番外編 エステルの侍女2
――わたしの朝は早い。
朝は陽が昇る頃に起床。
まず朝の礼拝をする。(なぜかレイヴンもついてきてくれて、となりでちょこんと待ってくれている)
それから、軽く朝の勉強をして、アスラン様と朝食をいただく。
「ぽめっ!」
「美味しいの? レイヴン、よかったね」
「その子……、最近はその姿なんだね」
レイヴンが、どういう判断で人の姿を取るのか、ポメラニアンの姿になるのかわたしは聞いたことがないので知らないが、いまは恐らくカリナがついたので様子を見ているのだと思っている。
食事を終えて、レイヴンの口の周りを丁寧に拭いてあげた後は、レイヴンをカリナに預けて、アスラン様と一緒に執務室に向かう。
最近では、書類の振り分けの仕事以外に、わたしが代理決済していいという書類も増やしてもらえている。
「エステルは本当に、覚えるのが早いよね」
「? そうですか? 普通だと思いますけど……」
言いながらも、さくさくと書類を仕分けしていく。
「……もうちょっとゆっくりやってくれたほうが、僕としてもエステルと一緒にいる時間が長くなるから嬉しいんだけどなあ」
「アスラン様は、この後も予定がたくさん詰まってるじゃないですか。……だったらわたし、早く終わらせてゆっくりお茶するとか、夕方に一緒に庭園をお散歩するとかしたいです」
「……夕暮れのお散歩、いいね……!」
それって、エステルが手を繋いで一緒に歩いてくれるんだよね……! とアスラン様が訪ねてくるので、「もちろんです、仕事が終われば」とにっこりと答えておいた。
「エステル様は……、殿下の扱いがすっかり上手になられて……」
と、アスラン様が次の仕事に向かった後に、クラウスさんにぽろりと言われた。
アスラン様のお仕事の手伝いを終えると、私の部屋で留守番をしてもらっていたレイヴンとカリナを迎えにいく。
次は、庭師のマルティスさんのところに行って、庭園の手入れのお手伝いをするのだ。
「エステル様、お疲れ様です」
いかにも庭師、といった、がっしりとした体つきのマルティスさんは、ここの庭仕事を30年間ずっと続けているのだと、本人から教えてもらった。
「今日は、この木と、この花と、あそこの……」
わたしが水やりをすると、元気がなかったり、病気に罹りかけていた植物たちが、たちまち元気になるのだそうだ。
毎日顔を出して、レイヴンと3人で植物に水をやりながら、庭の歴史の話や、時にはアスラン様の小さかった時の話を聞かせてもらう。
「アスラン様がまだお小さかった頃……、お母様に花冠をプレゼントしたいからって。俺のところに頼みにきたんですよ。手が汚れるのも嫌がらないで一生懸命に作って……、こんなこと言っちゃ不敬かもしれませんが、それはお可愛らしくてねえ……」
「そうなんですね……!」
アスラン様の幼少期……!
言われるまで考えたこともなかったけれど、アスラン様にだって子供の頃はもちろんあったわけで。
さぞ可愛らしい、天使のような子供だったんだろうな……! と、想像だけで胸がいっぱいになる。
「ああ、確かその時、カリナ様も一緒にいらっしゃいませんでしたか?」
「あの時は、兄がアスラン様の側仕えでしたから」
たまたまその時、私の面倒を見る人がいなくて、兄につき添わされたのだと思います、とカリナが答えた。
「じゃあ、カリナもアスラン様の幼少期を知ってるんですね……!」
「……はい。私の兄が、アスラン様と同時期の生まれで。それで母が、アスラン様の乳母になっておりますので」
アスラン様の成長を見てきている人がここにいた!
え、羨ましい、羨ましすぎるのですが……!
「う、羨ましいです……!」
あっ、思わず思っていたことがそのまま口から出てしまいました……。
「あの、肖像画などでしたら、幼少期のお姿も残っていると思いますので、お見せすることはできると思うのですが……」
「み、見たいです!」
考えるより先に、カリナの手をとって懇願する。
アスラン様の幼少期……!
