ある鏡と女王の話。
ゆづき。
あの子は寂しがりやの女の子。強くなんてない、世界一かわいい女の子。
彼女はいつも僕に問う。
「この世でいちばん美しいのは誰?」
僕が彼女と出会ったのは街の市場だった。彼女はお忍びでおでかけをして、街の様子を見に来ていたんだ。
「この鏡は真実を教えてくれるんだよ」
そんなことを店主の親父さんは言ってたっけ。彼女は僕のことを少しだけ疑った目付きをしながらじっと見つめて、それから……
「これ、ください」
袋いっぱいの金貨を渡して僕を買ってくれた。親父さんは驚いていたし、僕も驚いた。だって、こんな綺麗な子が僕みたいなくすんだ色の装飾の古びた鏡を買ってくれるなんて思っていなかったから。しかも、こんなたくさんのお金で。
「まいどあり」
親父さんがそういうと彼女はぺこりとお辞儀をして僕を大切そうに抱きしめながらお城に帰った。これが僕と彼女の出会いだった。
「ねぇ、君はお姫様なの?」
「そうよ。ゆくゆくはお母様みたいな凄い女王様になるの!なれる……かは、わからないけど」
彼女は完璧な見た目とは裏腹にかなりドジっ子だった。裁縫をすれば手に針を刺し、ダンスをすればドレスを踏んで転ぶ。そんな、至って普通の女の子。
「ドレスの丈が長いのが悪いのよ。確かにかわいいけど、これで足を動かすなんて、難しすぎるわ」
時々、そうやって文句を言いながらも1人でひたむきに練習を重ねていた、かわいくて素敵な世界一のお姫様。
「友達に教わったりすればいいのに」
ある日、僕がそう言うとお姫様は少し寂しそうに笑った。
「お友達がいないの。みんな、私と目も合わせてくれない。……ほら、私って何もかもできないでしょう?女王様の子供ってだけでちやほやされるなんて、おかしいって思われてるのよ。実際に聞いたりもしたわ。『こんな子が次の女王なんて』って」
「お姫様……」
「でも、私はそんなのに負けたりなんてしないわ。だって、私はお母様みたいな素敵な女王様になるんだもの!世界一美しくて、世界一素敵な女王様になるの!だから、絶対負けたりなんかしないわ。あなたもそう思うでしょ?」
お姫様はにっこりと笑った。その笑顔はきらきらと輝いているように見えて、この子はやっぱり世界でいちばん素敵なお姫様だなって思った。
ある嵐の日。お姫様のお母様が亡くなった。最近元気がないと聞いていたから、僕もお姫様も心配をしていたのだけど……とうとう亡くなってしまった。
お姫様は泣いた。ひとりぼっちの部屋でずっと。僕は鏡だから、肩を抱いてあげることも、胸を貸してあげることもできない。ただずっと、眺めることしか出来なかった。
泣き止んだお姫様は僕を見つめて言った。
「ねぇ……教えて。私、ちゃんと……世界一美しい女王様になれるかしら……お母様みたいな、みんなに愛される、女王様になれるのかしら」
「なれるよ。絶対なれる。だから、大丈夫だよ」
何が大丈夫なのかなんて考えていなかった。ただ、このひとりぼっちの寂しがりやの女の子を、僕が世界一大好きな人を泣かせたりなんてしたくない。だから、どうか君が笑えるようにと、ただその願いから出た言葉だった。
お姫様は女王様になった。国民の前では常に凛としているけれど、中身はあの小さな女の子のままだった。
「あのね、今日ダンスパーティーがあって、珍しく上手に踊れた!って思ったところで滑って転びそうになってしまったの。なんとか取り繕ったけれど、誰かに見られていたらどうしよう」「明日、国民へのスピーチがあるの。声が震えたら、頼りないって思われてしまうわ。どうにかしないと……ああでも、今からでも緊張するのに……!」
そんなことをせかせかと部屋を歩き回りながら呟いては僕の方を見つめて「私、美しくないかしら……上手くやれてなかったらどうしよう」なんて訊ねる。
最初の方は心配で毎回元気づけていたけれど、今となってはおかしくてつい笑ってしまう。
「大丈夫だってば。君はいつでも世界一美しい女王様だよ」
「本当に?」
「本当だってば。ほら、明日早いんでしょ。早く寝なよ」
