第25話 洋上に舞う愛のギロチン
「船長! 二時の方向の空に異様な物体がっ!」
日本近海の洋上に浮かぶ大型客船。
総トン数五万トン程の純白の船体。
日本の港を離れ、遠く外国の海へと向かうその操舵室で、双眼鏡を手に航海士が叫んでいた。
「あれは島だっ! 島が空に浮かんでいますっ!」
「何を馬鹿なッ! 俺にちょっと貸してみろッ!」
動揺する航海士から双眼鏡を奪い取り、髭の男が注視する。
白い制帽に白い制服、その肩には四本の金筋が入っている。
「ほ、本当に島だッ! 島が飛んでいるぞッ!」
船長の視界が、双眼鏡の対物レンズの向こうに、宙に浮かぶ漆黒の島影を捉えたその時、操舵室の天井が轟音とともに突き破られた。
「ぐわあああーッ」
船長の背中が血飛沫に染まる。
突き刺さる鋭い鉤爪が、瞬く間に船長の肢体を操舵室から船上の空へと放り投げる。
「ンマンマンマっ! 船ごと宙吊りにするつもりが、こんな疲れたダサ男を吊り上げてしまうとは、あたくしのイスパニア仕込みのフィッシングの腕が鈍っている証拠ざーます!」
ヌウウウッと客船の上空を巨大な黒い影が覆う。
客船の船体を遥かに凌駕する程の、巨大な金髪ロングヘアの女。
黒いボンテージ姿の肢体からは八本もの蜘蛛の脚を垂らし、その先端が四つの鉤爪に分かれている。
『うふふ。巨大スペインの蜘蛛さん! 妾の魔法陣の力で少しばかり大きくなり過ぎてしまいましたことねっ!』
蜘蛛女の遥か上空を通過する拷問島から、拷問女帝カルナージュの声が響く。
「ンマンマンマっ! 人間どもを滅ぼすに、普段のあたくしのサイズでは不十分ざーます!」
蜘蛛女はそう言って、鉤爪の先端に突き刺さる白い制服姿の船長を見やると、
「プウウッ」
と息を吹きかけた。
「うあああああーッ……」
芥子粒程の白い糸屑が大海の藻屑と消えていく。
「おもぉぉかぁぁーじいっぱぁぁーいっ! 全速で逃げ切るぞっ!」
混乱する客船の操舵室では、航海士の叫びに、操舵手が慌てて舵輪を大きく回し、舵を切っていた。
グラリと船体が右に大きく傾く。
「よし! 逃げ切れるぞ!」
航海士が窓の外へと目を向ける。
「と、飛んでいるっ……?」
進行方向、その視界の全てから海が消えていた。
ただただ、澄み切った水色の空が窓の外に広がっている。
「ンマっ! この脚で一度掴んでしまえば、すぐに手放したくなる陽気なラテンの性分! 惚れた男にすぐ飽きるスペイン女の哀しい性でざーますっ!」
ガシッと四つの鉤爪が客船の船体を挟み込むようにして掴む。
「そーれっ! 海の向こうへ流れていけーっ!」
ポイッと鉤爪を放し、荒れ狂う大海へ、回転する客船が落ちていく。
「「「ぎゃあああーっ……」」」
ザバアンと波しぶきを立て、乗客・乗組員併せ千人余りの命が海の藻屑と消えた瞬間だった。
◇
「あ、あれは何だっ!」
「空一面に鳥が! 鳥が飛んでいる!」
「いいや島よっ! 島が飛んでいるわ!」
地上約二百五十メートルで人々が叫ぶ。
日曜日の午後、多くの家族連れや若いカップル達が訪れる、東京タワー・特別展望台。
間近にレインボーブリッジや、お台場の街並みを望む東京湾の方向。
「「「グウウエーッ! グウウエーッ!」」」
大海に繋がるその狭き入り江の空を、数万羽の怪鳥が埋め尽くす。
その怪鳥の群れの中に姿を現す、暗黒の島影。
「「「きゃあああーっ! 島がぶつかるーっ!」」」
