第29話 井の中の蛙大海を知らず
走ると風が顔に当たり、ひどく寒い。僕は走りながらその痛みを受け入れていた。今まで待たせてしまった分を、取り返すように僕は走り続けた。坂を越えて、門を通ると噴水が見えてくる。今まで見向きもしなかった噴水は、今の僕にとっては大切な場所になっていた。噴水の前にいる女性を見て僕は叫ばずにはいられなかった。
「しょうこ」と叫んで駆け寄ると抱きしめた。互いに着込んでいるせいか、ぎこちないバグだった。
「連ちゃん遅いよ」と彼女は耳元で静かにそう言った。落ち着いた懐かしい声だ。
「ごめん、本当にごめん」と、僕はぼろぼろと泣きながら何度も謝った。考えてみれば、しょうこが鍵を届けてくれた時、僕は彼女に見惚れていた。その時、彼女がもし本当にストーカーだったのならカエルになるはずだったのだ。
「これ、ありがとうな」と僕は首にかかったペアネックレスを見せる。
「約束したからね……それより連ちゃんに伝えたいことがあるんだよね」と彼女はネックレスを手の中で転がして見せた。
「なんだよ」と僕はなんとも言えない不安な気持ちを悟られないように返事した。
「尼崎さんから聞いたよ、カエルについての話。もし本当にそうだとして、記憶が戻ったってことはもうカエルに悩まされないんだよね」
「………そうだな」と僕はつまりながら答える。先程まで寒いぐらいだったが、走った後の熱が体の内側から逃れようと出てきていた。
「じゃあ、連ちゃんは誰とでも自由に恋愛できるね」
「……ちが」僕は頭の中は何か言わなければいけないという気持ちで溢れていた。しょうこを繋ぎ止める何かを必死で探した。
「さよなら、連ちゃん。君ならどこへでも跳んでいけるよ」とペアネックレスを手渡された。追いかけようとしたが坂を全力で駆け上がって来たせいか、足に力が入らなかった。そのまま小さくなっていく彼女の姿をただぼんやりと僕は見送った。
もう合わさることのないネックレスを見下ろして、結局のところ蛙なのは僕の方だったのだと気づいた。“井の中の蛙大海を知らず”という言葉がある。過去と向き合わず、自分の殻に閉じこもって何も知ろうとしなかったのだから。
ふと見上げた水色の高い空には雲の塊から、千切れた雲がかなりの速さで動いて消えて行った。
僕はネックレスを噴水の中へと投げ込むと大きな深呼吸をして帰路についた。
井の中の蛙大海を知らず(完結) 土城宇都 @Satuka-Seimei
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