「そうね。もし顔色が悪かったら心配されてしまうもの」
「もう。そこまで心配しなくても平気だってば。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
ろうそくの火が消えて月明かりが差し込む。
女王様は規則正しい寝息をたてて眠っている。
頑張り屋さんな女王様。この部屋だけでは、せめて息を抜けますように。そんなことを思いながら、僕も眠りについた。
数ヶ月後、事件は起きた。
僕はその日、鏡たちの会合で彼女の部屋の鏡を留守にしていた。それが、不覚だった。彼女にそれを伝えるべきだった。
女王様の部屋の鏡に帰ると女王様は顔を真っ青にしていた。
「どうかしたの」
「……白雪姫…………許さない……」
シラユキヒメ?誰のことだろうか。
それよりもとにかく、女王様の様子がおかしい。いつもの不安な顔どころではない。
絶望と嫉妬。
いつもの美しい瞳にはそれしか映っていなかった。
「白雪姫を殺さなきゃ……じゃないと、私は……」
殺す……?何を言ってるんだ、この子は。
「どうしたの、女王様。君らしくもない。なんでそんな……そんなの、美しくもなんともない!」
「うるさい!あなたまでそう言うの……?私は、お母様みたいに美しくならなきゃいけないのに……世界でいちばん美しくないと……みんなに、愛される女王様にならないと……私は、何の為に……」
泣き出しそうな顔で女王様は言う。泣かないで。笑ってよ。そう言いたいのに言葉が出ない。
「殺さないと……ちゃんと。さっき腕利きの狩人を雇ったの。彼があいつを殺してくれるって……ねぇ、あの子はちゃんと死んだ?」
「……死んでないよ。彼は豚を殺しただけだ。まだ間に合う。だから、お願いだから考え直して……!」
「私にはこれしかないの!!!」
女王様の声が部屋中に響く。
「私は……頑張ったの。今まで沢山……世界一の女王様になりたくて……お母様みたいになりたくて、頑張ったの……なのに、届かない。届かないなら、消すしかない。他に方法なんて、思いつかないのよ……」
「女王様……」
「……誰かに頼ってばかりではダメね。やっぱり、自分が動かないと」
女王様は本棚から呪いの本を手に取った。
「これで、毒林檎を作って、食べさせれば……」
どうしたら止められるだろう。僕に動かせる体があったなら、そんな本を取り上げて、優しく抱きしめてあげられるのに。それで、君は愛されてるよって。僕が世界一愛しているよって伝えられるのに。
「……ふふふっ、これで完璧。白雪姫さえいなくなれば、私はまた世界一美しくなれる。みんなに愛される女王様になれる。絶対に成功させないと……」
「女王様、待って!」
バタン、と扉が閉じられた。
「……女王様……」
君は、世界一美しい。僕にとって、ずっと世界一美しい人。だから、お願い。人殺しなんてしないで。君の美しさが誰かの血で穢れてしまうのは勿体ない。君の完璧な美しさを愛する僕のために。どうか。
白雪姫は死ななかった。毒林檎が喉に引っかかっただけで、何とか一命を取り留めたらしい。
女王様は今日、処刑される。真っ赤に熱された鉄の靴を履いて、国民の前で死ぬまで踊らされる。
女王様は国民を愛していた。国民に愛されたくて、いつも一生懸命だった。それを僕は知っている。
処刑台に向かう前、女王様が部屋に来た。
「……ねぇ、鏡さん。私、今、美しい?」
髪は乱れて、服は死刑囚用の簡素なもの、腕はやせ細って、頬は痩けている。
でも、それでも。涙を溜めながら僕に問いかける彼女はとても美しくて。
「はい。美しいです」
「……そう、よかった」
ふわりと笑った女王様の笑顔。出会った時に見た、あの綺麗なお姫様の笑顔。
「死刑執行時間だぞ。早く来い」
「……はい。では、鏡さん。さようなら」
女王様は慎ましやかにお辞儀をして部屋を去った。
「……さようなら。世界一美しい、僕のお姫様」
ある鏡と女王の話。 ゆづき。 @fuka_yudu
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