切り立つ崖に囲まれた拷問島がブオオオンと空気を揺るがす音を立てながら、東京タワー特別展望台の窓を掠めていく。
バリバリーンッと、掠める空気がタワーの窓ガラスを割っていく。
「うわあああーっ」
「きゃあああーっ」
割れたガラスが展望室内に飛散する。
押し寄せる空気の波が、タワーをグラリと大きく撓ませる。
「と、通り過ぎたのか……」
ガラスの散乱する展望室内において、かろうじて無事であった者達は、離れゆく島影にその胸を撫で下ろした。
◇
「まあ。人間どもの巣食う東京とかいう都は、ゴミみたいな建造物がごちゃごちゃしていて目障りですわね……」
空中に浮く島影に聳える、拷問城の大広間。
黄金の玉座に腰掛ける拷問女帝カルナージュが、手にした水晶玉を覗き見る。
妖しげに紫光を放つその水晶には、高層ビルのひしめき合う東京の街並みが映し出されていた。
「……まるで地中の蟻の巣のように、この建物の中から人間どもがウジャウジヤと湧いて出るなど、想像しただけで鳥肌が立ちますわ。妾はこう見えて、虫は大の苦手ですの……」
カルナージュは、赤い切れ長の瞳で水晶玉を睨み付けると、
「お片付け、お願いね。スペインの蜘蛛さん!」
と水晶に映る東京の空に向かい告げた。
『ンマっ! 合点承知ざます!』
水晶の中の東京の空に、八本の脚を広げた蜘蛛女の姿が浮かぶ。
スペインの蜘蛛は、水晶玉いっぱいに自身の金眼の釣り目を映し、拷問女帝カルナージュに冷ややかに笑いかけた。
◇
「ンマンマンマンマっ! このあたくしが、カルナージュ様から大変名誉な人間世界のお片付けを申し付けられるなど、まさに恐悦至極の極みの至りに存じざーます! なればこのスペインの蜘蛛、誠心誠意、人間世界の大掃除をさせて頂きざーます!」
シュパパパアーッと尻の先から蜘蛛の糸を放出し、蜘蛛女が東京の上空を飛ぶ。
「必殺! 東京丸ごとキャッチャーっ!
蜘蛛女の叫びとともに、グウウーンッと蜘蛛の脚が伸び始める。
グサグサグサグサッと文字通りに四方八方へと伸び広がった脚の先端が、地上に林立する高層ビル群へと襲いかかる。
「うわあああーッ」
「きぃやあぁぁーッ」
ガシッと、四つの鉤爪がビルの核となる柱を挟み込み、建物ごと空中へと掴み上げる。
地中から掬い取られた蟻の巣から、蟻の群れが零れ落ちるかのように、空中に浮くビルの隙間から人々の悲鳴が零れ落ちる。
「ンマンマンマっ! 一度に八方向のビル街をお掃除出来て、大変効率がよろしいざーます! これこそ主婦の知恵袋。お母さん毎日お掃除ありがとうと、坊ちゃん嬢ちゃん達から感謝の言葉を頂戴するのが楽しみざーますね!」
空中を漂う蜘蛛女が八方向に伸びる脚の先端を見て、笑う。
八本の脚の先に突き刺されたビルが、今にも崩れ落ちそうだ。
「ンマっ! これをどこかに片してしまいたいざーますね。どこに片せばよござーますかね?」
掬い上げた側から崩れていくビルを見やり、蜘蛛女が困惑する。
「そーざます! さっき通った東京湾とか言う水たまり! あの水たまりこそ、人間どもがボウフラのように浮くのに適した溜め池のようなものざーます!」
ハッと釣り目の金眼を大きく見開き、蜘蛛女が思わぬアイデアに独り頷く。
「そーれっ! ジャポンの海へ、じゃぽんと飛んでけーざーます!」
ブンブンブンッとその脚を激しく振るう蜘蛛女。
ボチャン! ボチャン! と次々に東京湾へと崩れたビルが沈んでいく。
