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 何とか魔女を躱すことに成功した。咄嗟の判断ではあったけれど、まさかここまで上手く働くとは想定外であった。どれだけ理屈を捏ねようとも、やはり机上の論理であることに変わりはないのだから。もしかすると、あの魔女が空間に何らかの細工を施していたとか、そういった裏があるのかもしれない。


 さて、しかし実際は何も進展していない。後退したのが進展して、結果的に元に戻っただけのことである。絵面だけ見れば、間抜けの一言で事足りる。


 旧校舎の屋上を目指す。幸い、その後トラブルに見舞われることはなく、無事到着した。昼時と比べて、やはり陽が落ちているからだろう——かなり肌寒い。風が強くなっているというのも、その一因を担っているに違いない。


 そういえば、彼の死体はどうなっているのだろう。まだ確認していない。そう思って、下を覗き込んでみようと思ったのだけれど、直前になって躊躇した。やはり、見なくてもいい気がする。自ら進んで、心の傷を増やすことはあるまい。


「お嬢、件の紙はまだ残っておるようじゃぞ。ラッキーじゃ」


 風に飛ばされている可能性もあったけれど、幸い、フェンスがそれを防いでくれていたらしい。昼とは位置が変わっているものの、紙は依然として床に転がっていた。


 一体彼は、何を書き残したのだろうか。順当に考えれば、遺書だろう。しかし、ドッペルゲンガーという不可思議な現象が絡んでいる以上、順当もクソも無いような気がする。そもそも、こうやってあれこれと推察を巡らせること自体、不毛だろう。実際に何が書かれているのか、確認すればいいだけのことである。


 くしゃくしゃになった紙を、破かないように慎重に開く。


 果たして何が書かれていたか——それは、私の想像を絶するものだった。


 そして、私は一つ、致命的な勘違いをしていることに気がついたのであった。仮に江戸川乱歩がこの物語を著したとしたならば、「賢い読者諸兄ならば、既にお気づきのことだろうが」という一文を加えることだろう。


「……タマモ」


 これはもう、奥の手を使ってしまおう。それでしか、私は彼を救えない。


「おやつの時間よ」

「おー! なんじゃ、なにを食わせてくれるんじゃ」

「『時間』よ。私が許可するから、『時間』を——食べなさい」


 ○


 雲海鉄道に揺らされながら、私は車窓を眺めていた。


 けれど、今度は黄昏ていたのでは無い。整理していたのだ、私の推理を。


「やはり日の光は最高じゃな! ひゅうー!!」


 タマモの声がする。しかし、下からでは無い。ちゃんと、向かいの席からその声はした。

 

 そっちに目を向けると、猫耳の生えた、黒髪金眼の女子がいた。ちょうど私の髪の水色部分をも真っ黒にして、虹彩を金色にし、頭から猫の耳を生やせばこうなるだろうという容姿であった。言うまでもないだろうけれど、タマモである。


 普段、私の影として付き従うタマモだけれど、こうやって餌をあげると、力が増して、実体化するのである。だからタマモに餌をあげるのは、本当の緊急時だけだ。


「……『時間』は美味しかったかしら?」

「超美味かったぞ! もう一度食いたいくらいじゃ!」

「ダメ」


 実体化したからと言って、何か周りに悪影響を及ぼす訳ではない。しかし、あくまでもそれは周りへの話で、私からしてみれば、こんなテンションの壊れた雌猫に一日中付き纏われるのは、鬱陶しくて仕方ないのだ。しかも、私に顔が瓜二つなだけに、尚更苛立たしい。


「それと、もう少し静かにしてくれないかしら」

「いやじゃ」


 あと、影の時と比べて、若干反抗的になるのが厭だ。


 今の私に影は無い。人の影になる訳では無いのだ。あくまでも、タマモという怪異としての側面と、私という人間としての側面の二つで、紙燭かがりは構成されているらしく、純粋な人間と純粋な怪異に分離することは無いらしいのだ。


