第65話「神狐」


 いやぁ、ほんと驚きの展開だね。まさか賢哲さんが黒狐の棟梁に収まるとはねぇ。


「ヨル、黒狐の棟梁譲ったのは良いけどさ、あんたはこれからどうすんのさ」

「さあな。しばらくヨーコの様に海の外をうろつくとでもしようか」


 里の連中はどうやら気にしてないみたいだけどね、偽物だったとは言え里の連中ガブガブ喰っちまって居づらいのかも知れないねぇ。

 けど、ま、子供じゃないんだ。自分の事は自分で決めりゃ良いさ。


 じゃ、なっちゃんが心配してるだろうし、あたしとせんせは町へ戻ろうか。


 と、思ったんですけど――。


「葉子。儂はまた寝るが、悩みがあるなら今のうちに聞くぞ?」

「また寝ちまうってのかいみっちゃん。もういい加減に――ってなにさ、悩みって?」


 ふふんと腕を組んで、小さな体で胸張ってにやにやしてやがる。兄様とは言えあたしの尾っぽのクセになんだい偉そうに。


「儂はなんでもお見通しよ。あるんだろう、この先良庵くんと過ごすに当たっての悩みがさ」


 あ、あるけど……そんなのみっちゃんにだってどうしようもないことだってあたしにも分かってるんだから。


「大抵なんでも出来るぞ、儂は」


「そんなに言うならやってみなよ! あたしはせんせと一緒に歳とって人みたいに死にたいんだよ! 出来ないだろみっちゃんにだって!」


 ……もうすっかり言い飽きたけどさ……なっさけないねぇ、あたし。

 あたしこそ自分じゃなーんにも出来ずにせんせとみっちゃんや皆んなのお陰でこうしていられるってのにさ。


「……ごめんよみっちゃん。言いすぎたよ」

「出来るぞ」


「嘘おっしゃいな。いくら野巫の達人だって、んなこと出来る訳ないじゃないのさ」

「儂には無理だ。でも出来るのが一人……分からないか?」


 みっちゃんにだって出来ないのに? 誰だいそりゃ――?


「菜々緒分かったー! 母様でしょー!?」

「長いこと見ないうちに菜々緒は賢くなったなぁ」


 あんまり心の篭ってない声音でそんなこと言うみっちゃん。

 いやでもさ、母様って――


「十尾の妖狐となった母様はここ、黒狐の里に

「いや……だってここ黒狐の里じゃないのさ」


「儂ら白狐は里を持たんからここなんだ。知らなかったか?」

「菜々緒は知ってたよー!」


 息絶えずに歳経た妖狐は当然尾が増え続け、遂に十尾になるとになる。

 それは知ってるし、母様が神様になったってのは理解してたけど……


「母様は……ここに……?」

「ああ。だよね、ヨルくん?」


 いつの間にかヨルにも砕けた口調で話すみっちゃんの言葉に頷くヨル。


「確かにいらっしゃる。しかし御方おかたさまは呼べばおでになる様なものではない筈だが……」


「うん、でもたぶん大丈夫。なんてったって儂が言うんだ、間違いない」


 なぜかヨル見て片目をつぶり、指で小さく丸を作ってそんなこと言うみっちゃん。


 ほんとにそんなの出来るのかい? 正直言って眉唾ものなんだけど……


「お葉さん。僕はそのままのお葉さんでも……」

「せんせ聞いて。今回の騒動ですっかりあたしの正体バレちまった訳だけどさ、正体がバレてなきゃあたしは変化へんげしてでも――見た目だけでもせんせと一緒に歳取るつもりだったんだよ」


 あたしの今の姿は人に化けてるってよりも、人の姿のあたし、これはこれでホントのあたしなんだ。

 それを毎年毎年――毎日毎日、変化の術を使った、少しずつ歳を取る偽物のでせんせと一緒に暮らすつもりだったんだ。


「あたしはもうさ、せんせに嘘つきたくないんですよ」


 それにさ、せんせが死んじまった後のあたしの長い余生、一人じゃそんなの耐えられないよ。


 ちょいとびっくりした顔の良庵せんせだったけど、ふんわり笑って言ってくれました。


「分かりました。僕と一緒に歳……取って下さい」



 さすがに里の連中には遠慮してもらって、あの大根のお婆さん一人とあたしらみんなでぞろぞろとヨルの案内についてった先、母様が祀られてるっていう小さな社に着きました。


「覚悟は良い?」

「大丈夫、やっとくれ」


 案外と軽い感じでそれだけ言ったみっちゃんが、トントントンと社の小さな扉を叩いて続けたんだ。


「母様。美形の黒狐がここにいますぞ」


 ――え? なんだってみっちゃん?