ただでさえ今でも天使みたいなのに、小さい頃なんて、絶対可愛いに決まってる……!
「かしこまりました。それでは、閲覧申請を取って参りますので、少々お待ちいただけますか」
そういうと、カリナはすたすたと足速に手続きに向かっていく。
「……エステル様は、本当に殿下のことがお好きなんですなあ」
マルティスさんが微笑ましそうに、わたしに向かってそう呟いた。
ガチャリ、とカリナが重厚な作りのドアの鍵を開ける。
「エステル様。その……、念のためですが。こちらの部屋にお入りの際には、レイヴン様を抱きかかえていただいたほうがよろしいかと」
「ぽめ?」
確かに……。
レイヴンがやんちゃして絵画や美術品を傷つけることはそうそうないとは思うが、外聞的なところもあるもんね。
みんながみんな、レイヴンが人化できる魔獣で、人と変わらない知能を持ってるなんて知らないわけだし。
わたしはカリナに「わかった、そうするね」と言って、レイヴンを抱き上げようとして――、その瞬間ふと思いついてカリナに言った。
「やっぱり、カリナが嫌じゃなければ、わたしが見ている間、カリナがレイヴンを抱いていてくれませんか?」
「わ、私ですか?」
わたしの提案に珍しくカリナが動揺する。
「……」
「カリナが嫌なら、無理にとは言わないけど」
「……、いえ、かしこまりました。エステル様がゆっくり閲覧できるよう、私が抱き上げています」
そう言うとカリナは、恐る恐ると言った様子で、ゆっくりとレイヴンを抱き上げた。
「ぽめぇ……」
「わ……」
「よかったね、レイヴン。可愛いお姉さんに抱っこしてもらえて」
「ぽめ!」
そうしてわたしは、カリナのおかげで、ゆっくりとアスラン様の幼少期の肖像画を、堪能することができたのだった。
はぁ……、眼福……。
「あの、ありがとうございます」
「え?」
わたしが満足して、美術品の置かれていた部屋から出ると、なぜかカリナが改まってわたしにお礼を言ってきた。
「アスラン様が……、あんなに明るく、嬉しそうに笑うようになられたのは、間違いなくエステル様のおかげです」
「……」
カリナが、レイヴンをぎゅっと抱きしめながら、遠慮がちにわたしに告げてくる。
「エステル様がいらしてから、確実に、この皇宮は明るくなりました。私は、そのことのお礼がしたくて、エステル様の侍女に志願したんです」
それに、とカリナが言葉を続ける。
「私、その、動物が好きなんですけど、なぜか動物からは好かれなくて。レイヴン様みたいな、もふもふした生き物を触れる人が、羨ましいなって、ずっと思っていたんです」
「そ――」
そうだったんだ。
確かに、ちょっと挙動が不安げだから、どちらかというと動物が苦手なのかと心配していた面もあったのだけど。
「そんな私が、こうやってレイヴン様を抱き上げることができて、私に抱き上げられても、大人しくしていてくれて。最初に、レイヴン様が私に前足を差し出してくれた時も、嬉しくて倒れそうでした」
よもや、あの瞬間に、カリナの心の中でそんな感動が巻き起こっていたなんて。
全然気づかなかったよ……。
「私も、まだまだ侍女として未熟な面もありますが、誠心誠意、エステル様に支えて参りたいと思います。こんなこと、改めて言うべきことではありませんが……。改めて、何卒よろしくお願いいたします」
そうやって、わたしに向かってペコリと頭を下げるカリナの姿は、最初に見た落ち着いた姿とは違った、等身大の女の子の姿に見えて。
「はい。こちらこそ、まだまだ未熟な面もたくさんありますが、わたしのこと、支えていってくださいね」
こうして、わたしにもようやく、信頼のできる侍女を得ることができたのだった。
もう私『へとへと聖女』ではありません! 〜婚約者から偽聖女扱いされて追放された私は、隣国で皇太子に溺愛されました〜 遠都衣(とお とい) @v_6
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