6

 後日談。


 あの後、特にこれといった障害はなく、実にあっさりと、此乃咲君を自殺から助ける事に成功した。拍子抜けもいいところだ。ただ、正確に言えば、どうやらあれは自殺ではなく、他殺だったらしいのである。


 それを理解するためには、この事件の起きた背景を知らなければならない。


 此乃咲君は、七不思議統括委員会のメンバーなのだと言う。


「ドッペルゲンガーの正体は、魔女の怪異の遺した鏡による怪奇現象だなぁ~。被害が頻発しているから、ぼくが対処することになったんだけどよぉ~、ちょっとしくっじっちまった」


 天八咫高校には元々、たくさんの怪異が蔓延っていた。その関係で、怪奇現象の火種となる遺失物が、未だに多く残存しているらしい。黄昏町の中でも危険区域だ。


 特に、魔女の怪異の遺した影響が凄まじい。堂主の万年筆を例として、魔女の怪異は魔道具を創成する性質があったらしく、それを人間が使ってしまうことで、二次被害が発生してしまうのだ。堂主のように巧く使いこなせるなら問題ないのだけれど、みながみな、彼女のような天才では無いのだ。


 此乃咲君も例には漏れなかった。鏡の在処までは突き止めたものの、最後の最後で己の姿を鏡に映してしまったらしい。映せば最後、ドッペルゲンガーに存在を乗っ取られてしまう。ただし、人目につかない場所で自殺をするという形で。


 彼の遺したあの紙は、文字通り必死の抵抗だったに違いない。


「にゃるほろれぇ~」


 水に濡れた、癖っ毛の白い髪。その上には、白のタオルを乗せている。左右で色の異なる双眸。ただしそれは、溝のような濁りを見せる。その下にある、蠱惑的な涙ぼくろ。透明感のある瑞々しい肌。血色の良い、桃色の唇。仄かに上気した頬。服を着ていると解りにくいのだけれど、その幼く見える矮躯は、意外にも豊かに実っている。


 浪風堂の堂主は、私の話に相槌を打った。ぶくぶくと、口の半分を湯船に浸からせた状態で。


「かがりちゃんは、猿の奇妙な性質を知っているかねぇ?」

 

 ひとしきりぶくぶくを楽しんでから、堂主は改まったように問うてきた。


「猿……ですか?」

「そう、猿。猿には真似をする性質があるんだぁ。例えば、人が右手をあげれば、右手をあげる。左手をあげれば、左手をあげる。こんな具合に、さながら鏡のように真似するのさ。そこでだよ、猿にナイフを渡すんだ。自分はそこら辺に落ちていた木の枝を持つ。そして、木の枝を自分の腹に突き刺して見せるんだぁ。さて、猿はどうなるだろうか?」

「……まさか、ナイフを突き刺してしまうんですか? 自分の腹に」

「そー、そのまさかだよー。これが意図的に、猿に自殺をさせる方法だぁ。ボクは君の話を聞いて、真っ先にこの話を連想したねぇ」


 私と堂主の声だけが、浴室に反響する。擬音を用いるなら、「かぽーん」だろうか。


 普段、私と堂主二人きりで何かすることは滅多に無いのだけれど、人述君が変な気を遣ったらしく、「たまには女子二人水入らずで出掛けてきなよ」と勧めてきたのだ。別にやぶさかでは無いので、その勧めに肖って、今に至る。


