第3話 幸せの代償
由香の実家へ電車で向かうつもりだった。きっと一人で途方に暮れているだろう。
「由香、出てよ」
何度かけても留守電になってしまう。携帯電話をしまい電車に乗り込むと、皆が車内モニターに入ったニュース速報を見つめていた。それによると、都内某所で乗り捨てられた車から男女の遺体が見つかったらしい。それから運転席に眠る様に座っていた女性が病院に搬送されたともーー。
「嘘よ」
今までずっと不要なものを山に埋めさえすれば、私達は幸せに暮らせるのだと信じて疑わなかった。
「あの、鳴ってますけど」
「え?」
隣の男子学生が私のトートバッグを指差した。
「あ、ああ。ごめんなさい」
慌てて電車を降りホームで携帯電話を取り出すとプツンと切れた。
「……嘘、今の康介の携帯電話から?」
自宅に警察が入ったのかもしれない。私が捕まるのも時間の問題だ。その前に由香に一目会いたい。由香の搬送先を知るにはどうしたら良いのだろう。電車の到着を知らせるアナウンスが聞こえ、ホームに入ってくる電車が視界に入った。
「えっ?」
誰かに背中をドンと強く押された。人だかりの中で男子学生が笑うのを見た気がした。あれは、あの男子学生は由香のーー。悲鳴と電車のブレーキ音が私の思考を掻き消した。
「どうしました! 大丈夫ですか!」
罪悪感から来る妄想だったのか、目を開けると電車に轢かれてなどいなかった。
「……桜井さん? 何で」
「あのまま放っておくわけないでしょう。立てますか」
「……ええ」
「あなたには聞きたい事が沢山のあるんですが、まずは病院に急ぎましょう」
「由香の?」
「そうです」
「……ありがとうございます」
「いえ。依頼人の為ですよ」
須藤の運転で由香が運ばれた病院へ急ぐ。ラジオでは、事件の続報が報じられていた。それでも二人は何も言わずに運転していた。
「私の夫……いえ、由香の叔父が全ての事件の始まりだったのだと思います」
信じていた叔父に乱暴された由香の絶望は計り知れない。
「それ以来、由香は自分を否定するものや、裏切られる事に怯えていた。だから、初めて好きになった人に拒絶された時、感情が暴発したみたいになってーー気付いたら相手を殺めてしまっていました」
「その後処理を任されたのが、叔父である康介さんだったと」
桜井が暗い声で言った。
「ええ。康介は淡々と義務を果たすみたいでした」
「そんな事があったのに、なぜあなたは康介さんと結婚を?」
運転していた須藤が信じられないという口振りでそう問うてきた。
「あの頃は由香の事を守っているナイトの様に感じてしまったから……」
そこに由香の後押しが加わって、結婚する事になった。由香にしてみれば秘密を知っている私と共犯関係にある康介を同時に監視出来ると安堵したのかもしれない。
「由香が羨ましいなんて言ってしまった罰なんです」
それは由香の心を抉るような行為だった。
「それでも私は由香の側に居たかった」
病院へ向かう途中、何度もパトカーとすれ違った。須藤もそれを気にしている様だ。
「もう間も無く到着しますが……」
「ごめんなさい。やっぱり会うのは諦めます」
「え?」
「このまま警察に自首します」
「良いんですか」
「私が行けば大騒ぎになるでしょうから」
これ以上、由香の負担になる事はしたくなかった。私が康介を殺害した事と由香のした事は関係ないのだから。それでもマスコミはこの二つの事件を無理やり結び付けるだろう。
「それが賢明でしょうな」
桜井が須藤に目配せすると、車は方向転換した。きっとマスコミも沢山集まっている事だろう。頭上でヘリコプターの旋回する音も聞こえた。
「あなたもやっと解放されるのではないですか」
「え?」
「犯罪を共有する事で繋がる友情なんて悲しいだけですよ」
「……そうでしょうか」
私にとっては初恋だった。
「側に居続ける事ではなく、一緒に生きて行く事が、本当の願いだったのではないですか」
桜井の説教くさい言葉は、思ったより嫌では無かった。久しぶりに目からこぼれた涙は存外に温かった。
了
初恋 射谷 友里 @iteya_yuri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます