第64話「僕は医者」


 階段を駆け上ったせんせは跳び、そして右の手刀にあたしのかんなぎを集めたんだ。

 純白の巫がせんせの手刀から溢れ出し、その手首を左手で掴む……そして真下から見上げるヨルの左首筋へ――


「僕が――! いま!」


 刀で斬りつけるように鋭く――

 けれどそれでも叩きつけるように力強く――


「でぁぁぁぁ――」


 首筋に当たったせんせの手刀がヨルの巨体を左右に分けるかの如く、上から下へと真っ二つに斬り裂いた――


「――ぁぁぁああっ!」


 …………とんっ、と素足のせんせが地に降り立つと同時……


 ばぁぁんっ! とヨルが纏った真っ黒な戟が弾け飛び――


「ぐはぁっ!」


 巻き込まれたせんせが吹き飛ばされちまった……


「ちょいとみっちゃん! せんせが……せんせが巻き込まれちまったじゃないか!」


 慌ててせんせが吹き飛ばされた方へ駆け出して、幸いすぐに見つけて駆け寄ると木の根のとこでひっくり返ってたせんせが平気な顔で立ち上がったんです。


「せんせ! 怪我はないかい!?」

「いてて……あちこちつけたけどなんともありません。最後の一枚、が効いてくれましたから」


 せんせが胸から一枚の焼け焦げた紙切れ取り出して見せてくれました。ホッと一息ついたけど、ちゃんと言うこと言っとかなきゃね。


「みっちゃん! ヨルの戟が弾けるの分かってたんだろ!?」

『もちろん分かってた――し、良庵くんの胸にそれがあるのも見なくても分かってた。だから良庵くんに頼んだんだ。兄様を舐めちゃぁいけないよ、葉子』


 …………さすがみっちゃん。参った、降参。


「そうかい。ありがとみっちゃん。ほんと助かったよ」


 せんせの体に怪我がないのを確かめて、じっと目を見て、ほんとに言わなきゃいけないことを。


「せんせ、全部終わったみたいです。ほんとありがとう。それとごめんなさい。あたしのせいでこんな事に……」

「お葉さん! ちょっと待った!」


「え……なんです大きな声で……」

「まだ終わっていません! ――ヨル! !?」


 ヨルが弾けた辺りを目指していきなり駆け始めたせんせ。

 あんな豪快に弾けたヨルが無事ってこたないんじゃないかねぇ……


 けれど、黒く煤けたヨルらしい横たわる男を抱き抱えてせんせが叫んだんです。


「まだ間に合う! すぐに治してやるぞ!」

 お人好しにも程があるってもんだよせんせ!


「…………リョーアン……もう良い。オレは……オレはこの手で……この里の者たちを……――」


「うるさい! 僕はみんなに力を借りてお前を倒した! だから僕の言う事を聞け!」

「しかし…………頼むリョーアン。このまま……死なせてくれ……」


「聞けない! 僕は医者だ! 指を咥えて黙って死なせるなんてできない!」

「ぐっ……――くっ、任せる……好きにしろ……」


 せんせの剣幕にヨルが観念したわけだけど、せんせはくるりとあたしを見て言ったんだ――


「そうは言ったけど……巫が空っぽなんです……お葉さん、お願いします」


 ――ぺこりとあたしに頭を下げながら。




 で、まぁあたしが癒やそうと巫戟を捻り出そうとしたんだけど、あたしも玉に限界まで籠めたもんで巫ちっとも残ってなかったんです。それでも戟だけで図柄描いてなんとかかんとか癒したんです。


 その頃には丘の上からみっちゃんと姉さん、黒狐のお婆さん負ぶった賢哲さんがやって来て、それに里の連中がまた遠巻きにあたしらを見守ってました。



「あの針……オレが刺されたあの針は……シチに持たせた針だったのか……」


 倒れたままのヨルがぽつりとそう呟いて、悔しそうに握った拳でどんっ、と地面を叩いたんです。

 それに対して……ぶち切れたのは賢哲さん。


「おぅこらヨル。オメエそれどういう意味で言ってんだ? おい! 言ってみろ!」

「どうもこうもない。己れの戟を籠めた針に刺されて我を失ったことに対して腹が立った。ただそれだけだ」


「オメエが殺した――っ! ……と、死んでねんだっけか……オメエが消したシチに向けてなんかねぇのかよ!」

「特にない。シチもオレだ。オレがオレをどうしようとオレの勝手。オマエたち人も同じだろう? 学問を学ぶ、剣術を修める、足りない所を成長させる、まずいところは正す、オレもシチに対してそう考える。ただそれだけだ」


 うん、まぁそうだろうね。

 あたしだって考え方ならそうさ。ただ消し飛ばしたのはやり過ぎだと思うけどねぇ。


「うっ……けどよ、あいつ――あいつ最期に俺見て……ありがと、って口を……くそっ! そうだとしても俺は気に入らねえ!」


 複雑なとこだけど、あたしら他人がとやかく言う事じゃないのかも知れないねぇ。



「ただ――シチとは違う、里の者を喰らいまくったのは………………すまん、皆……」


 片手を目元に当てて歯を噛んで、悔しそうにすまなそうに――


「オレは……オレが守ろうとした里を……里の者を軒並み……ぐ、ぐぅっ――」


「ヨル」

 良庵せんせがヨルの体を起こして支え、辺りを見る様、周囲を指しました。


「よく見ろ」

「……なにを今更――? ……な、何故だ!?」


 遠巻きに見守っていた里の者、一人また一人と近付いて来て、昨日までとほぼ変わらないその総数がヨルの目に飛び込んだ筈。


「オ……オレは……確かにこの牙で……」

「あれは儂が作った偽物。あらかたこの、儂の義弟・良庵くんとそこの坊主くんが助けたよ」


「リョーアン――、坊主――、すまん……」


 ぐうっ――とさらに大きな嗚咽を漏らし、ヨルが二人に頭を下げたんです。

 あの尊大なヨルがそんな事するとは思わなかったねぇ。里を守る、って事をどれほど真剣に考えてたのかよく分かるってもんだね。



 結局、里の者の被害は最初に喰われたお爺さんだけでした。

 賢哲さんが救ったお婆さんの連れ合いだって事だけど――ヨル様に喰われるんなら本望だろう、なんならアタシも喰われたって良かったぐらいだ――お婆さんはあっけらかんと笑ってそう言いました。


 里の者とヨルの絆も相当だねぇ。



「ところでな」

「どうしたの兄様?」


 しんみりしてた空気を読まないみっちゃんの声。


「この坊主くんは何者なんだい?」

「えー!? 賢哲さんのこと分かんないの!?」


 みっちゃんだってさすがに分かんないんじゃないのかいそれは。


「うん、分からん。教えてくれ」

「菜々緒の亭主だよ! 来月お式なんだから!」


「なに! なら坊主くん――賢哲くんも義弟じゃないか!」


 大袈裟にびっくりして見せたみっちゃんが賢哲さんの両手を取り、小さな手でぎゅっと握って続けたんだ。


「賢哲くん! 不束ふつつかでふしだらな妹だけど末長くよろしく頼むよ!」


 …………ま、不束だしふしだらだしね、姉さんは。でもなんでか姉さん、頬をほんのり染めて照れてますね。


「ヨルくん。ちょっと良いかい?」

「……なんだ」


「黒狐の里を守る為に葉子を欲しがったんだろう?」

「……そうだ。けれどもう、リョーアンから葉子を奪うのは諦めた。どうやららしい」


 そうだろそうだろ。いくらなんでも女房のためにここまで出来る男は良庵せんせ以外にいやしませんからねぇ。


「それなんだけどさ。菜々緒と賢哲くんで良いんじゃない? 二人の子には黒狐と白狐、それに人の血が混ざるんだからさ」


 …………あ、ほんとだねぇ。

 ヨルとあたしで番うのとそう大差ない様な気がするよ。


「……くっ――――くっくっく……はははは!」


 突然笑い出したヨル。不思議そうにみんながそれに注目してる。こんな事ほとんどありませんからねぇ。


「ナナオ。悪いがここで――この里でケンテツとたくさんの子供を産んでくれないか?」


「えー? そんな事言ったって……どうする賢哲さん?」

「別に良いんじゃねえの? 長閑のどかで良さそうなとこだしよ」


 けれど少し首を捻った賢哲さんが付け加えました。


「ただしヨル! 今度また生えたシチに優しくしてやれ! それが条件だ!」

「分かった、誓う。では決まりだな。ナナオ、これからお前が黒狐の棟梁だ」


 ぶっ――姉さんが棟梁だって!? 正気かい!?


「嫌よ!」


 そりゃ断った方が良いよ。姉さんじゃちょっと……いや、三郎太も混みなら無くはないか……?


「なんで菜々緒が棟梁なのよ! 棟梁やるなら…………賢哲さんに決まってるじゃん!」


 ………………どうしてそうなんの?


「なんで俺なんだよ菜々緒ちゃん!? 俺、人だぜ!?」

「菜々緒は棟梁より棟梁夫人が良いんだもん!」


「んなこと言ったって……里の連中も納得しねえだろ……」


 とことこ、っとお婆さんが近付いて、賢哲さんの手を掴んで高々と掲げたんだよ。そしたらさ――


 わぁっ――と見守ってた黒狐の連中から拍手喝采。あっさり受け入れられちまったよ。


 危険も顧みずに里の連中助けて回ってたもんね。案外、人の賢哲さんの方が丸っと上手くいくかも知れないねぇ。


「おめえらどうなっても知らねえぞ! ならなってやらぁ! この俺――ここらで一番の美僧、この賢哲さんが新しい黒狐の棟梁だ!」


 けっこう本人も乗り気らしいのがちょいと笑っちまうねぇ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る