「ンマっ! ジャポンの海へボチャンと沈むとは、日本男児のビルざますかね? ジャポンの坊ちゃん、なーんて、ぐひひ……」
独り笑いの止まらぬ蜘蛛女。
その頭上に数万羽の怪鳥と、暗黒の島影が忍び寄る。
『スペインの蜘蛛さん! 変な駄洒落を言ってサボっている暇がおありなら、アイゼルネ・ユングフラウさんの様に貴女も永遠に薔薇にそのお肉を引き裂かれてみますこと?』
蜘蛛女の頭上を掠める島影から、拷問女帝の冷ややかな声が漏れ聞こえる。
「ンマンマンマっ! 変態シスターの二の舞にはなりたくないざますっ! リキ入れて東京の大掃除を続けるざーます!」
焦る蜘蛛女の脚が、再び八方向へ伸びていく。
「「「ぎぃやあぁぁーッ……」」」
ズガッ! ズガッ! と四方八方を容赦なく突き刺し続ける蜘蛛女の鉤爪に、人間達の悲鳴が絶え間なく東京の空に響き渡る。
『まあ。だいぶ片付いてきましたわね。スッキリして見晴らしもよろしくなったことですわね!』
浮動する拷問島が、陽の光によって、東京の大地にその影を落とす。
大地に映された島影を遮る物は、もはやその一帯には何一つ無かった。
東京湾から続く東京の街並みは、上空を通過する蜘蛛女によって根こそぎ掘り起こされ、ビル一つ無い更地の続く無人地帯へと変貌していた。
『あら。スッキリし過ぎて、却って寂しいですわね。では、ここを一面の薔薇畑にしてしまいましょう! 咲き誇れ!
空に浮く拷問島から、一輪の巨大な薔薇が、更地となった大地へと放たれた。
高層ビル一棟分程の大きさはありそうな、巨大な真紅の薔薇。
薔薇の茎が、掘り起こされた大地に深く潜り込むように突き刺さる。
すると、ボコボコボコッと四方八方の地面が盛り上がり、無数の蕾が地中から顔を覗かせた。
パアアアッと一斉に薔薇の花弁が花開く。
『うふふ! 妾の薔薇が咲き乱れてこそ、東京の街がより美しさを発揮しますわね!』
拷問女帝の声が上空の島から漏れ聞こえると、大地に根を張る無数の花弁から、赤い霧が噴き出されていった。
◇
「うわっ! キャットのそれは何だいっ? なかなか美味しそうだねっ!」
バナナチョコを頬張る霧斗が嬉しそうに、猫耳の燕尾服の少女に話しかける。
竹下通りの中程、ピンクの外観のオシャレな雰囲気のクレープの店。
店の前に置かれたベンチには賑やかな仲間達の姿があった。
「ふふふっ。何だと思いますか? 実は高級キャビアが入っています。にゃん!」
執事の少女は、そう言って手に持つクレープを霧斗に自慢げに見せつけた。
黒く小さな粒が、ふんだんに敷き詰められた生地を覗かせ、スキニング・キャットが優しげに笑う。
「オーッ! 猫女さんはお金持ちの猫さんなのかしらーっ? アタシのストロベリーのクレープと大違いだわーっ……」
既に口の周りをクリームでべったりと汚したギロチーヌが、キャットの持つキャビアのクレープを物欲しげに見つめる。
どさくさに紛れてショップを出てしまったのか、ギロチーヌは試着のままのゴスロリの黒のドレスを着ていた。
「スキニングっちは、昔っから、こういう時には必ず気取ったフリをするんだニャン! 普段は倹約第一でケチがそのまま服を着てるみたいな、ドケチにゃんこなのにニャン!」
その隣で猫耳ナース服の少女がクレープ生地からはみ出るサーモンに齧りつく。
「へえーっ。仔猫の姉妹さん達は、キャビアにサーモンに、やっぱり魚系が好きなんだねーっ!」
ポニーテールの聡明な瞳の少女が抹茶チーズケーキを頬張ると、
