第3話

 このガジェットは音声で入力できるスマートグラスを流用していた。


「ヴァーチャライザー・オン!」


 ちょっと恥ずかしくなる。南萌みなも姉ちゃんと顔を見合わせて、テヘッと笑ってしまう。


 たっぷり三秒間のロード時間を待つ。突然に魚市場が異空間へ変移した。電子ジジイが作った世界だ。


 スマートグラスが視界に情報を付加した。冷蔵ショーケースと発泡スチロールの通路に独特なフォントでグリーンの文字が浮かび上がった。ドット絵のアイコンが書き加えられ、それぞれの商店の名前、魚の種類、値段が文字情報化されて僕の眼鏡に反映される。


 スマートグラスを通して見る笠子崎かさござき魚市場は、まさにレトロチックにゲーム化されたヴァーチャルかつオーグメントな世界に変化した。


「どう? 理来くん、行けそう?」


 南萌姉ちゃんの頭上にはミナモって名前が書かれている。所属クラスは笹山商店アルバイト。レベルは5。って、レベル? 何のレベルなのやら。


「南萌姉ちゃんのレベルが5になってるよ」


「理来くんはまだレベル1のままね」


 話している言葉がリアルタイムで眼鏡に表示され、目的地である家の裏にある作業小屋までの距離や方角が矢印にアイコン化されて中空に浮いている。


 最新ミッションの北の祠での財宝探しまで地図の直線距離であと345メートル。携帯モードのゲーム機にレトロゲーム調のマップが描かれている。デフォルメされた僕と南萌姉ちゃんが足踏みしながら待機中だ。とりあえず行ってみるか。


『理来のレベル1はしようがない。今ログインしたばかりだからな』


 ゲーム機の中の電子ジジイが言った。


「このゲームって電子ジジイが作ったの?」


 笠子崎魚市場を出る。ゲーム機に表示されていた屋内フィールドから何やら自然豊かな原野的フィールドに切り替わった。スマートグラスの視界情報には根魚浜ねうはま町内と文字が浮かび、おじいちゃん家までのルートが矢印で差される。


『町の要請で市場をオンラインマーケット化させるプランがあってな。遠隔地からログインしてもあたかもその場にいる臨場感があった方が購買意欲が湧くだろ?』


 ちょっと何言ってるかわからないが、さすが電子ジジイと呼ばれるだけはある。


 僕と南萌姉ちゃんはミッション目的地まで歩きながら電子ジジイの解説を聞く。


『自宅のPCからも出先のスマートグラスからもログインできて、オンラインゲーム感覚で買い物する。買い物金額や施設利用に応じてレベルも上がって、さらに町内に特化したサービスを受けられるって仕様だ』


「町の活性化、経済復興も古参町民として責務だからね」


 まだレベル5のくせに南萌姉ちゃんは自慢げに言う。ほとんど電子ジジイの仕業なのに。


『俺のアレンジでレトロゲーム風味を増してやったのが、理来と南萌がいるワールドだ』


 北の祠が見えてきた。お母さんたちがおじいちゃんのお通夜の準備をしてる家を横目に敷地内の坂道を登り、裏山の作業小屋にたどり着く。矢印マーカーの数字がゼロになり、そのお通夜の主役というか、死んじゃった張本人である電子ジジイが活き活きと喋り出す。


『そこで問題発生だ。とある電子的非実在存在が自律したネットワークを構築して閉じこもってしまったんだ。オンライン座標でこの作業小屋にな』


 何かいる。


 現実世界の作業小屋はどこにでもあるプレハブ小屋だ。農家や漁師の人なら庭先に一軒二軒は建てちゃってるだろう。しかしゲームワールドの北の祠は違った。ネットワークに圧を感じる。近付くんじゃない、とオンラインでプレッシャーをかけてくる。


「で、誰なの? そのネット引きこもり」


 南萌姉ちゃんがあっさりと現実世界作業小屋の扉を開けちゃった。ゲームの中でも北の祠の扉が開く。


 そこにいたのは電子ジジイだった。


『俺だよ』


 ゲーム機の中の電子ジジイが苦々しく言った。もう一人の電子ジジイは邪悪な論理プログラムに侵されているのか全体的にどす黒く、デフォルメされてるくせに目付きがヤバめだ。まさに悪の電子ジジイって感じに仕上がっている。


「レベル20って!」


 ツンツンと尖った髪の毛の上に僕たちよりもはるか高レベルの数字が輝いていた。


『こいつは俺がサブリメイションした時の人格コピーだ。バックアップのつもりで取っておいたんだが、こいつは独自の思考パターンで動いてやがる』


「電子ジジイとバトルって、どうやれば勝てるの? あたしまだレベル5よ」


 そうかな。これだけレベル差があってもやりようによっては十分圧倒できるんじゃないかな。僕は電子ジジイと南萌姉ちゃんが話してる間に南萌姉ちゃんのゲーム機と僕のゲーム機とを取り替えっこした。


