第3話 合意のもとでの夜
翌日、太田晃一はふみ子を呼び止め、ラウンジに誘った。
「昨日、千円借りただろう。助かったよ。あとね、高田常務には気を付けるんだよ。何人もの女の子が泣かされているからね」
太田晃一はテーブルの上に千円を置き、ふみ子の目をみた。
ふみ子の視線が泳いだのを太田晃一は見逃さなかった。
「私、高田常務とは何の関わりもありません」
ふみ子はうつむいた。
「うん。それならいいけど。なにか飲み物おごるよ」
「いえ、結構です。失礼します」
ふみ子は会釈して、自席に戻った。
太田晃一の心配そうな目つきが胸に刺さった。
メタチャットに高田常務はいるというが、気をつけてみているものの、誰なのかはわからなかった。最初はエスパーだとおもったが、どうも違うような気がする。高田常務はネットで声高らかに自分の意見を表明するタイプではないとみた。それに、メタチャットにメッセージボックスがあるので、わざわざプライベートのメールアドレスを教える必要があるのだろうか。疑いだすとキリがないので、あまり考えこまないようにした。太田晃一とは千円を返してもらったあとは気まずくなって、あまり話しかけないようにした。
約束の金曜日、ふみ子は淡いベージュのワンピースを選んだ。とっておきの一着である。出勤すると相田陽菜が寄ってきた。
「彼氏とデート?」
相田陽菜は意味ありげは視線を向けた。
「そんなんじゃないよ。同窓会なの」
咄嗟のウソだったので、声が上ずった。
「本当かなぁ・・まぁ、来週いい報告が聞けるように願っているよ」
相田陽菜はポンポンと両手でふみ子の肩を叩いた。
「あ!そうそう、錦糸町って鬼谷さんの家の近くだよね。SNSで当たるって評判の占い師がいるの知っている?」
相田陽菜は話題をかえた。
「知らない」
「今度、二人で行ってみようよ。」
「うん。いいよ」
ふみ子は笑顔で承諾した。
6時になると、帰り支度をして、30分前にホテルのロビーについた。
ギリギリに行けばいいものを早く早くと自分を急き立てて早くついた。
女の子のなかにはわざと遅れる人もいるのに、ふみ子にはそれができなかった。
8時ピッタリに高田常務は現れた。
「待った?」
「いえ、私も今着いたばかりです」
ふみ子は嘘をついたが、こういう嘘は礼儀だと思っている。
「男を待たせない女というのはいいね。これは僕からのプレゼント。開けてごらん」「ありがとうございます」
ふみ子は包みを開けるとダイヤで縁取りがしてある小さなアメジストのネックレスと指輪が入っていた。
ふみ子の目が輝いた。
「つけてあげるよ」
高田常務はふみ子の後ろにまわり、ネックレスをつけてから、片膝をついて、指輪をふみ子の薬指にはめ、手の甲にキスをした。
ふみ子は今まで、そんなことはされたことがないので、舞い上がった。
「さあ、レストランに行こう。予約してあるんだ」
高田常務は立ち上がり、ふみ子の手を自分の腕にまわし、エスコートした。
そして、レストランではふみ子のために椅子までひいてくれた。
「食べられないものはある?」
「あ、甘エビ以外はなんでも食べます」
ふみ子は舞い上がっていて、声がうわずっていた。
「甘エビ?ハハハ・・・面白いね。何か食べたいものはある?」
ふみ子は高級レストランに行ったことがないので、メニューをみてもイメージがわかなかった。
「あ、あの、えっと、お任せします」
高田常務はウェイターにおススメの料理を聞き出し、スマートに注文した。
食前酒が運ばれると高田常務はジッとふみ子をみつめた。
ふみ子は視線に気づき、微笑みをつくった。
「君は笑顔と小さな手がかわいいね。君の笑顔に酔いそうだ。乾杯」
二人はグラスを鳴らした。
「奥様がいらっしゃるんじゃないですか?」
「うん。いる。妻はガンでね。何度も手術しているんだ」
「では、早く帰ってあげないと・・・」
ふみ子はうつむき、当惑した。
「僕は妻を愛しているが、手術のあとをみると、妻と夜の生活ができないんだ。君が気にすることじゃないから、気にしなくていいよ。ところで、君に聞きたいことがあるんだが、答えてくれるかい?」
高田常務は話題をかえ、眉をあげ、ふみ子と視線をあわせた。
「白い狐の像の話は本当かい?」
ふみ子は先週メタチャットで、ふみ子の母の実家に伝わる古い伝説を語ったことを思い出した。
「我が家に伝わる伝説です。本当のことなのかはわかりません」
ふみ子は視線をあわせていることが耐えられず、視線をずらした。