「ハルカンは抹茶をチョイスするなんて、おしとやかな性格がそのまま表れてますぅ。わたしは甘い物が苦手なのに、冒険心からキャラメルチーズをチョイスしてしまいましたぁ……」
黒いベレー帽を被った三つ編みの少女が、チーズケーキの塊を口にしようとして躊躇う。
「うん、やっぱり守るべきは仲間の笑顔だな……」
ベンチに佇む一同の楽しそうな光景に、霧斗の頬も思わず緩む。
敵として対峙していたスキニング・キャットは、口では首を狙うと公言しながらも、ギロチーヌとまるで友達同士のように接している。
ギロチーヌの無邪気さは誰の心をも和ませるのだろうか。
「見てみろよーう。あんなにダサい男が、何人もの女の子とハーレム状態でクレープ食べてんぞううう?」
「ほんと! 日本男児のカザカミにも置けない女たらしっ! ああいう男が日本の恋愛格差を広げて少子化を促進するんだよーっ!」
その時、ペアルックのピンクの縞々シャツのカップルが、ベンチに座る霧斗を囃し立てた。
「ぼくちんだったら、ミーたん以外の女性は、女のうちに入らないみょーん!」
「まあ、タっくんったら、あたし以外の女の子をみーんな男だと思ってるわけえー?」
お互い相撲取りのような体型の、お坊ちゃんカットの「タっくん」と、ちょんまげのように前髪を縛った「ミーたん」とが、向き合って突っ張りをし合う。
「何だよ? この二人いっつもボクのことバカにするよなっ?」
「オーッ! オンナッタラシ? ケスクセ?」
霧斗が不機嫌に呟き、ギロチーヌが疑問に首を傾げた、その時だった。
スルスルスルッと突如、空中から伸びた脚が、タっくんの背中を突き刺した。
「ぐぅえっ……ミ、ミーたんっ……」
鋭い四つの鉤爪。
そのうちの一本が、タっくんの背中を抉り、空中へと持ち上げる。
「タっくうううぅぅーんっ……」
ミーたんが壮絶な悲鳴を上げたのも束の間、もう一本の鉤爪がミーたんの背中を抉る。
「ぎぃやあああぁぁーっ……」
そのまま肉を握り潰され、タっくんとミーたんが空中で屍へと化したその側で、
「ンマンマンマっ! ギロチン女と愉快な仲間達を握り潰してご覧あそばすつもりが、相撲取りを握ってしまうとは、なんてザマざーます!」
ヌウウウッと突然姿を現した巨大な影が竹下通りの空を覆う。
「うわあああっ! お、お前はスペインの蜘蛛おっ……」
霧斗が上空に目を向ければ、そこには通りの道幅を遥かに超える程の、巨大な金髪蜘蛛女の姿があった。
「ンマっ! 初対面だと言うのに、この坊ちゃんは何故にあたくしの名を存じアゲアゲざーますっ? だったら話も早いざーます! ギロチン女共々、ここに居る坊ちゃん嬢ちゃん達を血祭りお祭りフェスティバルで纏めてフィーバーさせるざーますっ!」
頭上に広がる八本の蜘蛛の脚。
その全てが竹下通りの路上に目がけ突き進む。
「ぎぃゃあーっ! 怪物だあァァーっ……」
「助けてーっ! パパーっ! ママあーっ……」
通りを行き交う人々が大混乱に陥り、逃げまどう。
「うわっ! ギロチーヌちゃんっ! 斬首だっ! 斬首執行だあーっ!」
空を斬り降下する鉤爪に、霧斗が渾身の叫びをギロチンの少女にぶつける。
「いやああああああああーっ! 虫いやあああああああああーっ……」
しかし、そこには頭を抱えて泣き喚くギロチーヌの姿があった。
「やっ、やっぱりギロチーヌちゃんは蜘蛛女とは戦えないと言うのかっ……?」
狼狽するギロチーヌに、霧斗が困惑した矢先、
ガキン!