 その言葉を聞いたあたしらみんな、一斉にヨルへと視線を遣りました。

 ギョッとした顔のヨルが口を開く間もなく、社の上、何もないとこがギュニィって歪んで一尺(30センチ)程度の穴が開いて――


『久しいねぇ、こどもたち。元気してたかい?』


 ――ばさりばさりと、たぶん十本あるだろう尾っぽを揺らす、綺麗な毛並みと厳かな雰囲気を纏う白狐が一匹。


「母様ーっ! 久しぶりーっ!」

『おうおう、お姉ちゃんは相変わらずだねぇ』


 元気よく言う姉さん。姉さんはいつも自然体で良いよねえ。

 それに比べてあたしは……ちょいと久しぶり過ぎて人見知りしちまってる。なにせ母様が神様になった時、あたしまだ今のなっちゃんみたいな子狐だったもんだから。


『妹ちゃん。すっかり大きくなって――綺麗になったね』

「母様……ご無沙汰しております」


 それだけ言ってぺこりと頭を下げました。そんなあたしに綺麗な狐のお顔でにこりと微笑んでくれた。


『そんで童子丸――じゃないセイメ……ってあれ? あんた小さくない? あれ? あんた人寄りなのにまだ生きてたんだっけ?』


 あ――相変わらず母様も軽いねぇ。すんごい偉大な妖狐の筈なんだけど、昔っから雰囲気はほんと姉さんにそっくりだったんだよね。


「いまはこの――葉子の三本目の尾っぽ、みっちゃんとして転生してぐうたら寝こけて過ごしておりますから」


『へぇ……そうなの、今はみっちゃん、へぇ……ホントおかしな子だねぇあんたって。まぁそれは良いや――』


 それだけ? 自分の長男が死んで転生してって一大事を――っても母様らしいっちゃらしいか。


『そんで? 美形の黒狐って…………めっちゃくちゃ美形ーびけーい!! よく分かってるじゃないあんた! 顔が整ってるのはもちろんだけど――ちょいとキツそうな吊り目! 色気たっぷりな唇から覗く八重歯! 程よく付いた筋肉! そして何よりそれらがよく似合う褐色の肌! ご――合格! 合格だよ!』


 ……い、一体何の話をしてるんでしょう。まさか母様……新しい恋人探し……いや、でもそんな……母様って神様なんでしょう?


『あんた名前は?』

「ヨルと申します」

『歳は?』

「六百と八十……九十には届いていないかと」


 それだけ聞いた母様は突然、足元から戟……じゃない巫戟のようなものを立ち上らせて人の姿をとったんですが、なぜか着てる服が着崩した花魁おいらん風……


 ヨルも、賢哲さんも、あまつさえ良庵せんせまで、ぽぉっと頬を赤く染めちまった――嫌んなるねぇ、相変わらず別嬪さんな母様で。

 あたしと姉さんのそれぞれにどことなく似てますけど、あたしらと違ってね……あたしらも無いわけじゃないんだけど……その、ね、胸んところの膨らみが立派なんですよねぇ。


『ヨル! あんた今日からな!』


 そう言い放った母様はヨルの首筋に手を回して引っ張って、御自分の豊かな胸へヨルの顔をむぎゅっと押し付けたんですよ。


「――お、御方さま! 何をなさりますか!?」

『何って、アタシの匂い付けとこと思って。もうアタシしたから。え、もしかして嫌? アタシのこと嫌い?』


 ……こりゃあれだね。弟子だとか言っちゃあいるけど、手篭めにする気満々だねぇ。


「あ、いや、嫌いだなんて滅相もない。ただ畏れ多いと……」

『アンタはじきに九尾になる。そしたらもうほとんど神狐みたいなもんよ。だから今のうちからアタシとくんずほぐれ――違った、アタシが手取り腰取り――あれ、これも違うな』


 もう良いよ母様。だいたい皆んな察しちゃったからさ……。


『まぁ良いじゃない細かいことは! 放っといたってアンタも神狐になっちまうんだしさ! アタシんとこおいで!』

「…………仰せの通りに――」


 そう言って深々と頭を下げたヨル。

 一人で海の外巡るよりかは良いんじゃないかい。根っから明るい母様と居ればいつか気持ちも晴れるだろうしさ。


 お婆さんもなんだか嬉しそう。喰われたお爺さんもヨルと一緒に神狐の一部になるって事だからかな。


『じゃ、そういう事だから! こども達! 健やかに暮らすんだよ!』


 ギュニーっと今度はさっきより大きく歪んだ空間に、ヨルと腕組んで潜ろうとする母様。


「ちょ――ちょいと待っておくれ母様!」

『どうしたの妹ちゃん?』


 新しい恋人捕まえて満足されて帰られちまうとこでした。


「あたし! あたしこの良庵せんせの女房なんだ!」

『あ、そうなんだ。さすがアタシの子、男前捕まえたねぇ――垂れ目だけど』


「菜々緒はこの賢哲さんの女房ー!」

『お、そっちも男前だねぇ――ハゲだけど』


 ちょいと、姉さんは話の腰折らずに黙ってて下さいな。


「それで母様……あたし、良庵せんせと一緒に歳とりたいんだけど……そんなの、出来ますか?」

『出来るよ。戟そのものを丸っと全部アタシに返して、妖狐やめて人になるってんなら』


 そ、そんな簡単に人になれるってのかい!?


『けどだね。それでも良い?』


 あぁ……そっか。そうなんのかい……そりゃ、まぁ、そうか。



「菜々緒ちゃん、バイバイってなに?」

「なんか海の外の言葉でね、さよならなんだって。母様ってほら、大陸出身だから」



 それ聞いて良庵せんせ。


「お葉さん。やっぱりしましょう。僕のためにみっちゃんさん達と別れるなんて……」

「良庵くん、それは違うな。儂ら尾っぽは葉子なんだ。儂らの事は気にしなくて良い。それに――良庵くんのためって訳じゃないんだろう? なぁ葉子」


 ――そうだね。これはあたしが望む……あたしのために願う、あたしのわがまま。


「母様……あたしを……人にしちまって下さい――」

 

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