旅立ちの時

華ノ月

第1話 旅立ちの時

〜プロローグ〜


 ポタ・・・ポタ・・・。


 腕から血が滴り落ちていた。ガラスの破片で切った歪な傷跡がいくつも腕にあった。


「また、やっちゃった・・・」


 そう言うと、切った傷にグルグルと包帯を巻き始めた。手慣れた巻き方だった。そして、ベッドに横になり、眼を閉じる。何も感じない、何も分からない・・・。心を病み、生きてるだけの屍・・・。ただただ、日々が過ぎるのを待つだけ・・・。そう感じていた。






 『彼』に再会するまでは・・・。






 1.


 私は、ある出来事がきっかけで心を病み、自傷行為を繰り返す日々を送っていた。心が病んでいるせいか、腕を切っても痛みはなかった。一日のほとんどを自室で過ごし、ごく稀に近場に少しだけ出掛ける。最初は外に出るのが怖くて仕方なかったが、心が「無」になってから恐怖感というのも分からなくなり、たまに夕方から夜にかけて出歩くときもあった。両親は、私の身に起こったことを考えると何も言えず、静かに見守るだけだった。


 私は今日も夕暮れの町を彷徨うように歩いていた。そして、いつも行く広場に行きベンチに座って夕暮れから夜になる空を眺めていた。この時が私の中では好きだった。私は今日もその時間を過ごした。今にも手が届きそうな月を掴むような仕草をしたりしていた。そんなことをしている時だった。


「絵梨奈?」


 ふいに声がした。私はゆっくりとその人物に顔を向けた。暗がりで最初は顔が良く分からなかったが、視界が月明かりで明るくなると顔を捉えることができた。


「やっぱり絵梨奈じゃん!久しぶりだな!」


 そう言って声をかけたのは秋吉先輩だった。高校の時の部活の先輩でよく気に掛けてくれていた。私がまだ高校生の時は「秋吉先輩みたいなお兄ちゃんがいたらいいのにな」と、よく思っていた。部活で練習が厳しくても必死で食らいついてたとき、秋吉先輩は「よく頑張ってるな」と言ってよく励ましてくれた。


 秋吉先輩はジャージ姿だった。先輩の事だからジョギングでもしていたのだろう。秋吉先輩は「元気してるか?」とあの頃と同じ笑顔で聞いてきた。


「・・・分からないです」


 私がそう答えると、秋吉先輩は私の隣に腰を降ろした。先輩は「なんかあったのか?」と、私があの頃と様子が違うのに気付き聞いてきたが、私は何も答えなかった。代わりに私が聞いた。


「・・・秋吉先輩は今何してるんですか?」


 秋吉先輩は「あれ?」という顔をしたが私の質問に答えてくれた。


「大学生を満喫してるよ。今度大学が主催で行う試合にレギュラーで出ることになっていて、そのトレーニングをしているんだ」


 秋吉先輩はあの頃と変わらず、生き生きとした様子で話した。秋吉先輩は努力家でもあり、部活が終わっても一人で残って練習していた。いつ頃からか、私もそれを偶然見かけて一緒に残って練習に励んでいた。今ではもう遥か遠い昔の事のように感じる・・・。


 そんな感情に耽っていると、秋吉先輩が言った。


「絵梨奈も卒業して第一志望の大学に合格したって聞いたんだが・・・」


 私は「知ってるんだ」と思い口を開いた。


「大学は行ってましたよ。今は休んでいますけどね・・・」


 秋吉先輩は「なぜ?」と聞いてきたが、私は何も言わなかった。言ったところで秋吉先輩には関係の無いことだからだ。言っても何も変わらない。私は何も言わず、口を開かなかった。私はこれ以上ここにいても仕方ないと思い、腰を上げ歩き出した。秋吉先輩は「お・・・おい」と言い、後ろを着いてきた。秋吉先輩は私の後ろで言った。


「冷たいなー。あの頃はよく先輩先輩って言って懐いてくれたのに」


 私は秋吉先輩がそう言っても何も言わず無言で歩いていた。そんな時、


「きゃっ!!」


 私は石に躓き、転倒しそうになった。


「危ない!」


 秋吉先輩は素早く私の腕を掴んで、転倒せずに済んだ。相変わらず反射神経は良いみたいだ。秋吉先輩は「大丈夫か?」と言って掴んだ腕をほどいた。そして、


「えっ?」


 秋吉先輩が掴んだ場所から血が滲み出ているのを見て声を出した。


「怪我をしているのか?!見せてみろ!」


 そう言って、止める暇がないまま私の服の袖を捲った。捲った腕には無数の傷が現れた。秋吉先輩は「これは・・・」と言って、しばらく茫然としていた。私は「離して!」と、声を上げて腕を払い、その場から逃げ出した。秋吉先輩が遠くから「絵梨奈!」と叫んでいたが私は振り返らず、その場を後にした。




