第19話 社内討議の誘い
「え?私はもう辞めたので、会社には戻らないです。ダイジンと農業をやります」
ふみ子は益田マネージャーの下品な笑いが頭にこびりついており、無理だと思い、断った。
「そうか、もし、ダイジン達が電子政府実現のために会社に入りたいと言ったら、どう思う?」
太田晃一は横目でふみ子の反応をうかがった。
「ダイジン達がですか?」
ふみ子は自分のせいでダイジンの夢が実現しないのは、中川智之に対して負い目ができると思い返した。
「うん。ダイジン、ITの知識がないから夢がかなえられないと思っているだろう。俺は会社を辞めるし、フミタンがダイジンに協力すれば、ダイジンの夢がかなうかもしれない」
太田晃一にしては珍しく、真面目な口調でふみ子を説得した。
「ダイジンの夢のためなら、協力します。でも、ダイジン、入社するでしょうか?」
「うん。そうだなぁ。社内で一回目の討議があってね、ITの知識はあるけど、ビジョンがないことに気づいたんだ。そこで、アンドロメダの議論帝国で議論している人を招待して、もう一度、討議することになったんだ。ダイジン達に話す前にフミタンの気持ちを確認しておこうと思ってね。高田常務のコンサルタント会社もアンドロメダの議論帝国をきっかけにしているし、自分の手柄を他の人の手柄にするのは悔しいだろう。ダイジンの夢のためにも、フミタンにも参加してほしい。討議に参加すれば、出席者として、名前が残るよ」
ふみ子は自分の世間体の悪さからくる恥ずかしさのために、中川智之の夢が砕け散るよりも、ここは協力して、中川智之の夢に賭けてみようと覚悟をきめた。
「ダイジン達が参加するなら、私も参加します」
「ヨシ。じゃぁ、ダイジン達にきいてみよう。あとね、謝礼金も出るみたいだよ」
太田晃一はうなづくと、中川智之の車に続いて駐車した。
畠山由紀がぶつぶつ独り言を言いながら、中川智之の車から降りてきた。
中川智之は太田晃一の車の窓ガラスをノックした。
「ここが、俺の畑だよ。車から降りて、見学してくれ」
太田晃一とふみ子は中川智之に従って、車から降りると、中川智之は畑の説明をしはじめた。
有機農業をさらに一歩すすめた、自然栽培をしているという。リンゴの自然栽培に成功した人の映画をみて、自分もやってみようと思ったらしい。何年か無収入の時代があって、市街地の飲食店で働いていたが、栽培が成功するようになり、その飲食店が買い取ってくれ、販路も紹介してくれたとのことだった。
「人手が増えたら、ネット販売やコウイチの会社に卸すことも考えている。フミタン、前向きに検討してくれないか」
中川智之はふみ子と視線を合わせて、ふみ子の肩に手を置いた。
「ハイ!前向きにハイと言います。でも、その前にコウイチの話も聞いてください」
ふみ子は中川智之の申し出に舞い上がりそうになったが、太田晃一に言われたことも忘れなかった。
「俺の話もきいてくれ」
太田晃一は、ふみ子にした電子政府の討議の参加と入社の話をした。
「討議に参加するのはいいが、入社はなぁ。俺、他人の下で働くのはイヤなんだ。でも、俺の夢のためだし、社会の発展のためでもある。討議はいいが、入社は討議に参加したあとで、もう一度考えさせてくれ。フミタンやニンニンも一緒に入社するのか?」
中川智之は視線をふみ子と畠山由紀を交互に向けた。
「私はダイジンやニンニンが参加するなら、協力します」
ふみ子はうなづきながら答えた。
「僕は電子政府について、否定的な意見の持ち主だから、討議に参加しないし、入社しない」
畠山由紀はきっぱり断った。
「ヨシ、じゃぁ、フミタン、俺は参加するから、一緒に討議の準備をしよう。今日はここまで来てもらったから、明日は俺が東京へ行くよ」
中川智之を覚悟を決めたかのように、右手で拳をつくり、左手でその拳を受け止めた。
「月曜日にしてくれれば、会議室とパソコンとプリンタを用意できるぞ」
太田晃一は人差し指を立てて、左右に振った。
「そうしてくれれば、ありがたい。でも、月曜日は出荷があるから、2時くらいになる。会議室ってどこの会議室だ?」
「俺が働いている会社の会議室。2時に準備できる」
太田晃一は左右に振った人差し指で自分の眉間に手を当てて、より目をつくり、口をへの字に曲げ、他の3人の爆笑を誘った。
「まったく、何をやっているんだ。俺の家に来いよ。ご飯が炊きあがっているよ」