「うわあああっ!」
「きゃあああっ、ミカルンっ!」
「きゃあっ、ハルカンっ!」
鉤爪がクレープ店のベンチを突き刺し、横倒した。
「油断してはなりませんッ! にゃん!」
キャットが霧斗を、ギロチーヌを、そして晴夏を、美香流を庇う。
「ようし! ここは、あたしがニャンとかするニャッ!」
キャタナイン・テイルズのナース服のスリットの隙間から、九つに裂かれた猫鞭の尻尾が炸裂する。
「
バシィンッ! バシィンッ! と、九方向から繰り出す猫鞭が、通りを襲う八本の蜘蛛の脚を叩き落としていく。
「ンマあーっ! あたくしの可愛い八つのアンヨが全て撃墜されたざーますっ……」
ズンンンッ。
竹下通りに覆い被さるように浮かぶ蜘蛛女が、八本の脚とともに落下、路面に叩きつけられる。
「うわあああっ……」
「きゃあぁぁっ……」
通りに逃げまどう人々が蜘蛛女の下敷きにならぬよう必死に身を躱す。
「すっ、凄えっ! 蜘蛛の脚が全部打ち落とされたぞっ……」
「ふっ。蜘蛛の脚は八本。テイルズの尻尾は九本。どちらの数が多いのか、小学生でも出来る算数です! にゃん!」
予想外の有利な展開に驚く霧斗に、キャットがしたり顔で答える。
「ンマっ! 裏切り者のスキニング・キャット! 疾うに用無しのお前に、九本もの尻尾を持つバケモノ級の妹が居たなど衝撃の新事実ざますっ……これは、あたくしの手に負える代物ではないざます! カルナージュ様あーっ!」
路面に突っ伏す半泣きの蜘蛛女が、上空を見上げて叫ぶ。
「「「グウエエエーッ……」」」
すると、突如として原宿の空一面を数万羽の怪鳥が覆い始めた。
ゴゴゴゴォッ、と空気を振動させる轟音とともに現れた巨大な島影。
「ご、拷問鳥に、拷問島ッ? ま、まさか島ごと浮かんで来たとはッ……にゃん」
空を見上げキャットが驚愕する。
『うふふふ。スキニングさん、ご機嫌いかがかしら?』
無機質な岩肌を晒す巨大な島が、原宿・竹下通りに暗い影を落とす。
まるで東京の空を丸ごと覆い尽くすかに思える暗黒の島から、拷問女帝カルナージュの声が響き渡る。
「ま、まさか島が空を飛んで来るなんてっ! 一体どういうことだよ、スキニング・キャットっ?」
「あの島は我らラ・トルテュール一族の本拠、拷問島ッ! その上に聳え立つ拷問城ごと東京に飛来するとは、もはや人間達を滅ぼすつもりであるとしか考えられませんッ! にゃん!」
頭上を覆う島影に慄く霧斗に、キャットも衝撃を隠せずに答える。
「何だって? 人間を滅ぼすだってっ……?」
キャットの言葉に、霧斗も衝撃を禁じ得ない。
「そんな……そんなことがあってたまるかよ。ギ、ギロチーヌちゃん、あの島をギロチンで攻撃出来るかいっ……?」