 家に帰って、私は自室に戻るとベッドに倒れ込んだ。


(まさか、秋吉先輩に再会するなんて思ってもいなかった。腕の傷も見られたし、しばらくはあの場所には行けないな・・・)


と、考えている内に久々に走ったせいか知らない内に眠っていった。


 朝になり、私はぼんやりと目を覚ましたが起き上がる気にはなれなかった。起き上がったところで特にすることもないと思い、ずっとベッドに横になっていた。何もせず、時間だけが過ぎていき、気が付くと夕方になっていた。そんな時だった。


ピンポーン。


 玄関のチャイムがなった。どうせ近所の人だろうと思い、母が出て対応するだろうから放っておこうとしたその時だった。


コンコン・・・。


 珍しく私の部屋がノックされた。母が私の部屋に来たらしい。私はドアを開けずに部屋から答えた。


「何?」


 すると、母の口からは信じられない言葉が返ってきた。


「秋吉さんって方が見えたんだけど・・・。絵梨奈に会えませんか?って言われて呼びに来たんだけど、どうする?」


 私は戸惑いつつもすぐに行く旨を伝えて、着替えてから部屋から出た。母は先に行った。私はなぜ秋吉先輩が来たのか分からないまま、リビングに行った。


 リビングのソファーに秋吉先輩は座っていた。テーブルには母が用意した紅茶が置いてあった。秋吉先輩は私を見ると「よぉ・・・」と言い、何て言ったらいいんだろうというような顔をしながら頭を動かしていた。私は向い側のソファーに腰を掛けて話を切り出した。


「・・・何の用ですか?」


 秋吉先輩は戸惑いながら、どう話を切り出していいか分からない様子だった。母は心配して私の隣に座った。


「・・・腕の傷の事ですか?」


 秋吉先輩の身体が瞬時に固まった。私はそれを見て「やっぱりか・・・」と呟き話し始めた。


「・・・腕の傷は自分で切りました。腕を切ると落ち着くんです。痛みはありません。私は腕を切る以外に自分が落ち着く方法がなかったんです」


 私がそう言うと、秋吉先輩は苦しそうな顔をして「何で・・・」と、呟いた。私は、もうどうなってもいいやと思い、私の身に起こった出来事を淡々と話し始めた。


「大学に入学して、一年が過ぎた辺りです。ある出来事が起こりました。あの日、私は同じ学部の女子学生に声をかけられて、大学の敷地内にある使われてない教室に行きました。教室に入ると数人の女子学生と男子学生がいました。すると、いきなり女子学生たちに両腕を掴まれ私は教室の真ん中に引きずられていき、にやついている男子学生たちの前で服を破られて下着姿をさらけ出されました。すると、男子学生たちが私に近付き私の身体をまさぐるように触ってきたんです。私は叫んで抵抗しましたが、女子学生たちが私を拘束していたので、逃げることも出来ずにいました。私の叫び声を偶然近くを通りかかった先生によって私は解放されました。その出来事で学生たちは全員退学になったそうです。これが、私がこうなった出来事です」


 私が淡々とそう話すと、秋吉先輩は愕然とし、何も言わなかった。いや、あまりの出来事に何も言えなかったのだろう・・・。隣で母は涙を流していた。涙を流しながら、今度は母が口を開いた。


「この子が辛いのは分かるわ・・・。あんなことをされたんだもの・・・。この子が辛いのは痛いほど分かるわ・・・」


 そう泣きながら言った。秋吉先輩は愕然としたまま、何も言わずその場で身体を小刻みに震わせていた。しばらく経って、秋吉先輩が口を開いた。


「その学生たちは何でそんな酷いことを・・・?」


 私はやっぱりそう来たかと思い、口を開いた。


「後で聞いた話ですが、私、大学でさっぱりしていて話しやすい子っていうので男子学生に人気があったみたいです。それを妬んだ女子学生がああいう事を計画したそうです。ちなみにその事は外に漏れないように穏便に済ませたそうです。だから、その場にいた学生以外の学生はこの事は知りません」


 私がそう話すと、秋吉先輩は「そっか・・・」と言い、それ以上は言わなかった。リビングには重苦しい空気が流れていた。私はソファーから立ち上がり、静かに口を開いた。


「もう、私には関わらないでください。私は誰も信じられない。先輩が知っている私はもうどこにもいません。家にも来ないでください」


 私はそう言い放ち、リビングから出ていき、自室に戻った。玄関の開く音がして、カーテンを少し開け、窓から外を見ると、秋吉先輩の帰っていく姿が見えた。私は、「これでいいんだ・・・」と言い聞かせ、部屋のカーテンを閉じた。




2.


