幕間 逃亡
自分が特別だと自覚したのは、小学校の学芸会だった。
私たちがやったのはシンデレラで、クラスで1人しか慣れないシンデレラの役割を、みんなが私に勧めてくれた。人前に出て、何かを喋れば色んな人が私を見てくれた。どうすれば人の目を集めるのか、何をすれば人が私を見るのか。考えるよりも先に身体が動いた。
アイドル、アナウンサー、Youtuber、Instagramer、TikToker。何でも良い。
いつかは、そうなるのが私の人生なのだと思っていた。
けれど、それに賛成してくれたのは地元の友達だけだった。母親も、先生も、先輩も、みんなが反対した。私なんかに無理だといって、笑った。嫉妬だ。そうに決まってる。みんな私みたいに可愛くないから。私みたいに人目を集めるほど華やかじゃないから。
特別なのは私だけだった。私しか特別がなかった。
だから、地元を逃げ出した。
東京に来れば何かが変わるはずだった。1人で上京して、上京した日に6人からスカウトされた。色々ネットで口コミを調べて、一番良さそうなところにその日のうちに電話をかけた。
自分の眼の前に華やかな選択肢が広がった。気持ちよかった。馬鹿にしてきた母親たちの見る目のなさと、先生の言っていた言葉の無意味さを鼻で嗤った。嗤ったのが、4月のことだった。
今が、12月。クリスマス。
私は行く宛も無く、この東京を
ビルの灯り、街灯の灯り、車の灯り。
夜になっても東京は明るい。空を見上げれば、高層ビルの間に小さな月が見える。
「……さむ」
吐いた息が白く染まる。開いたスマホに映る時刻は『19:35』。充電は24%。
1件、通知が入っていた。インスタのDMだった。
『赤ちゃん、いりませんか』
ここ最近きているスパムからだったので、黙ってブロックした。
漫画喫茶の深夜料金が始まるまで少し時間がある。だから、まだ外で時間を潰す必要があった。
なんで、こんなことになったのか。
道行く人混みを見ながら、ぼんやりと考える。
決まっている。事務所が倒産したからだ。事務所なんて大した名前で呼べるようなものではなかった。私が働いていたのは違法コンカフェだったから。
田舎から上京してきた人間に声をかけて、住む場所を用意する代わりに低賃金で働かされるコンセプトカフェのスカウトが、私に声をかけてきた男の正体だった。口コミは全てサクラ。だから、良い評価になるに決まっていた。
そのやばさに気がついたのは、働き始めた初日で。
けれど、家も連絡先も実家の住所すら知られている状況で、逃げ出すことなんてできなかった。貯金を作って逃げ出すつもりだった。けれど、1ヶ月働いてももらえる給料は9万円。とても逃げ出す準備ができるような額じゃなかった。
切り詰めて、切り詰めて、あらゆるものを切り詰めて。
そうやって働き続ければ、いつしか自分の人生が好転するものだと思っていた。
「…………はぁ」
深く息を吐き出す。好転なんてしなかった。
走れば走るほど悪くなるラットレースの中で、どろどろと堕ち続けていた。堕ちて、堕ちて、堕ち続けて、警察がやってきた。一発だった。多分、働いていた誰かが通報したんだろう。
オーナーとスカウトが逮捕されたらしい、という話を同じ店舗の子から聞いた。アパートに帰ったらパトカーが何台も止まっていて、知り合いが何人か連れていかれていた。私は怖くなって、カバン1つで逃げ出した。
逃げ出したのに行く先はなくて、けれど地元に帰りたくはなくて。
ずっと、こうして東京にしがみついている。
スマホを見る。時刻は『19:42』。充電は24%。
2件、DMが来ていた。新しいアカウントだった。
『赤ちゃん、いらないんですか』
『なんでもいますよ。犬、猫ちゃん、パンダ、象。赤ちゃん、たくさんいます』
なんでそのラインナップで、猫だけちゃん付けなのかとか。
ペットショップの販売にしては、もう少しまともな方法あるだろとか。
そもそもお金がないし、働く場所もないのにとか。
そんなことを色々と考えて、スマホを閉じた。
閉じたらスマホが震えた。
『ひきとりもできます』
意味が分からないから、スマホの電源ごと落とした。
漫画喫茶に向かえば、ちょうどナイトパックが使える頃になる。
そうして歩き出した東京の街は、全てがクリスマスに染まっていた。
街路樹はイルミネーションで華やかに飾られて、道を歩いているのなんてカップルか複数で固まっている女の子たちくらいだった。
ドン、と真正面から歩いてきた人たちとぶつかる。
思わずよろけてしまう。唯一の荷物を手放さないようにぎゅっと手荷物を握りしめる。ぶつかったのは、背の高い男の人だった。隣には彼女を連れて歩いている。
そうか。今日はクリスマスだから。
それに気づくと1人で歩いている自分がなんだか惨めに思えて、小さく謝った。
「……ごめんなさい」
『なんでいらないんですか?』
しかし、返ってきたのは意味不明な言葉で。
