第2話 探偵達
「……嘘、どうして帰って来ないの」
結局、由香は戻って来ないまま夜が明けてしまった。
「夢じゃないよね」
康介はだらし無く横たわっていた。
「気持ち悪い……本当、嫌な男ね」
由香が持ち込んだブルーシートを被せると、少し気持ちが落ち着いた。でも、このまま死体と二人きりでいても埒があかない。思い切って由香に連絡しようとした時、インターフォンが二度鳴った。
「由香?」
モニターを確認すると昨日の探偵達だ。
「何なの? しつこいわね」
帰ったのを確認して差し込まれた名刺を取り出すと裏にメッセージが書かれていた。
「トラブルならきっとお力になれます。奥様、どうか玄関を開けて下さい。何よそれ」
約束していた夫と連絡がつかなくなって訪ねたにしてはこの文面は妙だ。夫の身に何かが起こったとして、なぜ私を説得しようなどと思うのだろう。夫を殺した事がこんなにも早くバレるものなのだろうか。
「まだ、由香の夫を殺せてないのに……」
もし、強行策に出られたら直ぐに死体が見つかってしまう。とりあえず康介を何とか風呂場に運び浴槽に蓋をした。
「臭い物に蓋だなんて、上手いこと言うわね」
蓋をする時、濁った目と目があった。
「嫌!」
慌てて蓋を閉じたが、ドクドクと激しく心臓が鳴った。
ーーピンポーンーー
またインターフォンが鳴った。相手の出方次第ではまだ逃げ道があるかもしれない。それに、康介がどのような依頼をしていたのか気になっていた。一か八かインターフォンに出た。
「はい、どなたですか」
「乾探偵事務所の者です。田沼康介さんの奥様でいらっしゃいますか」
モニターには柔和な笑みを浮かべた中年男と、二十代半ばの男が映った。
「そうですが、何か」
「昨日、ご主人とお会いする約束をしていたのですが、約束の場所に来なかったのでどうしたのかと心配していたんです」
「……夫は昨日出かけたまま、戻ってないんです。あの、夫はそちらに何か依頼を?」
「それはここではちょっと……近くの喫茶店でいかがですか?」
家を離れるのは不安だったが、二人を家に上げるわけにもいかなかった。
「……三十分後なら伺えます」
「では、お待ちしておりますよ」
二人の男は去って行った。ほっと胸を撫で下ろす。最悪、そのまま家を出る事になるかもしれない。家にあるお金をかき集め、小ぶりのトートバッグに最小限の着替えと化粧ポーチを詰めた。さっとシャワーを浴び化粧をすると、いくらか血色が良くなった。身なりを整え、家を出る。指定されたピエロという名の喫茶店に入ると、男達はアイスコーヒーを飲みながら私の到着を待っていた。
「すみません。少し遅れてしまいました」
「いえ、こちらが急におしかけたので」
中年男は桜井と名乗った。
「ご主人からその後、連絡は?」
「いえ、ありません」
「それは心配ですね」
私は俯いて頷いてみせた。
「警察には?」
「いえ、それはまだ。仕事が立て込んでいたみたいですから、会社の近くでビジネスホテルに泊まっているのかもしれませんし」
「こういう事は以前にも?」
「ええ、何度か」
それは嘘では無かった。私にとって数少ない心休まる日だった。
「ご主人はとても几帳面な方です。その旨を伝えに連絡が来るのではないですか」
「……ええ。それは仕事の面ではそうかもしれませんが、家庭では割と大雑把でした」
これも本当だ。というより、私にまるで興味が無かった。気になるのは周りからの評判ばかりで、自分の価値が下がる事を極端に嫌った。
「なるほど」
「あの、それで夫は何の調査を依頼していたんです」
「実は、ご主人は誰かに命を狙われていると疑っていたんです」
「……は?」
あの傲慢な男がそんな悩みに苛まれていたなんて想像が付かなかった。
「奥様には心当たりありませんか」
「ありませんよ、そんな馬鹿馬鹿しい」
「ですが、確かにご主人の周りでは不審な出来事が起こっていたんです」