 朝になり、ぼんやりと目を覚ました。昨日の事が頭を駆け巡っていて、寝た感じがあまりしなかった。私はよろよろと身体を起こしたが、再度、身体をベッドに預けた。秋吉先輩に打ち明けてしまったが、だからといって解決するわけではない。私はただ、生きる屍のように日々を送ればいい。ただ、それだけ・・・。そうやってぼんやり考えていると、部屋をノックする音がした。母だった。部屋のドアの外で母が言った。


「昨日の方がまた見えたんだけど・・・」


 私は唖然とした。「もう来ないで」って言ったはずなのに何で?と思いながら、私は母に告げた。


「追い返して!」


 私はそう叫んだ。母は「分かったわ」と言い、部屋から離れた。窓から外を見ると、玄関近くに秋吉先輩はいた。窓から見ている感じでは、秋吉先輩は何度も頭を下げていた。おそらく、私に会わせてくださいとでも言っているのだろう。しばらくすると、諦めたのか帰っていった。私は母に「絶対会わないから」と伝えた。


 それから、毎日のように先輩は私の家に訪れては門前払いを食らっていた。私は、その内諦めるだろうと思い、放っておいた。


 そんな日々が続いたある日の事だった。


 その日は雨が降っており、風も吹いていた。私はこんな日にはさすがに来ないだろうと窓の外を眺めていた。すると、青い傘を差した人物が私の家にやってきた。私は「まさか」と思い、玄関を凝視していると、青い傘を差していた人物が傘を閉じた。その人物を確認すると・・・やはり秋吉先輩だった。秋吉先輩は何度も頭を下げていた。私は何でそこまでして会いたいのかが分からなかった。その様子を窓から伺っていたが、しばらくして先輩は諦めて帰ろうとしていた。秋吉先輩は玄関を後にして、傘を差し少し歩き始めたときだった。強い風が吹いて、秋吉先輩は傘に身体を取られて転倒した。


「あっ!!」


 私は声を出し、一瞬迷ったが部屋を飛び出した。


 玄関を出て、道路に出ると叫んだ。


「先輩!」


 秋吉先輩はずぶ濡れになったまま「えっ」と声を発した。私は先輩に近付き、言った。


「先輩、このままじゃ風邪を引いてしまいますから、とりあえず家に入ってください」


 私がそう言うと、秋吉先輩は「ああ………」といい、私は秋吉先輩を家に上げた。家に上げると、母が出てきた。私は母にシャワーと着替えを用意してあげてと伝え、秋吉先輩を風呂場に案内した。秋吉先輩は「ごめん・・・」と言って、シャワーを浴び、浴び終わると母が用意した服を着てリビングにやってきた。秋吉先輩は母に「ありがとうございます」と頭を下げて、私に「伝えたいことがあるんだ」と言った。私は秋吉先輩をソファーに座らせ、私も向い側のソファーに座った。しばらくは私も秋吉先輩も口を開かなかった。そこへ、母が温かい紅茶を運んできた。母は紅茶をテーブルに置くと、この前と同じように私の隣に座った。母が「どうぞ」と言うと、秋吉先輩は「いただきます」と言い、紅茶を口に含んだ。そして、おもむろに口を開いた。


「その、すまない・・・。もう来るなとは言われたけど、どうしても伝えたいことがあったんだ」


「何ですか・・・?」


 私がそう聞くと、秋吉先輩は意を決したように、口を開いた。


「絵梨奈が受けた出来事なんだけど、その・・・」


 秋吉先輩がそこまで言ったところで私は口を挟んだ。


「先輩に何が分かるんですか?」


 私は淡々と言った。どうせまた辛いのは分かるとか言い出すんだろう。そう思っていた。だが、秋吉先輩から出た言葉は全く違うものだった。


「分からないよ」


「・・・え?」


 私は一瞬、秋吉先輩が何を言っているか分からず、固まってしまった。秋吉先輩は更に言葉を続けた。


「俺には絵梨奈の気持ちは分からないよ。その時受けた辛さや苦しさは絵梨奈にしか分からない。おばさんはこの前、辛いのは分かるって言ったけど、親は親であって絵梨奈本人じゃない。俺は、親だからといって、辛いのは分かるけど、と言う言葉は軽々しく言うもんじゃないと思う。絵梨奈の苦しみは絵梨奈本人しか分からない。おばさんが分かったような口で言うから、絵梨奈はそれが辛かったんじゃないか?」


 私は唖然としながら聞いていた。母は「私はこの子を元気付けようとして・・・」と言ったところで秋吉先輩は再度口を開いた。


「おばさんの気持ちも分からないわけではありません。親ならそう言うと思います。でも、絵梨奈にはその言葉は・・・」


――――ガシャーン!