「それでじゃ、お嬢。いい加減教えてくれぬか。一体、どんなどんでん返しがあるんじゃ」

「そんな、大層なものでは無いわ。単なる、勘違いよ」


 ただ、簡単に明かしてしまってはつまらない。ここは少し、遊び心を加えよう。


「タマモ、私に三回質問をしていいわ。それで答えを導き出せたら、あなたの勝ち。今日の帰り、何か奢るわよ」

「やる!!!!」

「ただし、私が勝った場合、タマモには恥ずかしいことをしてもらいます」

「なんじゃ恥ずかしいことって」

「それは内緒よ」


 タマモは少しばかり首を傾げたけれど、勝った場合の報酬に結局惹かれたようで、結局了承した。


「何でも良いのか? 例えば、イエスかノーで答えられる質問のみとか、そういう制約は無いのか?」

「ええ。本当に何でも良いわよ。なんだったら、関係ない質問でも良いわ。私のスリーサイズとか」

「いや、それはどうでも良いわい。というか知っておるしのう」


 うーんと暫く唸ってから、タマモは一つ目の質問をした。


「本当に、ドッペルゲンガーは関わっておるのか?」

「ええ。それは間違いなく」


 期待していた答えでは無かったのか、更に考え込み始めた。


「本当か?」

「だからそう言っているじゃない。それとも、それが二つ目で良いの?」

「ランプの魔神みたいじゃ」

「どういう意味よ」

「しみったれているということじゃ」


 妾の推理では、ドッペルゲンガーなんかいないのじゃが――と漏らすタマモ。


「あやつの自作自演を疑っておったんじゃ」

「そんなのして、何のメリットになるのよ」

「それもそうじゃのう……」


 珍しく静かに考え込んでいる。黙ったら可愛いのに。それは私にも同じ事が言えるのかもしれないけれど。


「思ったのじゃが――」


 窓に頬杖をしながら、独り言のように漏らす。


「お嬢と妾も、ドッペルゲンガーみたいじゃな」

「そうね……。でも、それがどうかしたの?」

「いや、何でも無いんじゃが……。ただ、少し不思議な巡り合わせじゃなと思っただけのことじゃ」


 何も考えていなさそうなタマモにも、物思いに耽ることがあるのか。


「二つ目じゃ。あの紙には、何と書かかれてあった?」

「『』よ。たった三文字」

「……ほう、なるほどのう」


 遺書としては、明らかにおかしな言葉である。死を望んでいるはずの人間が、救いを求めるなんて、撞着も甚だしい。そしてこの矛盾こそ、この謎を解く最大の鍵である。


「最後じゃな。妾とお嬢は、本当にあの少年に会ったと言えるか?」

「……いいえ」


 がはははっとタマモは笑った。


「答えは解ったかしら?」

「概ねのう。しかし、あれじゃな。慥かにこれは、とんでもない勘違いじゃ」


 テセウスの船という思考実験がある。


 ボロボロになった船を修理することになった船大工だが、修理を進めるうちに、最初に依頼された場所の他にも替えるべき部品が多数見つかって、ついには全ての部品を替えるはめになったとする。このとき、果たしてその船は、元の船と同一であると言えるだろうか。


 無論、これに答えなんて存在しない訳だけれど、私は同一のものとは言えないと考える。だから私は、タマモの最後の問いに、「いいえ」と答えたのだ。


「それじゃあ、答えを言ってみなさい、タマモ」


 叙述トリックに引っ掛かった時と、似た感覚だった。一瞬でハッとさせられるあの感覚。先入観という呪縛から開放される、あの感覚だ。


「……正解よ。帰りに何か買って帰りましょう」

「寿司じゃ!!!! 寿司が食いたいぞ!!!!」


 雲海鉄道推理ゲーム――これにて閉幕。


 後は、彼を救うだけだ。


 


 

 



 


 


 


  

 


 


 


 

 

 

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