霧斗が、傍らのギロチーヌに問いかける。
「いやあああああーっ! 虫いいいいいーっ! 虫いいいいーっ……」
すると、ギロチンの少女は、頭を抱えて泣き崩れたままであった。
「な、何だよっ? 蜘蛛女はキャットの妹さんが叩き落としたって言うのに……?」
霧斗は戦慄した。
スペインの蜘蛛はキャタナイン・テイルズによって戦闘不能に陥っている。
そんな負け犬のような状態の蜘蛛女であっても、ギロチーヌには忌むべき虫の醜悪な姿に映るのだろうか。
「あらっ? こちらのマドモアゼルは昆虫がお嫌いですの?」
その時、霧斗とギロチーヌの目の前に、深紅のドレスを身に纏ったブロンドの長い髪の女が忽然と姿を現した。
赤い切れ長の瞳で、黄金の王冠を被った気品のある女性。
歳は二十代なのか三十代なのか、見た目には分からないが、魔性の魅力が醸し出す若さを感じさせられる。
「こんな負け犬など妾の部下には必要ありませんの。お邪魔なら、消させて頂きますわ!」
そう言って王冠の女が胸から浮き出た真紅の一輪の薔薇を、ヒュッと投げつける。
「ンマあっ? カルナージュ様あっ? あたくしに何をなさるのざますっ?」
竹下通りの路面を塞ぐ蜘蛛女の図体。
金眼の釣り目が恐怖に怯えるその眉間に、一輪の薔薇が吸い込まれていく。
「ンンンマママアアァァァーッ! あたくしのアンヨが薔薇でバラバラざぁーますーッ!」
八本の蜘蛛の脚を、その付け根からもぎ取るようにして肉を食い破る無数の薔薇の蕾。
「ンンンマァ……カルナージュ様のご期待に……お応えできず……無念ざます……」
ボトッボトッと、もげ落ちる蜘蛛の脚から咲き乱れる真紅の薔薇の花弁の中で、蜘蛛女が息絶えた。
「お前、拷問一味の親玉だなっ? 手下になんて酷い事をっ!」
「まあーっ? いくらアタシが虫さんがキライだからって、ここまでヒドイ目に遭わせたら、可哀想じゃないっ?」
突然の蜘蛛女の死に憤慨する霧斗とギロチーヌ。
「ふっ。拷問女帝ともあろうお方が、自ら地上に降り立つなど、隙だらけもいいとこですね。にゃん!」
「あたしも倒しておきながら同情するニャン。いくらニャンでも酷いニャン……」
猫鞭の姉妹も、突然地上に降り立った拷問女帝を取り囲む。
「
「跳びかかれ!
「
瞬時に変化したギロチンの刃、皮を剥ぐキャットの猫鞭の尻尾、九つに裂けたテイルズの尻尾が、三方向からカルナージュへと襲いかかる。
「うふふ。妾に子供騙しの小道具などが、通用すると思っていらっしゃるのね。お可哀想なこと!」
深紅のドレスの女がフッとその姿を消す。
ブウン!
ヒュルルルッ!
ヒュン、ヒュン!
ギロチンの刃と、姉妹の猫鞭が、虚空を撫でたその刹那、
「出でよ!