 ここは場末の湯屋である。水入らずと言われて、わざわざ水のある場所を選ぶあたりが、天邪鬼な私のせめてもの抗いという感じだ。


「原理的には、そういうことなのかもしれないねぇ。いやぁ別に、ボクは魔女の怪異に詳しい訳では無いから、確証は全然持てないけれどねぇー」

「それじゃあ、あの万年筆は、どういう原理なんですか?」

「あれ? むー。あれはボクにも解らない」


 解らないのね……、そこは。つくづく適当な人だ。


「それじゃあ、堂主は、どうやってあの万年筆を手に入れたんですか?」

「骨董品店で買ったんだよー。割引されてた」

「そんなものが、売っていたんですか?」

「ボクも買った時は知らなかったよ。けれど、後から知ったんだけどねぇ、どうやら魔女の怪異の魔道具たちは、適した持ち主をずっと探しているらしいんだよー」

「意思を持っているということですか?」

「いや、本能に近いかなぁ。だからある意味、必然だったのだろうねぇ、ボクの所に『桃源郷』が巡ってきたのは」


 鏡もそうなのか。様々な人を巡って巡って、己に適した主を見つけ出そうとしている。どおりで、二次被害の拡大も凄まじい訳である。


「結局、鏡はどうなったのー?」

「鏡は――破壊したそうです。ただ、それだけだと破片に誰かが映ってしまう可能性があるので、厳重に密閉して、封印しているそうですけれど」

「へぇ。そんな蒐集紛いのことをしているんだねぇ」

「蒐集……。まあ、そうとも言えますかね。七不思議統括委員会というのは、そういう組織だそうで」


 ざばんと湯船から上がる堂主。そのまま、隣のジェットの付いた湯船へと移った。背中を預け、「あわわわあああわわわ」と声を出しながら、恍惚の表情で堪能している。


「じゃあ、かがりちゃんの出魔女帽子の少女は、何だったのかなぁ」


 実際は、ジェットの衝撃でかなり声が震えていたけれど、聞き取れない程ではなかった。


「あれは、多分魔女の怪異だったんだと思います」

「でも死んでいるはずだよ?」

「えぇ。ですから、残留思念のようなものだったのでしょう。それか、遺失物に対する恐怖が集積して、再構成されたとか。どちらにせよ、魔女の怪異そのものではありませんけれど、よく似た何かではあったということです」


 それを裏付けるだけの根拠に足るかは不明だが、少なくとも手掛かりとはなりそうな事実がある。


 これは後日、ひょんなことから気がついた新事実なのだが、実はあの図書塔——私以外、誰も知らなかった。てっきり、あの高校の名物建造物とばかり思っていたのだが、何という事か、あれそのものが怪奇的な代物だった。楽園公園や雲海鉄道のように、誰にでも見えるものもあるけれど、私のような半端者にしか認知出来ない類のものもあるのだと学んだ。


「ボクは最近、『後始末』をしていて思うのだけれど、怪異を本当の意味で殺すって、不可能なのかもしれないねぇ。君のその仮説が本当なら、怪異はいくらでも蘇るってことになる。人間の怪異化だって確認できる」

「あの、仮にそうして、またこの町に怪異——或いはそれに準ずるものが増えたならば、堂主はまた殺すんですか……?」

「いやぁ、もうしないよ……。澱くんと約束したからねぇ」

「どういう約束を?」

「『怪異を殺し尽くしたら、金輪際、人も怪異も殺さない』って。ただまあ、とはいっても、止むを無い場合はその限りでは無いけれどねぇ。自分の命が危ぶまれるとか。あはは、緩い約束だよねー。まあ口約束だし。けれど、もう前みたいに無差別に殺すことは無いな、絶対に。もうボクの復讐は、終わったからねぇ」


 復讐。その真意を問うことは、出来なかった。


「それに」堂主は私の方を見て、にへへと照れたような笑みを浮かべつつ言った。しかしどこか、悲哀の情も見て取れる。「かがりちゃんや澱くんのお陰で、ボクは少し許せたんだ、怪異を。それどころか、ボクはちょっとだけ後悔しているよ。私怨に駆られて、皆殺しにしてしまったのを。幼稚だったんだ」


 だからやはり、堂主と人述君の後始末は、『ごめんなさい』の旅でもあるのだ。


 私はどうだろう。私は何を信条として、怪異の痕跡を辿るのだろう。


 これといった目的意識が無い。何か怪異に対しての特別な感情を持っている訳でも無い。


 タマモならば「面倒じゃ」で済ませるであろうことを、お湯をぶくぶくと泡立てながら考えたけれど、それらしい答えは、一向に見つかりそうに無い。水面に浮かんでは消えて、浮かんでは消えていく泡のように、何の取り留めもないことばかりが、頭に浮かぶのであった。


 七不思議統括委員会。


 大したことでも無いので、堂主には打ち明けなかったけれど、更なる後日談として、私はここに所属することとなった。此乃咲君に誘われたから、勢いで入ってしまったけれど、こんな私みたいな、中途半端な奴が入っても大丈夫なところだったのだろうか——と、一抹の不安が過ぎる。


 水面に反射する私の顔。その細部は少し違っていて、頭に猫の耳が生えている。


 そのちょっと違う私は、しかし、思いとは裏腹に、笑っていた。


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怪異ノイナイ町ノ怪異譚 ~怪奇百景百物語~ 端暮物書 @monokaki_no_hasikure

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