ひまりアウェイキング-003
満身創痍を超えて、死に体の甘楽に抱えられた日鞠は、すぐさまポジションを逆転させ、甘楽を抱き抱えた形で距離を取った。
やった。やらかした。やってしまった!
九尾に押されるあまり、日鞠たちは甘楽とリオンの戦闘領域にまで押し込まれていた。
これほどまでの怪我を負ってなお、自身を守るために動いた甘楽は、ギリギリ意識があるかないかといった様子。
呼吸は浅く、胸に空いた穴からはとめどなく血が零れている。
このままでは、甘楽は死ぬだろう。間違いなく、それほどの時間も必要とせずに。
「かんかん!? しっかりして、ねぇ、甘楽!」
即座に回復魔法を発動させるものの、あまりの傷の深さにほとんど意味を成さない。
この場で最も回復に長けているのは立華だ。
そう判断するより早く立華を見つけ、日鞠は甘楽を押し付けるように預けた。
「治療! 早く!」
「──っ、了解!」
正確に言えば、立華は回復を得意としている訳ではない。
立華や甘楽を含め、誰もがまだ気づいてはいないことではあるが、立華がその身に宿した勇者の力……『悪性への特攻』の本質が、ここに作用していた。
悪性への特攻、その本質──即ちそれは、使用者が悪だと断じたものへの特攻。
それは概念にも、事象にも作用する、この世界における最大最強の力。
立華がそれを悪だと断じれば、それは悪となる。
悪に対する特攻とは、それに行うムーブによって決まる。
立華がその傷を悪だと断じれば、それに行われる立華の回復は、桁違いの効果を発揮する。
この世界であろうとも、有り得ない速度で傷が塞がれていく。それを一瞥した日鞠は、小さく息を吐きながら、ひかりと共に杖を構え直した。
「へぇ……九尾だけでも手こずってたってのに、俺も含めて相手してくれるのかい? そりゃ嬉しいが……力不足だと思うぜ」
「小僧、邪魔だァ! この小娘らは、俺様の獲物だぞォ!」
「そう言うなって、共同戦線ってのも悪くはないだろう?」
じっとりと、嫌な汗が流れ落ちる。並んだ一人と一匹に、濃厚な死の気配を日鞠は感じていた。
勝てない。そのことが、ただの事実として分かる。
──恐ろしい。
本能のままに一歩引きそうになった日鞠の肩を、誰かがポンと叩いて前に出た。
「良いな、それ。どっちもまとめて叩き潰せて、都合が良い」
甘楽だった。傷口はまだ塞がり切っていない。あちこちの傷はそのままで、胸からはとめどなく血が滴っていた。
だというのに、その声は力強く。
霞み切っていた瞳は、今や強い輝きを取り戻していた。
「……何だよ、何でまだ、立ち上がるんだよ。何で立ち上がれるんだ! お前は、俺には勝てない! 分かるだろう!?」
「勝てる勝てないの戦いじゃないだろ、勝つ。その為の戦いだ」
「──そういうところが! 癪に障るんだ! いい加減、黙って死ねよ!」
放たれた攻撃を、甘楽は紙一重で躱し、防ぎ、弾き返す。
先程まで、全くと言って良いほど反応できていなかったリオンの速度に、甘楽は既に追いついていた。
火事場の馬鹿力とでも言うべきなのか、彼の演算速度は追い詰められれば追い詰められるほどに加速する。
目で追えずとも、半ば未来予測をしているかの如く、リオンの遠近交えた攻撃をほとんど完璧に捌いていた。
一対一のままであれば、あるいは勝機はあったかもしれない。
けれども敵は今、明確にもう一ついた。
「落ちろ」
軽やかに空を舞う甘楽が、不意に重力を思い出す。ガクンと不自然に落ちながら、それでもリオンの一撃を辛うじて回避していた。
危うい戦況でありながらも、決して堕ちることはない。
こちらに流れ弾一つも寄越せないその背中はまるで、「後は全部任せて」と言っているようだった。
気が抜けそうになる、全てを任せそうになる──そう思ってしまう自分が、日鞠は心底許せなかった。
違う、こんなのは間違っている。
自分がいるべきなのは、甘楽の後ろじゃない。
自分がいるべきなのは、甘楽の隣であるべきだ。
一方的に、守られる対象であってはいけない。
互いに守り合えるようにならないといけない。
退くな。
任せるな。
託すな。
甘えるな。
背負え。
前を向け。
戦え!
今、彼の隣に立たずに、いつ立てる!?
一人の少女は、静かに一歩踏み出した。
臆することはない。
怯えることはない。
ただ、自身の信念の為に。自身の理想の為に。
葛籠織日鞠という少女は、憧れた彼の隣に、ようやく並び立つ。
「甘楽の隣は日鞠のもの。ね、そうでしょ~?」
「や、今は下がってて──うおっ」
「そうだって、言って欲しいな~」
「……ああ、そうだよ。あの時言った言葉に、嘘はない。俺の隣に並んでくれるのは、日鞠だ」
言葉には力が宿る。
大きな言葉には、相応の力が秘められている。
その力はきっと、全てを照らす光にも、全てを覆う暗闇になり得るものだ。
人が、環境が、想いが、それを決定するのだろう。
であれば。
だとするのならば。
その一言はきっと、日鞠にとってはかけがえのない輝きで。
背中をそっと押してくれる、優しい力なのだった。
世界が待ちわびていた瞬間が来る。
星々が待ち続けていた瞬間が来る。
極光が心待ちにしてた瞬間が来る。
物語が一つ、道を踏み外す音がした。
運命が、切り替わる音がした。
光の果てへと、少女は一歩踏み込んだ。
「
日鞠の全身が、輝きに彩られていく。極光による衣服が、星々による宝飾が仕立てられていく。
純白のドレスに、淡い光のベール。
彼女に手向けられた光は、世界を塗り潰した。
踏み台転生したらなんかバグってた 渡路 @Nyaaan
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