パッとその上空に姿を現した深紅のドレスの女が叫ぶ。
女のドレスの胸元に三輪の真紅の薔薇が現われる。
「永遠にその身を切り裂かれ、苦しむがいい! ギロチン女ッ! スキニング! キャタナイン!」
赤い切れ長の瞳を吊り上げた女が、胸の三輪の薔薇を引き抜き、地上へと投げつける。
「きゃあーっ? アタシの胸に赤い薔薇が吸い込まれてっ?」
「にゃんと言うことです? 私の中に薔薇がッ? にゃん……」
「ニャンかヤバいよこの薔薇っ……」
ギロチーヌ、スキニング・キャット、キャタナイン・テイルズの三人の胸にそれぞれ消えていく三輪の真紅の薔薇。
「うわあああっ! ギロチーヌちゃん! キャット! テイルズ!」
霧斗が慌て叫んだ時には既に遅かった。
「きぃやあああぁぁーっ……」
「にぃぎゃあぁぁぁーんっ……」
「ニャギャアァァァーッ……」
ゴスロリの少女と燕尾服の少女とナース服の少女のそれぞれが、その肉体から服を突き破る無数の薔薇の蕾に悶絶する。
「うわあああああああーっ!」
目の前の惨状に、咆哮にも似た狂った叫び声を霧斗は上げずにいられなかった。
「い、伊乃地君、苦しいよ……」
「ハ、ハルカン、い、伊乃地君、わたし達、もうお終いです……」
霧斗の背後から桃未知晴夏と一ノ瀬美香流の声がする。
見れば、二人とも喉元を押さえ、呼吸を苦しそうに呻いていた。
「な、何だ、この赤い霧は……」
気づけば、辺り一面には赤い霧が立ちこめ、その視界を覆い始めていた。
「うふふ。妾が東京の街に植えた無数の薔薇が浄化の霧を吐き出しますのよ」
空中から拷問女帝の笑い声が聞こえる。
「な、何だって……こ、呼吸が出来ない……」
霧斗が喉を押さえ、彷徨い悶えたその時、
「アタシの胸を……触って……ね?」
視界を覆う霧の中からギロチーヌの掠れた声が聞こえた。
「ギロ……チーヌ……ちゃん……」
夢中で霧の中に差し出す掌が、薔薇の花弁の下に柔らかな乳房の感触に触れる。
スパアァァーン。
その瞬間、呼吸に詰まった少年の首が霧の中を舞い落ちた。
◇
「ボク、死んだ……?」
少年が深い微睡みから目を覚ます。
「気づきましたか? にゃん」
目を開ければ、そこには燕尾服の少女が心配そうに覗いていた。
「オーッ! アンリ小父さんがそんなにも偉い人だったなんてアタシも驚きだわーっ!」
その傍らには、目を丸めるギロチーヌの姿があった。
「こ、ここは竹下通りのゴスロリ・ショップ……?」
霧斗が周囲を見れば、ハンガーラックに飾られた色とりどりのドレスが目に映る。
「ギロちゃんの小父さんの話の途中で急に寝ちゃうんだもん。驚いたニャン……」
猫耳ナース服の少女が、そう言って戸惑う霧斗に笑いかける。
「じゃあ、行きましょう。お出で! クピド!」
ピィーッと、キャットが窓の外に向け、おもむろに指笛を吹く。
「グウウエーッ……」
すると、窓の外から突如、巨大な嘴が覗いた。
「よーしよしよし! いい子だ!」
開いた窓越しにキャットが、飛び込む嘴を撫でる。
「こ、この鳥は……?」
霧斗には見覚えがあった。
時間が巻き戻る前、東京の空に浮かぶ拷問島を取り囲むように無数の鳥が飛んでいた。
「拷問鳥ですよ。私が手懐けた一羽、その名もクピドです。きちんと言う事を聞くとてもいい子ですよ。にゃん」
キャットは、霧斗に微笑み、そう答えると、
「さあ、乗ってください。事は一刻を争います! にゃん!」
窓の外に翼を広げる怪鳥の巨躯へと霧斗を促した。
◇
「船長! 二時の方向の空に異様な物体がっ!」
日本近海に浮かぶ大型客船。
叫ぶ航海士の手から双眼鏡を船長が奪う。
「んッ? あれは鳥だなッ?」
対物レンズの向こうに浮かぶ漆黒の躯体。
「グウエエエーッ!」
客船の上空を撫でるように舞う一羽の怪鳥の姿があった。
