バレンタインプレゼントにはお米を

水渕成分

第1話

「バレンタインプレゼント用のお米を買ってほしいんですよ?」


「はあ?」

 僕はそう言うしかなかった。男の僕がバレンタインのプレゼントを買う? しかも、チョコレートじゃなくてお米?


「うふふ。いきなりそう言っても分かんないですよね。さっき送ったメールを開いてもらえますか?」


 僕は目の前のパソコンのメールを確認する。


 あ、確かに新着メールが来ている。送り主は伊東涼花先生。今電話で話している相手。協力関係にある農業高校の先生だ。


 タイトルは「バレンタインプレゼント用のお米販売のご案内」。添付ファイルが二つ付いている。一つは写真。もう一つは注文票だ。


 写真を開くと……綺麗な巾着袋に入ったお米が五袋で一セット。税込みで三千円。ちょっと高く感じるかもしれないけど、お米は全部ブランド米だ。


「あ、凄い。結構おしゃれかもしれませんね。食品開発クラブの子たちのアイデアですか?」


 僕の言葉に伊東先生も嬉しそうに返す。

「そうです。今回もまたあの子たちのアイデアなんですよ」


 食品開発クラブ。名称は各校で違うけれど今は殆どの農業高校にあるクラブだ。


 要は高校生が自校で作った農産物を素材に新しい商品を作る。今回みたいに自分のところで作った農産物だけで商品化する場合と他の企業とタイアップし、既存の商品と農産物を組み合わせて作る場合がある。


 そして、今現在言えるのは食品開発クラブに入る子はほぼ女の子なのだ。


 別に男の子が入ってはいけないルールはない。でも、元気がいいのはみんな女の子。


 新商品の開発に成功すると地元のメディアが取材に来るが、商品を持って、前列中央で満面の笑顔で写ってるのは100%女の子。


 男の子は全くいないか、いても最後列の隅っこで緊張した面持ちで写っていたりする。


 同じ男としては非常に残念だが、これも時代の流れかもしれない。


 そして、例によって伊東先生が顧問を務める食品開発クラブも全員女の子。


 たまに訪ねて行くと、キャッキャキャッキャとまあ騒々しいこと。


 二十五歳の伊東先生は彼女たちのいいお姉さんという感じ。


「はあ。これはまた斬新なアイデアですね。また、ニュースになりますね」


 素直に感心する僕に伊東先生はまた嬉しそうだ。

「うふふ。でもね。バレンタインプレゼントにお米というのはあの子たちのオリジナルじゃないんですよ」


「え? そうなんですか?」


「はい。もう先行事例はいくつかあります。綺麗な巾着袋に入れるというのはオリジナルっぽいですけどね」


「うーん。僕はバレンタインで何かイベントがあった経験自体がないけれど、こういうのって男が買ったりしてもいいものなんでしょうか?」


「うふふ。今はチョコレート以外の贈り物も多いし、うちの子たちも『友チョコ』とか言って、女の子同士でプレゼント交換してたりしてるし、いいんじゃないでしょうか。でも、気になる男性への告白の機会という要素も残っていてほしいですけどね」


 今一瞬、伊東先生のテンションが上がったような気がしたのは気のせいかな。


 でもいつもお世話になっているし、頑張っているのはよく伝わってきているから、出来るだけのことはしてあげたいよね。

「はい。承知しました。では、うちの営業所内で購入希望まとめて、メールで送りますね」


「よろしくお願いします。あの、たくさん買ってもらえますと助かります。後、お手数ですが、注文をお受けした商品が揃いましたら、こちらに取りに来てもらいたいのですが」


「はい。その時は僕がお伺いしますね。よろしくお願いします」


 ◇◇◇


 電話を切って、ふううと息を吐く。


 県立高校の先生はお金の心配はしなくてよくて、そういうことは学校事務の職員さんに任せておけばいい。


 そんな時代は終わっちゃったそうだ。高校でも売れるものは出来るだけ適正な価格で売るように言われてるそうだ。


 さて、お役に立つには予備知識も必要。まずは「バレンタイン チョコ以外」で検索。


 あるわあるわ。和菓子に始まって、入浴剤、ネックレス、パーカー、ぬいぐるみにプリザーブドフラワー。バレンタインとは、おかんが二月十五日に在庫処分セールで買ってくる安いチョコレートのことだと思っていた僕には衝撃だ。


 続いて、「バレンタイン 米」で検索。


 これはさすがにあまりないでしょと思ってたら、結構ある。ハートを持ったクマのぬいぐるみ付きなんてのもあるけど、シンプルに米の品種名が書かれた白い袋なんてのもある。


 (うむっ! 時代は変わったっ! バレンタイン=チョコレートではないっ!)