料理が運ばれてきたので、高田常務は食べるように勧めてくれた。
「その白い狐の話を詳しく聞きたいんだ。食べながらでいいから、話してくれないか?」
ふみ子は承諾し、祖母から聞いた話を高田常務に伝えた。その話とは、ふみ子の先祖が渡来してきて、鬼谷の姓を名乗り、中国から持ってきた白い狐の像を祀り、祠を建てて、代々神官をしてきたこと。継体天皇が王位を継ぐときに、巫女が王子に捧げたが、巫女は王子に嫁ぐことはできず、巫女が亡くなった時に狐の像は返還され、遺体と共に埋めた。そして、平家が権力を握りそうになったとき、巫女が清盛に狐の像を捧げ、巫女は清盛の側室になったが、清盛亡き後、巫女は福井に帰ってきて、狐の像を埋めなおしたという。
「その白い狐の像はやはりゴリヤクがあるような印象をもったんだが、君はどう思う?」
高田常務は興味深そうに黙ってきいていたが、ふみ子の意見を求めた。
「祖母の話では狐が授ける強運に値する相手に捧げないと不幸になるんだそうです。私の母も父に捧げようとして、離婚しました」
「お父さん、そのあと、どうなった?」
「行方知れずです」
ふみ子は目を伏せた。
「悪いこときいたね。僕が悪かった。おわびといってはなんだが、お酒もおごるよ。最上階にバーがあるんだ。夜景をみながら、お酒を飲もう」
高田常務は立ち上がると、ふみ子の手を自分の腕にまわした。
ふみ子は深く考えず、高田常務にエスコートされながらバーに入った。
「君、彼氏いる?」
ふみ子は高田常務の視線にドキッとした。
「い、いないです」
また、ふみ子は声がうわずった。
「君に恋人ができるまで、僕をキープするっていうのはどう?」
ふみ子はこのおかしな提案にボーっとした。
「セクハラしたいわけじゃないんだ。僕、生え抜きの社員じゃないだろう。肩身が狭いんだ。君も派遣だし、いい友人になれると思うんだけど、君はどう思う?」
「常務が私の友人だなんて。でも、友人ということであれば、いいです」
ふみ子は笑顔になった。
「君は本当に笑顔がかわいいね。やっぱり、君をただの友人にしておくのは惜しいんだ。今日は飲んでくれよ」
高田常務はふみ子にジンライムやスクリュードライバーを次々と勧め飲ませることに成功した。高田常務はアルコールに強いらしく、まったく変わらなかった。意識が遠のくのを感じたが、どうすることもできなかった。
ふみ子が気が付くと、ベッドの上でシャワーの音がきこえる。自分の部屋ではなく、ホテルの一室のようだった。おそるおそる、ベッドの中を覗き込むと、裸ではなかった。逃げようか迷っているうちに浴室のドアが開き、高田常務がガウンを着て、出てきた。
「起きた?安心してくれ。何もしてないよ」
「はい」
ふみ子はベッドからはね起きた。
「ここで、君にある選択をしてほしいんだ」
高田常務は片膝をつき、ふみ子の手の甲にキスをした。
「僕を捨てるか、僕のお気に入りになって正社員になるか、君はどっちを選ぶ?」
ふみ子の目が左右に動いた。
「それはどういう意味でしょうか?」
「僕を捨てる?」
「高田常務を捨てるなんて・・・」
「じゃぁ、僕のお気に入りになって正社員になりたいんだね」
「ああ、はい」
ふみ子は高田常務のペースにはまり、深く考えず答えた。
「君は僕のものになってもいいんだね」
高田常務はふみ子のあごを持ち上げキスをした。
ふみ子は逆らわず、そのまま、体を預け、甘美が貫き、声をあげた。
高田常務は房事がおわるとふみ子の頬に手を当て、泊っていくかたずねた。
「いえ、帰ります」
「送っていこうか?」
「一人で帰れます」
ふみ子は身支度を整え、帰ろうとすると、高田常務に呼び止められた。
「来週の金曜日に予定を空けてくれるかい?僕のために」
「はい、わかりました。失礼します」
ふみ子は深く考えずに承諾して、逃げるようにホテルを出て、タクシーに飛び乗った。タクシーの中でふみ子は自己嫌悪に陥った。これって、不倫?セクハラ?でも、セクハラではない、合意の上でのことだった。自分は奥さんのいる人と一夜を共にしたという罪悪感でいっぱいになると、でも、正社員になれるかも?ともう一人の自分がつぶやいた。でも、それって売春婦とかわらないでしょ、ともう一人の自分が問いかけた。答えが出ずに、週末はよく眠れなかった。
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