思いきり踏みつける。そしてそのまま足を奥へと押し出していった。
「やめるんだ!桜くん!それをしたら磯田さんは落ちるんだぞ!足をどけろ!」
緋翠が叫ぶが、桜の耳には入っていなかった。
「わ……わか……じ、自首する……だから……お、おとさ……落とさないで……私が、私が轢いたんです!……夜、暗くて……仕事帰りで……だから……私が殺しましたっ!」
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