「どういうことなの、キャット?」
怪鳥の背に跨り、少年が燕尾服の少女に問う。
「ピンと来ました。鏡の中のカルナージュの言葉。マドモアゼル・ギロチーヌの首を直接貰う、これは拷問島の浮上を意味します。にゃん!」
怪鳥の背の先頭でキャットが霧斗に答えたその時、
「いやあーっ! 虫いいいーっ!」
傍らに跨るギロチンの少女が泣き叫んだ。
「ンマっ! 船を串刺しにしようと狙えば、ギロチン女と裏切り者のスキニング・キャット御一行様に出くわしたざますねっ?」
眼前に突如現れた巨大な蜘蛛女。
「よござーますっ! あたくしがお前達を血祭りフェスティバルに……」
「
八本の蜘蛛の脚の鉤爪が牙を剥こうと開いたその刹那、九方向から猫鞭の尻尾が炸裂した。
バシバシッ、と脚を叩き落とされた蜘蛛女が、そのまま海面へと落ちていく。
「ンマあーっ! あたくしのアンヨが海の藻屑と消えていくざーますっ……」
ザバアンと水飛沫を上げ、蜘蛛女が沈み込む。
「うわあっ! 海底に沈んだ……? で、でもあのカルナージュとかいう奴に殺されるよりマシか……」
霧斗が沈む蜘蛛女に驚愕したその刹那、頭上に轟音が鳴り響いた。
ゴゴゴゴォッ……。
「「「グウエエエーッ!」」」
無数の拷問鳥に囲まれて、暗黒の島影が浮かび上がる。
「うわあああっ? ご、拷問島だあああっ……」
恐怖に慄く霧斗の傍で、
「ギロチン変化! メタモルフォーゼ!」
ゴスロリ服に身を包んだギロチンの少女が、重ねた両腕を鋭いギロチンの刃へと変化させる。
「だ、大丈夫なの? ギロチーヌちゃん……?」
霧斗が思わず、傍らの少女に問う。
「うん。アタシに任せてっ!」
ギロチーヌはコクリと頷くと、
「
と叫びながら飛び立った。
ヒュルヒュルッと両腕を水平に伸ばしたギロチーヌが、渦を巻き回転しながら飛ぶ。
『ギ、ギロチン女が我が島に向かって飛んでくるっ?』
漆黒の島影から拷問女帝の声が響く。
「斬首だけが能じゃないわーっ!
ギュルギュルッと回転するギロチーヌの両腕の刃が島を下から上へと貫通する。
『うぎゃあああーっ! このギロチンめーッ! 妾を島ごと切り刻むとはアアアーッ……』
断末魔の叫びとともに拷問島が砕け散る。
「よくやったギロチーヌ! そして霧斗君」
突如、洋上に大男のビジョンが現われた。
「あなたは……?」
「私はアンリ・サンソン。ギロチーヌの小父だ」
霧斗に答える、山高帽に黒いコートを着た壮年の男性。
「アンリ小父さん!」
「うむ。ギロちゃん。おっちょこちょいな君に霧斗君を付けて正解だったよ」
嬉々として叫ぶギロチーヌに、アンリは頬を緩ませた。
「どういうこと? ギロチーヌちゃんにボクを付けたって?」
「ははは。拷問道具達が人々の悪しき心の波動を受け、魂を宿すようになり数百年。カルナージュ達のような悪しき拷問具の暴走を食い止めんが為、私がギロチーヌに罪なき者達への殺戮を防ぐ事を託したのだ。しかし、なにぶんにもこの娘は失敗ばかりでね。なので霧斗君。君を補佐役に選んだのだよ」
訝しむ霧斗に、洋上の大男が笑いかける。
「何だって? ギロチーヌちゃんの小父さんがボクを選んだって? じゃあ、時間の巻き戻りも、もしかして……?」
「うむ。私の授けた、やり直しの力だ」
アンリの答えに、霧斗の疑問が氷解する。
「そんな。ボクの時間の巻き戻りがアンリ・サンソンの仕業だったなんて……」
衝撃の事実に、霧斗の腕が思わず傍らのゴスロリ服の胸元に伸びる。
「こうなったらお返しだあーっ!」
「いやあーっ? アタシのせいじゃないのにー?」
スパアン!
少年の首が大海の彼方へと飛んだ。
拷問彼女ギロチーヌちゃん 湊あむーる @minato-amour
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