 気合いを入れ直した僕はまずは営業所長の席に向かった。


 ◇◇◇


「ふーん。時代は変わったんだねえ」

 感慨深げな営業所長。バブル世代ど真ん中の方。

「私が相良君くらいの時はねえ、女子職員がみんな義理チョコをくれてねえ」


 出ましたね。昔語り。あ、相良って僕の名前ね。


「私なんかもらった義理チョコの単価を調べさせられてねえ。当時の営業所長の命で単価三倍のお菓子を買いに行ったんだよ。男子職員全員分のね」


「そっ、そうでしたか」


「まあ今は『義理チョコ』なんて言うと、一つ間違えばセクハラだからね。時代は変わったってことだ。一セット買わせてもらうよ。私から妻に贈って、二人でブランド米の食べ比べをしよう。これもバレンタインだ」


 毎度あり~


 ◇◇◇


「バレンタインと言えばなー、相良―。うちの娘、友達と『友チョコ』の交換ばかりしてて、俺にはくれないんだよー」


「そっ、そうなんですか」


 この人は秋月先輩。二十七歳の僕の七つ年上の三十四歳。この営業所の中で男子職員最年少の僕に一番年齢が近い男子職員だ。


「でもよお。嫁が『可哀想なあんたには、あたしからあげる』と言ってチョコレートくれたんだ」


「……」

 秋月先輩。愚痴るか惚気るかどっちかにしてください。リアクションに困るじゃないですか。


「今年も嫁がきっとチョコレートくれるから、俺はそのお米セット渡して、プレゼント交換するぞっ!」


 毎度あり~と言うか、ごちそうさまです。


 ◇◇◇


 他にもうちの営業所の人はみんな買ってくれた。有り難い話だ。


 ここは既婚者が圧倒的に多いから、その人たちは家庭内での食べ比べで大盛り上がり。


 何人かいる若い独身女性職員は特に何も言わないけど、思うことはありそう。


 でも、ここは何も聞かない。セクハラだし、僕に「まだ彼女出来ないの?」という巨大ブーメランが帰ってくるのも、やはりメンタルにダメージを残すし。


 ◇◇◇


「えー、相良さんも買うんですか? 相良さん、彼女いるんですか?」


 若いって凄いわ。思い切り直球で来ましたね。女子高生のみなさん。


「いいや、いないよ」

 自分より十歳も年下の子たちに見栄張っても仕方ないしね。


「えーっ、意外―っ」

「いるものだとばっかり思ってましたよ」

「スマホにある彼女の写真、見せてもらおうと思ってたのにー」

「隠してません?」

「もしかしてあたしたち狙い?」


「こらこら、君たちに手を出したら犯罪でしょ?」


「あはははは。でも、相良さんに彼女いないって意外ですよー」


「そうかなあ。僕ってパッとしない感じだし。君たちもカッコイイアイドルやスポーツ選手の方が好きでしょ?」


「「「「「そんなことないですよー」」」」」

 みんな一斉に首を振る。えーっ? そうなの?


「まあ、そういう子もいますけどね。アイドルやスポーツ選手が好きな子も」

「でも、あたしたちの中にはいないよね」

「どっちかというと優しい感じの方が好きかな」

「穏やかな感じの方がいいよね」

「星野源とか高橋優みたいな」


 そうなのか。さすがに彼女たちは恋愛対象とは思えないけど、そう言ってもらえるとやっぱり安心するね。逆にお世辞とか言えないだろうし。


(あっ)

 僕は気づいた。伊東先生が僕が渡した注文票を見つつも、チラチラこっちを見ている。いけないいけない。僕はメールで注文した「バレンタインプレゼント用のお米」の受取に来たんだよ。女子高生と楽しくお話しするために来たんじゃなくてね。