 私は思わず立ち上がった。その衝撃で、テーブルに置いてあったティーカップが床に落ちて割れた。


「そうよ!!」


 私は声を荒げながら叫んだ。私の眼には涙が溜まっていた。私は息を切らせながら叫んだ。


「私が受けた傷は私にしか分からない!あの事があってからお母さんは毎日のように辛いのは分かるわって言った!その言葉を聞くたびに何で?って何度も思った!お母さんに何が分かるの!あの場所に居たわけでもない!あんなことをされた訳でもない!それで何で私の気持ちが分かるのって何度も感じた!私の傷は私にしか分からない!」


 私はそう叫ぶとリビングを飛び出した。母はおろおろしていた。私は部屋に戻ると、ベッドに倒れ込み大声で泣いた。しばらく大声で泣いていたら、泣き疲れたのか知らず知らずの内に寝てしまっていた。




3.


 朝になって私は起き上がった。昨日の秋吉先輩の言葉が頭から離れなかった。しかし、私の中でなんだかすっきりとした感じになっていた。私は部屋を出て、リビングに行くと、母が「絵梨奈・・・」と声を掛けてきた。私は母と対面になってソファーに座った。母がゆっくりと口を開いた。


「ごめんなさいね、絵梨奈。お母さん、あれから考えたの。確かに秋吉くんの言う通りだわ。絵梨奈が受けた傷は絵梨奈にしか分からなくて当然よね。私は母親だけど、絵梨奈自身ではないもの・・・。私が絵梨奈を更に苦しませてたのね。母親失格だわ・・・。本当にごめんね・・・」


 母は顔を掌で覆いながら、静かに涙を流した。私は母のその姿を見て言葉を紡いだ。


「大丈夫だよ。秋吉先輩も言ってたじゃない。親ならそう言うと思うって。お母さんは私を元気付けようとしてそう言ってくれてたんでしょう?大丈夫、ちゃんと分かってるから・・・」


 私はそう言いながら、涙が溢れていた。あの出来事はお母さんが悪い訳じゃない。悪いのはあんなことをした人たちであって私もお母さんも被害者なんだから・・・。私は私を大切に想ってくれてる母に感謝した。そして、


「私はもう大丈夫だよ」


と伝え、笑顔を見せた。母は「絵梨奈・・・」と呟き笑顔を返してくれた。久しぶりに家に笑顔が溢れた。


 その時、玄関のチャイムがなった。「私が出るよ」と言って、私は玄関の扉を開いた。玄関を開けると予想通りの人が立っていた。秋吉先輩だった。私は笑顔で「上がって」と言い、秋吉先輩をリビングに通した。母がテーブルに紅茶を運んできた。私は秋吉先輩にソファーに座って貰い、その反対側に座った。母も私の隣に座り、母が「昨日はありがとうございました」と秋吉先輩に深々とお辞儀をした。秋吉先輩は「こちらこそ、生意気なこと言ってすみません」と頭を下げた。久しぶりに和やかな時間だった。秋吉先輩に「これからどうするだ?」と聞かれ、私は言った。


「もう一度勉強し直して、別の大学に行こうと思います。子供の先生になる夢、諦めたくないから・・・」


 秋吉先輩はしばらく「うーん・・・」と唸っていたが、ポンっと手を叩いて、言葉を紡ぎ始めた。


「じゃあ、俺が通ってる大学に来いよ。俺の大学にも絵梨奈が希望している学部あるし・・・。大丈夫だよ、なんも起こらないように俺が守ってやるよ!」


 秋吉先輩はそう言って「任せとけ!」と言うような仕草をした。


「でも、行けるかな~。先輩の行ってる大学ってレベル高いから受かるかどうか・・・」


 そこまで私が言うと、秋吉先輩が話し出した。


「大丈夫、俺が勉強を教えてやるよ。スパルタで教えてやるから覚悟しろよ!」


 私は「え~」と言って困るような顔をしたが、内心は嬉しかった。先輩は「善は急げだ!早速勉強に取りかかるぞ!」と、意気揚々としていた。私は「頑張ってみるか!」と、気合いを入れて、その日から猛勉強を始めた。


