第一章
Episode 1
桜が舞う季節。
まだ少し肌寒さが残る今日、
「アレ……多すぎだろ……」
誰にともなくそう呟いた桜は、歩みを進め、古びたビルに足を踏み入れた。
湿った空気が流れる建物、今にも崩れそうなコンクリートの階段。
けれど、最上階にまで進むとひときわ真新しい開き扉がそこにはあった。
「失礼します……」
彼はノックし、扉に手を掛ける。
「……っ!」
静電気でも走ったかのように、手が痛んだ。
「……君ってやっぱり、強いんだね」
痛む手を握り俯いていた桜は、目の前に人が立っていることに気づかなかった。
「あの……」
「初めまして、僕がここの管理人兼探偵の
開き戸から顔だけをのぞかせ、彼はそう挨拶した。
「俺は……」
「月詠桜くん、だよね?社長から聞いてるよ。隠しても無駄だから先に言っておくけど、君の経歴も調べさせてもらった。で、社長が問題ないって判断したから、君はここにいる。今日からよろしくね、桜くん」
自らを緋翠碧と名乗った彼は、そっと桜に手を差し出す。
「よろしくお願いします……」
「よろしく。じゃあ、さっそくで悪いけど、中に入ってくれる?一通り説明しておきたいんだ。ここでの仕事とか……色々ね」
事務所内に招き入れられた桜は、一歩入って驚く。
古びた外観のビルに、今にも崩れそうな階段。そして真新しい開き扉。それだけでも驚きなのに、室内は“新しい”を通り越して最先端だった。
電気が勝手に……桜は天井を見上げる。
「見てびっくり、だよね?君が想像している通り、この事務所内全ての電気は人に……というか、熱に反応する仕組みになってる。もちろん、手動でもいけるけどこっちの方が便利だから、社長がこうしてるんだ。水道も自動ね、手を出せば出てくるし、ハンドソープや消毒もディスペンサー式。お風呂は手動だから。ちなみにテレビも手動だから安心して」
緋翠はそう説明し、笑った。
「君は……家は決まってるの?こっちに越してきたんでしょ?」
「家は……まだです。なかなか決まらなくて……」
「そう……。だったら、ここに住んじゃえば?僕だってここに住んでるし、社長も極たまにしか帰ってこない。帰ってきたところで、僕らがここに住んでいても何も思わない人だし。君が嫌じゃなければ……だけど」
彼はそう言った。
「良いんでしょうか……迷惑じゃ……」
「全然迷惑なんかじゃないよ!それに君がいた方が安心だし、この仕事をする以上は持ちつ持たれつの関係じゃないと。じゃあ、決まりってことで良い?」
あっという間に住むところが決まった……桜はあっけにとられていた。
「あ、あの……家賃とか……光熱費とか……」
「そう言うの気にするタイプなんだね。じゃあ、給料から引かせてもらう。それで大丈夫?僕も社長にそうしてもらってるし」
桜はうなずいた。
「ところで……緋翠さん、さっきから言ってる社長は……今日はどこに……」
「“出張”に行ってるよ?」
「出張……?」
「うん、出張。と言っても普通の会社員のような出張じゃないけど……。まあ……“除霊”って感じかな」
除霊、それは物や人に取り憑いている霊を取り除き、祓うこと。
ここはそんなこともするのか……。
「そうだよ」
突然、緋翠がそう言う。
「君の考えを読んだだけさ。ここはね、ただの探偵事務所じゃない。表向きはそうだけど、実際の仕事は霊障に悩まされる人たちを助ける事務所なんだよ」
彼がそう言うと、桜は息をのんだ。
そう説明する彼の顔はどこか恐ろし気で、ほんの一瞬だけ瞳の色が変わったように見えた。
「緋翠さん、俺は……ここで何か役に立つのでしょうか……」
桜はそう言った。
この力のせいで、自分から大切な人たちが離れていくのを身をもって知っていたからこその、その言葉だった。
「月詠桜くん、君が欲しいからここに呼んだんだよ。役に立つとか、そう言う問題じゃない。僕たちには君が必要なんだ」
そう話す彼の目は真剣で、まっすぐに桜を見ていた。
「とりあえず、部屋に案内するから、荷物を置いておいで。詳しいことはそれからだよ」
彼は桜の肩に手を置き、そう言った。
「あ、その前に申し訳ないんだけどテレビだけ消してもらえる?またつけっぱなしだと社長に怒られるんだよ。僕は消すのを忘れるタイプの人間でね」
緋翠はそう笑いながら言うと、冷蔵庫からお茶のポットを取り出しグラスに注いだ。
〈次のニュースです。昨夜、北区
*
「ここが君の部屋だからね。社長には許可をもらってるし、自分の好きなようにカスタマイズしていいから。ベッドを動かすのも、タンスを動かすのも良し。もちろん、壁だって好きな壁紙があればそれに張り替えても良し!自分の部屋なんだ、好きなようにDIYして良いからさ!」
DIYしていいと言われても……と桜は困ったように笑う。
「ちなみに僕の部屋見る?」
緋翠は自分の部屋へと彼を連れて行った。
「ここが僕の部屋ね。はい、中どうぞ」
彼に勧められるがまま、桜は部屋の中へと足を踏み入れる。
不思議な感覚に体が陥る。
足が重い……肩を押されているような……なんだこれ……
「やっぱり、君って強いよね。君が感じてるそれ、この部屋に置いてる札のせいだよ」
「……札?」
「そう、これのせい」
彼は一枚の札を手に、桜に見せる。
「僕は一度……霊に
彼は札を見つめていた。
「緋翠さん……あっちって……もしかして……」
「いわゆる……“霊界”ってやつかな」
「霊界……ですか。やっぱり本当にあるんですね……そういうのが……」
桜はそうつぶやく。
「桜くんは……あ、ううん。じゃあ、僕たちの仕事の説明させてもらってもいい?社長に任されてるんだ。君の教育係を!」
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