「……どういう事です」
「電車のホームや歩道橋で背中を押されたり……その時、知らない男を見たと証言されていました」
「そんな事、一度だって」
「奥様には心配かけたく無かったのでしょう。おそらく、家に帰らなかった日だと思います」
近所の人に怪我した姿を見られたく無かっただけで、私への愛情なはずは無い。
「これが防犯カメラの映像です。はっきりとは分かりませんがどうです?」
ぼやけた写真ではそれが男か女かも分からなかった。
「身長は百六十センチから百七十センチの間、これが男性か女性かで受ける印象は違うでしょうな」
女性と聞いて、由香の事が頭に過った。
「思い当たる事がありますか?」
「えっ。いえ」
「……奥様、正直にお話して下さいませんか」
「何をです」
「私達はここに写っている人間は女性だと考えているんですよ」
「なぜ、そう言い切れるんです」
「少し、奥様の事を調べさせて頂きました。その、交友関係について」
ドキンと心臓が跳ねた。
「とても仲の良いご友人がいらっしゃいますよね。宗像由香さんという」
「……由香が何か」
「宗像由香さんの周りでも不審な出来事が多いですよね。例えば同級生の男子が一人、行方不明になっている」
脳裏にブルーシートに包まれた何かを山に捨てに行く男の背中が浮かんだ。
「それは、由香の周りとは言わないのでは?」
桜井はふうっと息を吐いた。
「それだけならばそうですが、由香さんの最初のご主人も失踪していますよね」
由香の笑顔が再び歪んだ日だ。
「ええ、ギャンブルで借金を作って逃げたと聞いています」
「確かにその事実は確認しています」
「だったら、それは不審でも何でもないでしょう」
桜井はその言葉を無視して続けた。
「さらに、現在のご主人も行方不明になってるとか」
「えっ?」
「それだけじゃありません。不倫関係にあった女性も仕事を無断欠勤しているらしくーー大丈夫ですか?」
カタカタと水を持つ手が震えていた。
「だから何なのです」
「本当はあなたも全て知っているのでは?」
桜井はここ一番の笑みを浮かべた。どうせはったりだ。
「……何の事をおっしゃっているのか」
「由香さんは今、どちらに? いえ、一人では無理でしょう。彼女には近しい間柄の叔父が一人いますよね」
桜井は共謀して夫とその愛人を殺したと思っている。そして、康介までも手にかけたと。でも、そんな事はあり得ない。
「……」
「奥様には見当がついているのでしょう? 二人はどこです?」
その叔父という人間はもうこの世にいない。私がこの手で殺したのだから。
「私には何も分かりません」
桜井は苛立った様に拳でテーブルを打った。
由香は夫と愛人の始末を今回も康介にやらせようと思っていたのだろう。あてにしていた康介の死を知り、自分一人で何とかしようと考えていた。いや、私と二人でもう一度立て直そうとしていたはずだ。
「ご友人を庇い続けるのは得策ではありませんよ」
私は好きな人と秘密を共有する事で幸せになれると思った。だから、由香の叔父である康介と結婚した。私の姓を名乗らせたのは由香の指示だった。由香の支配に耐えられなかった康介がその怒りを私に向けてくる事すら、由香は脅しの材料にしようとした。お前くらい殺す事など容易いと桜の木の下で美しく笑っているのかもしれない。
「何を笑ってるんです」
若い方の男が尖った声で言った。
「やめろ、須藤」
「もう、放っておいて下さい」
私はコーヒー代をテーブルに置いて立ち上がった。
「奥様、どちらへ」
それには答えず微笑んで見せた。依頼主を失った探偵達はまだ調査を続ける気なのだろうか。
「願いを叶えに行くんです」
私は怪訝そうな表情の探偵達から逃げるように店を飛び出した。
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