 そんな日々が続いて、入試試験の日が来た。大学には秋吉先輩が一緒に付いてきてくれた。私は緊張してしまい、身体はガチガチになっていた。それを見て秋吉先輩が言った。


「大丈夫、あれだけ頑張ったんだ。魂を込めるくらいの勢いで受けてこい。絶対大丈夫だ!俺が保証する!」


 秋吉先輩はそう言って私の背中を叩いた。私は気合いを入れて「よし!」と言い、試験会場に行った・・・。




4.


 そして、待ちに待った日が来た。自宅に大学からの合否の通知が届けられた。私は郵便配達の人からそれを受け取り、母と一緒に恐る恐る封を開けた。



そこには・・・、




『合格』




と、書かれた紙が入っていた。


「やったー!」


私は母とそう叫んで喜んだ。それから、秋吉先輩に電話して、合格したことを伝えた。秋吉先輩は「おめでとう!」と言って喜んでくれた。私は秋吉先輩に「ありがとうございます!」と言い、その日の夜は秋吉先輩も呼んで、私の合格祝いをしてくれた。




 入学式、当日。


 私はスーツを身に纏い、入学式に出席した。秋吉先輩は別のところで待っているから終わる頃にまた来るよと言って姿を消した。私はまた、大学に通える日が来るとは思っていなかったので、嬉しさで一杯だった。そして、今度の大学では秋吉先輩と一緒だ。とても心強かった。


 入学式が終わり、会場を出ると秋吉先輩がいた。秋吉先輩は「お疲れ」と言うと、大学内を案内してくれた。その道中で、秋吉先輩は仲の良い、同期の学生や後輩を紹介してくれた。みんないい人ばかりで、私は一人一人に「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。秋吉先輩が紹介してくれた人たちも「よろしくね」と、温かく迎えてくれた。


 それから、私と秋吉先輩は近くのレストランに行った。秋吉先輩が入学祝いにご飯を奢ってやるから食べに行こうと言って連れてきてくれたのだった。レストランで私たちは楽しくおしゃべりをしながら、食事を楽しんでいた。楽しい時間はあっという間に過ぎて、時計を見たら夜の八時を過ぎていた。私たちはレストランを出た。秋吉先輩が「家まで送ってやるよ」と言ってくれたので、私はその言葉に甘えることにした。


 家について、秋吉先輩とさよならをして、私は家に入った。すると、母が顔を出して笑顔で迎えてくれた。私は今日の事を母に話した。母は「良かったわね」と言い、嬉しそうに笑った。部屋に戻り、私は目を閉じて、あの生きる屍のような自分を思い返していた。あんな日々があったんだなーと、自分の中でしみじみと感じた。でも、もうその頃の自分じゃない。私は目を開き、心の中で呟いた。



――――私は抜け出せたんだ!






~エピローグ~


 私は先輩と再会した広場にいた。並んでベンチに腰掛け、おしゃべりしていた。ふと、私は気になっていたことを秋吉先輩に聞いた。


「先輩は何であの時、私の感じていた気持ちが分かったんですか?」


 秋吉先輩は「あぁ・・・」と言うと、話し始めた。


「もし、俺が辛いことがあってそれを周りが、辛い気持ちは分かるって言われたらどう思うだろうって考えた時に、何で俺じゃないのに俺の気持ちが分かるんだよ!って思ったんだ。確かに周りは、辛いのは分かるとか言って相手の傷を少しでも理解してあげようとしてその言葉を言うだろ。でも、人ってさ、心に付いた痛みを共有することは出来ても、本当の辛さは自分しか分からないんじゃないかって思ったんだ。人はそれぞれ個性があるから、同じ人はいない。一人でひとつなんだ。だから、似たような境遇でも、一人一人が別の人間だから、本当の苦しみや辛さは本人にしか分からない。だから、絵梨奈が受けた苦しみや辛さは絵梨奈にしか分からないんじゃないかって思ったから、そう言ったんだ」


 私は「確かにね」と思い、秋吉先輩ってやっぱりすごいな~と思った。私は先輩に顔を向けて言った。


「今度の試合、頑張って下さい!私、応援に行きますね!」


「おう!」


 私は、両手を空に向けた。


 空を見上げると、まるで絵梨奈を祝福するような、きれいな青空が広がっていた・・・。






                           (おわり)





                   


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