第3話

 蒸しかえるような濃い血の匂いが部屋の中に充満している。その中で私は地面に手をついて倒れた姿のまま盗賊の姿を見ていた。

 人を三人殺したこの盗賊の顔にはどんな表情も浮かんでいなかった。嫌悪感も、歓喜も、何の表情も見られない。ただ無表情のまま静かにそこに立っている。

 ふと、目が合った。その瞬間、息が止まって身動きが出来なくなった。盗賊の青い目に魅入られた訳ではない。純然たる恐怖が体の底から湧き上がってきた。

――殺される!

 そう思った。

 ゆっくりと盗賊がこちらへと歩き出した。体が震えだす。逃げ出したいのに動くことが出来ない。目を離すことも出来ずに固まっていると、盗賊との距離がゆっくりと縮まっていく。

 私、死ぬの? どうすることも出来ず心も体も強張らせる。ぎゅっと目を瞑るが――しかし、私に剣が振るわれることは無かった。

 盗賊はただ私の横を通り過ぎ、割れた窓へと向かっていく。

 どっと汗が噴き出す。突然再開できた呼吸を荒く繰り返す。男が視界から消えたことで何とか動けるようになった。

 そのまま逃げればいいのに、私は振り返り、盗賊の姿を目で追った。

 窓のそばに立っていた盗賊の姿を確認した次の瞬間、窓の外が強く光った。あまりの眩しさに目を瞑り、顔をそむける。

 光はすぐに消えたようだった。目を開けて視線を戻すと、盗賊がこちらを見ていた。

 三度、目が合う。恐怖は相変わらず自分の体を縛っていた。ただ、今度は息も出来たし、体も動いた。一言疑問を口にする。

「貴方は、誰?」

 先ほどの男と同じ質問。

 そして、問われた男も同じように答えた。

「盗賊だ」

 答えた男は今度こそ、私に近付いてきた。

「……殺さないの?」

 私は思わずそう聞いてしまった。

「死にたいのか?」

「そんなわけ! ない……わよ」

 大声を出そうとしたのに、最後の方は下を向き声は小さくなってしまった。

「選べ」

 唐突にその男がそう口にした。自分に言われたことだとすぐには気付けなくて、数秒遅れて顔を上げる。男がすぐ近くに立っていた。

「……え?」

「このままここで野垂れ死ぬか。一緒に来るか」

 この男は何を言っているんだろう?

「……私に盗賊になれってこと?」

「いや」

 この男が何を言いたいのかさっぱり分からない。一緒に来い? 盗賊になるのでなければどういう意味なのだろう……。

 ただ、どうやら私は殺されることは無いらしい。つまり私はこの男に助けられたということか? 盗賊に?

 「……いやよ。誰が、誰が盗賊なんかと……」

 確かに助けられたことになるのだろう。しかし、安心する訳にはいかなかった。この男は盗賊で、そう――

「人殺しなんかと」

 数分前に私の目の前で人を殺した、人殺しなのだ。

 恐怖は消えていない。先ほど起きた出来事を、光景を忘れてはいない。自分がいつ殺されてしまうか、次の瞬間には、そこにある死体と同じになってしまうかなんて分からないのだ。そう、同じ、死体……と――

「うっ」

 見てしまった。今更の様に再び吐き気が込み上げてくる。口を手で押さえて喉までこみ上げてきたものを、吐き出さないように何とか耐えて私は答えた。

「……私は、村に帰るのよ」

 それだけ言うのが精一杯だった。再び気付いてしまうともうどうにもならなかった。どんどん気持ち悪くなってくる。先ほどよりもさらに濃く漂う血の匂いが、私に追い討ちを掛ける。

 もう、耐えられなかった。

「う、えぇ」

 吐き出されたのは胃液だけだった。そういえば朝ここに連れてこられてから何も口にしていない。

 そんな息も絶え絶えな私に、男は思いもよらない事を言ってきた。

「…カリアスの村か。あそこにもうお前の居場所は無い」

「……え?」

 顔を上げて盗賊を見る。

 今この男はなんと言った?

「何を……」

「すぐにわかる。…ああ、その前に、ロエン」

 疑問の答えを口にする前に、男は私の後ろの方、部屋の扉があるところに向かって声を掛けた。

 私はびっくりして振り返る。そこにはいつの間にか一人の男が立っていた。――何故か顔を真横に向けて。

「何か着る物を持ってきてくれ」

「分かりました」

 そう答えてロエンと呼ばれた男はこちらを見ることなく部屋から出て行った。

(……服?)

 なぜ今、服? 着替えるのだろうか? 誰が? そういえば何故今さっき現れた男は顔をずっと横に向けていたのだろう……。

 ……。

 ……。

 ……気付いた。

 一気に顔が耳まで赤くなる。

 私は半そでのシャツを着ていた。が、それは少し前までの話だ。今は服を引き裂かれて下着しか身に着けていなかった。つまり――

(ずっと見られていた!?)

 きっ! と振り返り睨むと、そこにはもう誰もいなかった。

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