視線をあげる。目が合う。今どきとは思えないおかっぱの髪の毛に、面長の青年。げっそりと表情を削ぎ落としたように、無表情のまま私を見ていた。それが不気味なものだから、隣にいる彼女さんを見た。
「ひっ!?」
見た瞬間、小さく悲鳴を上げてしまった。
だって、2人の顔が
『赤ちゃん、可愛いじゃないですか。一緒にいれば楽しくなるじゃないですか。あなたみたいなつらい人には赤ちゃんがいるじゃないですか。だから親切で声をかけてるのに、なんで赤ちゃんいらないんですか?』
ぼそぼそと聞き取りづらい声で、そう言われたものだから思わず腰が抜けてその場にへたりこんでしまった。
「……い、い、な」
いらない、と言いたいのに喉で声が全部止まってしまった。
言葉になったのは、変な音だけだった。
倒れた私を心配してか、すぐ側を歩いていた女の子たちが近づいてきてくれた。助けをもとめようと手を伸ばして、伸ばした手が1人よってぎゅっと優しく包まれた。近づいてきた3人の女の子が私の目の前でしゃがみ込む。
その顔は、3人とも、おかっぱで面長で。
ぞっとするほどの無表情で。
『赤ちゃんいりませんか?』
『たくさんいます。あきらめずに探せば、ほしいものが見つかりますよ』
『ひきとりもできます』
視線を逸らす。道路を挟んだ向かいの歩道にも溢れんばかりの人がいて、その人たち全員がこちらを見ていた。見ている顔は、全部同じだった。同じ顔だった。
目が私を見ていた。心地良いのはずの他人の視線が怖かった。見ないでほしかった。
いますぐこの場で小さくなって消えてしまいたかった。
なのに、目は、目が私を見ている!
『何がそんなに気に食わないんですか?』
『赤ちゃんが嫌いなんですか?』
『嫌い? 赤ちゃんが?』
背の高い青年に胸ぐらを掴まれて、無理やり起こされる。
がっくりと抜けた腰ががくがくと震えた。手荷物のカバンが地面に落ちた。
『なら、赤ちゃんになりますか?』
無表情で、無感情で、青年の口だけがもごりと動く。
それに言い返そうとしたのに、やっぱり声は喉で消えた。
消えた私の代わりに、別の声が割り込んできた。
小学生くらいの、男の子の声。
「……何がしたいの?」
その時、不思議なことが起きた。
私を掴んでいた男の腕が何もしていないのに、ぶちっと斬れた。斬れた瞬間、私の身体が何かに支えられてゆっくりと地面に降りた。
反対に青年の身体が空中に引っ張り上げられた。
まるで、ワイヤーアクションみたいに。
引っ張り上げられたのは、青年だけじゃない。
私に近づいてきた女の子たちも、対岸にびっしりといた人たちも。みんな、みんな空中に釣り上げられていく。釣り上げられた人たちは、首に手を伸ばしてもがいていた。まるで、見えない
そうして、人が消えた道にいるのは3人だけだった。
私と、小学生くらいの男の子。そして、その隣にいる長い黒髪の女の子。
『あ、赤ちゃん、いりませんか』
「いらないよ」
男の子がそう言うと、青年の首がすぱっと斬れた。頭が地面に落ちてくる。
ぶつかると思って思わず目を瞑ったのに、何もないからゆっくりと目を開くと、そこには黒い霧が広がっていた。
「あとは、後処理の人にお願いしよっか。アヤちゃん、スマホある?」
「うん。持ってるよ」
男の子が、女の子にそう話しかけると女の子がポケットからキッズフォンを取り出した。
女の子の名前がアヤというんだな、と場違いなことを考えた。
女の子は手慣れたようにどこかに電話している間、男の子は落ちたカバンを拾い上げてくれた。カバンからこぼれ置いたスマホを、ちらりと見て、男の子が右手を重ねた。
ばち、と何かの糸がちぎれる音が聞こえて、男の子がカバンといっしょにスマホを渡してくれた。
「これ、お姉さんの」
「あ、ありがと……」
何が起きたのか、アレは何だったのか。
それを知りたいのに「なぜ」の問いは出てこず、私はもらったカバンをぼうっと見ることしかできなかった。
そうして、アヤという子が電話を切ると男の子たちが踵を返した。
返したものだから、思わず呼び止めてしまった。
「あ、待って!」
不思議そうに少年と、女の子が振り向く。
「名前、教えて」
「イツキだよ」
男の子が吐いた息が白く染まる。
「如月イツキ」
その時初めて。
私は『特別』という言葉の意味を理解した。
―――――――――――――
あとがき
ありがたいことに凡人転生3巻が1月10日に発売されます。
▽詳細な情報はこちらから
https://kakuyomu.jp/users/cyclamen048/news/16818093090867354574
それにともなってフォローしていただいている皆さまに配信となるのですが、
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凡人転生の努力無双〜赤ちゃんの頃から努力してたらいつのまにか日本の未来を背負ってました〜 シクラメン @cyclamen048
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