第2話 秘密のできごと

「この書類、高田常務に渡してきてくれないか」

 益田マネージャーに書類を差し出されたふみ子はイヤな顔はせず、微笑みをつくり、わかりましたと言って、書類を預かった。

 ふみ子は青野真央の話がでたから、企画担当の高田常務に書類を届けることになったのかと思った。上場したとはいえ、ITベンチャーなので常務といえど、個室はなく、企画の奥の窓際が高田常務の席だった。高田常務はこの会社が上場する前に証券会社から派遣された役員で、上場したあとで転籍した。背が高く、涼しい目元に引き締まった口元がいかにも有能という印象をふみ子はもった。


「益田マネージャーから、書類を預かってきました」

 ふみ子は会釈して書類を渡そうとした。

「ああ、君が鬼谷さん?鬼谷さん、その書類をもって、会議室にきてくれないか」

 高田常務は青野真央を呼び止め、会議室の予約をさせた。

 青野真央は指示されたとおりに会議室を予約すると、ふみ子を敵意に満ちた目でにらみつけた。

 ふみ子はひるんだが、高田常務が眉をあげたので、高田常務を追って、会議室に入った。


「この書類、どうぞ」

 ふみ子は高田常務と目を合わせられなかった。

「ありがとう。鬼谷さん、いや、アンドロメダ、ようやく会えたね」

 ふみ子は顔をあげ、高田常務と視線をあわせた。

「どうして、私をアンドロメダと呼ぶんですか?」

 ふみ子は声が震えそうになった。

「僕、誰だかわかる?」

 ふみ子は人差し指を高田常務に向けた。無礼だったが、高田常務はアハハと笑った。

 その笑い声で我にかえって、ふみ子はもう一方の手で人差し指を抑えた。

「僕もメタチャットをやっているんだよ。僕が誰だか当ててみてごらん」

「誰って、エスパー?」

 ふみ子の頭の中は混乱した。

「エスパー?ハハハ・・エスパーだったらどうする?」

「え?」

 ふみ子はどう答えていいか、わからなくなった。

「僕が誰なのか?それは君への宿題。ところで、今週の金曜日、僕とオフ会しない?」

「え?オフ会?」

「僕ね、今までインターネットで知り合った女の子とは会ったことないんだ。でも、君あの部屋を持っているだろう、興味がわいて、君のことを調べさせたら、君は真面目でお人よしだという。君、派遣だろ。僕は証券会社から派遣されたことは知っている?僕、疎外感を持っているんだ。君も同じだろう。君と僕、友達になれそうな気がするんだ。君はどう?僕と友達になれる?」

「え?常務と友達だなんて。私にはもったいないです」

 ふみ子は高田常務をまじまじとみつめた。これは現実か夢なのか、確信がもてなくなった。高田常務は視線をふみ子の胸元においた。

「君、ネックレスしないの?」

「え?ネックレス?」

「うん。指輪もしてないけど、彼氏いないの?」

 ふみ子は自分の指輪をしてない手をみた。

「えっと、彼氏、彼氏いないです。」

「そう、指輪とネックレスどっちが好き?」

 高田常務は眉をあげた。

「え?」

 ふみ子は自分の返答が「え?」だけだと気づいたが、頭の中が混乱していて、しばらく黙り込んだ。一分ほどたっただろうか、高田常務はアハハと笑った。

「もし、彼氏にもらうなら、指輪とネックレスどっちがいい?ってきいているんだよ」

「え?あ、そう、そうですね、指輪かな?指輪がいいです」

「指輪ね、OK、サイズは?」

「サイズ?11号です」

「11号」

 常務はつぶやきながら、メモをとった。

「今週の金曜日、8時から空いている?」

「あ、空いてます」

 ふみ子は深く考えずに答えた。

「誕生日いつ?」

「2月18日です」

「2月生まれかぁ。指輪の石は誕生石でいいかい?」

「あ、はい」

「ネックレスとペアでどうかな?」

「え?」

 ふみ子の頭の混乱はどんどんエスカレートした。

「ダイヤモンドの淵があるやつ。どう?欲しくない?」

「どうときかれても要求するわけには・・」

 ふみ子は目を伏せた。

「じゃぁ、金曜日のお楽しみだね。8時に銀座のウェルシ―ホテルのロビーで待っているよ。あのホテルのイタリアンは絶品なんだよ。イタリア人のように陽気に楽しくオフ会をしようよ。メタチャットでの、君の話に興味をもったんだ。白い狐の像の話と電子政府について議論しているだろう。これ、僕のプライベートのメールアドレス。急に来れなくなったら、ここに連絡してね」

 高田常務はふみ子にメールアドレスの書かれたメモを握らせた。

「僕たち、これから友達だよ。でも、オフ会をすることは他の人には話してはいけないよ。チャットでもね」

「はい。わかりました」

「僕たち、これで秘密を共有しているね。同志になれるかな?」

 高田常務はふみ子の目をのぞきこんだ。

「同志だなんて・・私にはもったいないです」

 ふみ子は視線を合わせられなかった。

「アンドロメダ、君は自分自身を見下しているのか?僕とは対等だよ。いいね」

 ふみ子は対等という言葉が頭に焼き付き、視線を合わせた。

「対等・・」

「そう対等だ。メタチャットでは君が管理人だろう。でも、君はメンバーを見下したりなんかしないだろう。僕も君を見下したりなんかしない。だから僕たちは同志だ。秘密を共有してくれるね」

「ハイ!」

 ふみ子は天にも昇る気持ちで舞い上がり、承諾した。

「話は以上だ。僕を失望させないでくれよ。待っているからね。では、自席にもどっていいよ」

「ハイ!わかりました」

 ふみ子は微笑んで会釈し、会議室を出た。

 ふみ子は高田常務と秘密を共有しているという状況はスリルがあり、何とも言えない気分だった。高田常務と同志になっても、派遣社員であることにはかわりないのに、地位があがったように錯覚した。

 ランチタイムに相田陽菜から、高田常務のところへ行ったときのことをきかれたが、書類の受け渡しに時間がかかっただけだと受け流した。


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