第2話 蛇の足の話

 という話がございます、と陳軫ちんしんは口を閉じた

 今は宴の最中だ。大いに盛り上がっていた。これは軍の総大将であるこの俺が、軍を蹴散らし城を8つ落とした祝いの宴だ。これからせいへ出兵する出征の宴も兼ねている。斉はこの陳軫を使者として送り込んできた国だ。


 俺は正直、戦に乗り気じゃなかった。

 楚は先代王の時は戦国七雄と名高かった。けれどかい王の代になってからはぱっとしない。そもそもこの魏攻めはしんとの同盟に端を発するが、秦が拡大して脅威となっているのも確かだ。張儀ちょうぎの糞野郎が暗躍してる気配を感じる。張儀は俺の宝玉を盗んだからボコボコにしたのだが、それを酷く恨み、楚の城を盗むだなどと手紙を送りつけてきた。

 背後が不安だ。正直、戦なんてとっとと終わらせ国に戻りたい。

 だから和睦かと喜んで迎え入れたのに、陳軫は大仰に戦勝を祝い、ひれ伏した。祝われた以上、俺はやむなく宴に招き、酒を供した。その酒を眺めながら、そういえば、とにこやかに話したのが今の蛇の足の話だ。


 何を考えているのかよくわからん。気味が悪い。

昭陽しょうよう将軍、楚の国では戦に勝てばどのような報奨をいただけるものでしょう」

「そうですな、上柱国じょうちゅうこく、まぁ軍の上層部に任命されるでしょうな」

「ほう、さすがですな。ですが将軍はすでに令尹れいいんであられる。令尹以上の地位はございますかな」

「……ありませんな」

 俺は楚の大将軍とともに令尹宰相も兼ねている。

「将軍はすでに最高位であらせられる故、これ以上官職は得られないでしょう」

「そうですな」

「そこです。将軍はほとんど兵の損耗なく魏を打ち破られた。これは大変なことです。大変な功労です。将軍が斉をお攻めになれば、斉は死にもの狂いで戦わざるを得ません。そうなると、申し上げづらいのですが将軍が敗れることもありましょう。戦ですから討ち死にの危険もありましょう。折角損耗のなかった兵は目減りし、負ければ敗軍の誹りを免れず、御身の地位も危うくなりましょう。折角の魏攻めの功労がなくなってしまいます」

「まぁ、そうかもしれませんな」

 苛立ちが募る。だからなんだ。斉を攻めるなってことか。

 負け戦を恐れてちゃ将軍なんざ始まんねぇ。

「将軍が魏で兵を温存したという功労すら、その兵とともに失うかもしれません。次の戦も難しくなる。けれども将軍は既に位人臣を極め、斉に足を伸ばしても将軍が得るものはない。斉に勝っても蛇の足ではありますまいか。危険が増えるばかりです。それならここで鉾をおさめられ、楚に戻られてはいかがでしょう。斉に恩を売ることもできますよ」

 実際微妙な戦況だ。秦の動きも気になる。一理は、ある。

 楚の問題は国境が東西に長いことだ。斉と秦は東と西の真反対にある。万一両面戦になると厳しいのだ。それであれば斉と友好な関係を結んだ方が得かもいれぬ。


 ふうむ。改めて陳軫の顔を睨みつけても、飄々と笑みを浮かべるのみであった。

 陳軫は本当は秦の臣だ。たまたま斉に外交に赴いた折、斉王から依頼されて昭陽を説得に来たのだ。そんなことは俺も知っている。けれども張儀と陳軫は不仲で、張儀は陳軫の悪口を楚王に吹き込んでいるとも聞く。張儀を抑えるために秦の中に味方を作るのも一つかもしれない。

 

 こいつらは口先だけで生きている縦横家だ。信用できるのだろうかという不安が湧き上がるし、癪に触る。けれども。

「引き上げるよう」

「誠にご慧眼で御座います」

 陳軫は上等な酒を持ち、ほくそ笑んで辞した。


 その後、楚の懐王が総大将となり縦横家の蘇秦そしんの口車にのって秦を攻めた合従策、第一次函谷関かんこくかんの戦いは、同じく結局縦横家の口車に乗った斉が合従軍を背後から襲って敗戦となった。

 それからしばらく後に秦が斉も楚も滅ぼし中華を統一した。


-後書き

 この頃はまだ誰も中華を統一できるとは思ってはいなかった。

 昭陽が張儀をボコった件は、昭陽が楚王から送られた和氏の璧を宴会中になくしたところ、身なりの悪い張儀を犯人と決めつけボコった話です。犯人は別の人物で、和氏の璧を下賜された昭陽を妬んで懐に入れ、池に捨てたという説話があります。なおこの懐王は藺相如の短編で秦王に和議を申し入れられのこのこ行って捕まって死んだ人です。


藺相如と愉快な仲間

https://kakuyomu.jp/works/16816927860333689545


 縦横家の信用のなさも結局合従連衡うまくいかなかい1要因じゃないかなとちょっと思ってる。

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