「ご、ごめんなさい。代金持ってきたので、引き換えで商品預かって行きますね」


「いっ、いえっ、ちょっと」

 伊東先生は注文票と僕を交互に見ながら何やら思案顔。

「あ、ごめんなさい。こちらの手違いでお渡しする商品が変わるものが出たようですね」


「はあ」


「すみません。一つ商品入れ替えるので七時半にまた学校来てもらえませんか?」


「あ、はい。いいですけど」


「え? 伊東先生。商品入れ替えなら、あたしたちがやりますよ」


 生徒たちの申し出に伊東先生は笑顔で首を振る。

「ありがとう。でもね、これはちょっと事情が複雑なんだ。ここは大人の私に任せてもらえるかな?」


「はい……」

 腑に落ちない様子だけど、頷く生徒たち。


 事情が複雑って僕にも気になるけど、ここで詮索しても仕方ないし、七時半になれば分かることだしね。


 それにしても……


 さっき生徒たちに向かって、首を振った伊東先生の笑顔が目に焼き付いて離れないよ。


 前から綺麗な人だとは思っていたけど……


 ◇◇◇

 

 とうとう七時半になった。


 会いに行くのが楽しみなような、怖いような……


 七時半の学校はいくつかの教室に灯りが灯ってはいるけど、全体的に暗い。


 生徒たちも帰っただろうな。七時には帰らせるって言ってたし。


 食品開発クラブ部室である調理室のドアをノック。


「どうぞ。お入りになってください」


 相変わらず綺麗な声だ。


 ◇◇◇


 調理室の中はやはり伊東先生一人だけだった。気のせいか頬が赤みがかっているようにも見える。ちょっとドギマギする。


「ごめんなさい。二度もご足労願って」

 伊東先生はそう言いながら、僕に「バレンタインプレゼント用のお米セット」と納品書・請求書の入ったダンボール箱を渡してくれる。


「いえいえ。お気になさらずに。それで、すみませんが、僕も他の職員から代金を預かってきている身なんで、一応中身を確認させてください。大丈夫だとは思ってるんですが」


「どうぞ」

 また静かに微笑む伊東先生。まずい。心臓の鼓動が早くなっていることが自分で分かる。いかん。ここは冷静に。冷静に。


(!)

これは予想外の事態だ。こちらが注文した数より「お米セット」の数が一つ足りない。それだけじゃない。納品書と請求書の品物数も一つ足りない。


どういうことだ? 伊東先生がこんな単純なミスをするとは思えない。一つ商品数が少ない分、請求額も少ないからいいという問題でもないだろう。


 僕は意を決し、先程から静かに微笑んでいる伊東先生に声をかけた。

「あの。商品数が一つ少ないようなんですが?」


 伊東先生は静かに微笑んだまま頷いた。

「はい。買っていただく数はそれでいいのです」


「えーと、どういうことですか?」


 ◇◇◇


 伊東先生は、はにかみながら小さな紙袋を取り出した。

「相良さんの分は買っていただくのではなく、私からのバレンタインプレゼントにしたいんです。いいですか?」


「……はい」

 僕は震える手で伊東先生から小さな紙袋を受け取った。中身は「お米セット」と小さな白い封筒。


 僕は小さな紙袋を脇の机の上に置くと小さな白い封筒を手に持った。


「それを開けてみてもらえますか?」


 伊東先生の言葉に僕はゆっくりと小さな白い封筒の中身を取り出す。そこに書かれていたのは……


「高校食品担当教諭がご自宅でお米を炊いてあげます券」


「こっ、これは……」

 あまりの衝撃に思わず口ごもる僕に伊東先生はなおもはにかみながら言ってくれる。


「相良さんが一人暮らしなのは前に聞いて知ってました。でも、彼女がいるのかなと思っていたら、うちの生徒たちが聞いてくれて。思い切ってみることにしました。その券も、もらってもらえますか?」 

 

 僕の答え? そんなの決まっているでしょう。














 三年後。


 僕は涼花さんの手を引いて、結婚式場の披露宴会場に入った。


 たちまち沸き起こる大歓声。


 一番大きな歓声はもちろんあの時の食品開発クラブの女の子たちの声だった。



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バレンタインプレゼントにはお米を 水渕成分 @seibun-minafuchi

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