『俺は町を変えようとした。生きてるうちに電脳サブリメイションして、ネットの世界から町の意識を変える。しかし、俺のどこかに町を変えたくないと思う心もあった』


「町を変えたくない心が、こいつ?」


 僕は現実世界にいるが、僕のキャラはゲームの異世界にいる。異世界には異世界の戦い方がある。


 南萌姉ちゃんが使っていたゲーム機は電子ジジイのもの。電子ジジイのゲームタグでログインしている。この異世界は電子ジジイが作ったもの。ならば、ゲーム機の中にこの異世界を作ったソースコードなりツールファイルなりがあるはずだ。それと僕のキャラデータファイルも。電子ジジイは今日この日のために僕のデータも作っていたはずだ。


 自分が死んじゃった時のために。


「理来くん、どうする?」


『いや、理来はもう答えを見つけているようだぞ。さすがは俺の孫だ』


 異世界には異世界の戦い方がある。そう、チートだ。僕はゲームツールのソースコードに、この異世界の根本的ルールに手を突っ込んだ。


 スマートグラスを通して見える世界は異世界。悪の電子ジジイはレベル20の中ボスキャラ。だったら、僕はそれを上回ればいい。僕は異世界チート勇者なんだ。


 僕のキャラがキラキラと光を放つ。身体の周囲から光の粒が集まって、見る見るうちに経験値が貯まっていく。レベルアップだ。


「レベル99! そんな、ありえないよ!」


 南萌姉ちゃんが期待通りに驚いてくれた。


『さすが理来! この世界の仕組みを理解したな』


 電子ジジイのお墨付き。異世界最強チート勇者リクの誕生だ。


「おじいちゃん、いいんだよね。この電子ジジイのコピーを消去しちゃっても」


 レベル99勇者の僕はすっと片手を高く掲げた。レベル20というはるか格下の電子ジジイはたじろいで一歩後ずさる。そこはもう作業小屋の中。逃げ場はない。


『うむ。町の発展のためだ。一気に決めちまえ』


 えーと、眼鏡に投影された僕のステータスにある何て読むのかわからない難解漢字の技を、僕は容赦なく撃ち放った。




 北の祠、通称おじいちゃん家の作業小屋。そこはレベル99勇者の活躍で町民のエリアへと解放された。


 悪の電子ジジイは消去された。姿形がおじいちゃんに似ていたから少し抵抗はあったけど、おじいちゃんはもうすでに亡くなっているんだ。これが自然なんだと思う。


 悪の電子ジジイが守っていたのは作業小屋でもう使われていないデスクだった。その引き出しに、南萌姉ちゃんは一枚の写真を見つけた。


「電子ジジイとおばあちゃんの若い頃の写真だ」


 すらりと背が高くワイルドにあご髭を蓄えた若いおじいちゃんと、きれいでおとなしそうな黒髪が長い女の人が笹山商店の店頭に並んでいる。ぴったり肩を寄せ合って、開店祝いのお花を手にした古い写真。


『あいつはそれを守りたかったのか』


 デフォルメキャラの電子ジジイがゲーム機の中で言う。


『俺は町を変えたい。あいつは古い思い出を変えたくない。どっちが本当の俺なんだろうな』


 電脳サブリメイションの果てに生成されたコピー人格電子ジジイは軽くため息を漏らした。


 どっちも僕のおじいちゃんで、どっちも町の電子ジジイだ。それでいい。僕は思った。


『南萌。その写真をおばあちゃんに渡してくれ。こんなとこにしまってあったなんて、すっかり忘れてた』


 オリジナルの電子ジジイが忘れてた写真を、コピーである悪の電子ジジイは覚えていた。電脳人格にオリジナルもコピーもないのかもしれない。


『さあ、次だ! コピー電子ジジイはあと6体いる。ますますレベルも上がって手強くなるぞ!』


 おじいちゃんはとんでもないことを言い放った。電子ジジイはあと6体いるって!


「はあ? 電子ジジイ、何言ってんのよ!」


「僕は一週間しかこの町にいないんだよ? おじいちゃんのお葬式だってあるのに!」


『勇者理来と南萌の冒険はまだ始まったばかりだ! でもまあ、今日くらいは休むか』


 夏休み。お母さんの実家。おじいちゃんの葬儀。これから南萌姉ちゃんと夏休みの宿題だってやらなければならないし、笠子崎漁港夏祭りだってある。そんなイベント目白押しの一週間で、電子ジジイのコピーを6体も倒さなければならないなんて。


『どれ、俺の通夜に来てくれた奴らの顔でも拝みに行くか』


 電子ジジイはゲームの中で呑気に言った。


 僕と南萌姉ちゃんは同時に言ってやった。


「さっさと死んでよ、電子ジジイ」

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さっさと死んでよ、電子ジジイ 鳥辺野九 @toribeno9

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