中川智之は畠山由紀の背中を押して、自分の車に押し込んだ。
太田晃一も自分の運転席に乗り込み、ふみ子も太田晃一の車に乗り込んだ。
中川智之の家は車で5分ほどのところで、田舎らしい古民家だった。さきほどの中川智之の話では、父親は他界しており、母親と二人暮らしということだった。
その母親が外に出てきて、ふみ子達を迎え入れた。田舎には不釣り合いな、なまりのない上品そうなお母さんだった。
お母さんは家にあがって、座るように促し、白磁の茶器に冷茶を注いでくれた。
ふみ子が一口、口をつけると、横に座った畠山由紀はぐびぐび一気飲みした。
お母さんは微笑を浮かべて、畠山由紀の茶器に冷茶を注ごうとすると、畠山由紀は茶器を手でふさいだ。
「もう、大丈夫です。これ以上飲むと、食べられなくなるから」
「お前、早く食べるし、よく食べるけど、なんでそんなに痩せているんだ?」
中川智之は不思議そうな顔をして、畠山由紀の顔をみていた。
「僕、一人のときは昼食以外食べないんだ。夜、飲み会があれば、食べるけど、一人のときは食べない。休日もサンドイッチかカップラーメンだからね」
「夕飯、うちに食べに来れば?私、夕飯作ってあげる。一週間3500円献立だから、口にあうかわからないけど」
ふみ子は深く考えずに提案した自分に驚いた。
「え?いいの?僕、お金払う」
畠山由紀は嬉しそうにふみ子の手を握った。
「うん。あんまり、おいしくないからお金はいらないよ」
ふみ子は握られた手をそっと払いのけてから、手を左右に振った。
「そういうことなら、米と野菜を宅急便で送ってあげるよ」
中川智之は住所を書いてくれと、ふみ子にメモを渡した。
ふみ子はその好意が自分に向けられたものではないと理解していたが、住所をきかれたことが嬉しかった。
「やっぱり、僕、お金払うよ。一日500円払う」
ふみ子は謝礼金を辞退したが、畠山由紀はきかなかった。
「じゃぁ、一か月、7000円なら、受け取れる?」
畠山由紀は妥協案を提示した。
「受け取れよ。野菜もらっても、光熱費がかかるし、それで、ニンニンの気がらくになるからな」
中川智之が口添えしたこともあって、ふみ子は7000円受け取ることにした。
バーベキューの準備が整い、皆で手分けして、野菜と肉を切って、串にさした。
これが、自然栽培の野菜なのかとあまりのおいしさに言葉を失い、ご飯もかまどで炊いているから、白米の良い香りがして、脳が溶けるかんじがした。ビーフやラムも炭の香りが食欲を刺激した。ニンニンはふみ子の倍速でご飯を平らげて、お代わりをしていた。ふみ子はお代わりは我慢したが、夢中になって、無言で食べていた。
太田晃一は自然栽培は難しいが、これは、やりがいがあるだろうと中川智之の苦労をねぎらうと、中川智之は藁の敷き方で何年も苦労をしたとか、周りの農家から疑いの眼差しをむけられたとか、販路を拡大しようとして、サイトを運営したら、お金を振り込んでくれないひとがいて、警察に相談しても、相手にされなかったという話をしていた。
中川智之のお母さんは自分の息子の話に相槌はうつが、自分からは出しゃばらないタイプの人のようだった。
中川智之の白い歯が光る横顔を、ふみ子はチラチラとみていて、幸せな気分に浸っていた。
「ハエでも飛んでいるのか?横をみて、ニヤニヤしている」
太田晃一はふみ子の頬を人差し指で突いた。
太田晃一はふみ子の目をみて、フフフと笑っている。
ふみ子は咄嗟に話題をかえた。
「ニンニン、明日、何時に来る?」
「平日だったら、8時半に行けるけど、土日は6時でいいかなぁ?ゆっくり、フミタンとお話したい」
畠山由紀は天使のような微笑みを浮かべて、提案した。
ふみ子はその微笑みにドキリとして、中川智之が好意を抱くのは必然だなと、自分の恋はあきらめる努力をしようと思った。
「うん。いいよ」
ふみ子も畠山由紀の微笑みにつられて、自分も笑顔で承諾した。
「お前ら、相思相愛なのか?」
中川智之がポツリと言った。
「僕の片思いだよ」
畠山由紀はため息をつきながら独り言のように返事をした。
ふみ子はなんて返事をしようか迷っていた。
「俺たち、皆、片思いみたいだな」
太田晃一は空を見上げ、中川智之の肩をポンと叩いた。
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