第5-39話 星の再誕

 桃で『階位』が上がるという話は、すぐさま持ち帰りになったが、結論は早々に出た。


 俺が、あげたいと思う人に渡せば良いとなったのだ。


「それは、イツキくんが手にいれたものだからね」


 露天風呂の脇に置かれた整い椅子に並んで座ったレンジさんにそう言われたものだから、俺は少し迷った。

 

 整い椅子というのは座る前までは普通の椅子だが、座って後ろに体重をかけるとリクライニング座席のように後ろに倒れるというサウナーたちの椅子なのである。


 まぁ、これは父親からの受け売りだが。


 そんな今日は旅行の最終日。

 せっかくだからと最後のサウナへと入りに温泉にやってきたのだ。


 そしてサウナついでに『誰に渡せば良いか』の相談をレンジさんに持ちかけたら、開口一番そう言われたわけである。


「君のあげたい人にあげれば良いよ。俺としては……ニーナちゃんにあげるのが良いと思うけど」

「アヤちゃんじゃなくて?」

「アヤにはがいるだろう?」


 俺はてっきりレンジさんからはアヤちゃんに食べさせてと言われるのだと思っていた。


 なのに、提案されたのは意外な相手で思わずレンジさんの方を見てしまう。

 しかしレンジさんは俺のことなんて気にした様子もなく、まるでいま思いついたかのように疑問を口にした。


「この場合、どちらの階位が増えるんだろうね」

「……アヤちゃんと、氷雪公女の?」

「ああ」


 浴場にはほとんど人がおらず、涼しい風が吹き抜ける。


 さっきまで入っていたサウナの熱が身体から抜けていく感じ。

 気を抜けば考えることをやめて、ぼーっとしそうになる。


 でも、確かに言われてみれば『食べたら階位のあがる果物』をアヤちゃんが食べたらどっちの階位が増えるんだろうか。


 というか、そもそもとして。


「レンジさんは、いらないの?」

「うん。いらないいらない。大丈夫だよ」


 レンジさんにそう聞いたら、笑いながら否定された。


「この歳になってくるとね。自分のことより子どもたちの未来が気になるんだ。俺は死なずにこの歳まで来たけど……君たちがどうなるか。こればっかりは誰にも分からないだろう?」

「……それは、そうかもだけど」


 かたり、と音を立てて整い椅子をリクライニング状態から普通に戻して、レンジさんが短く息を吐き出した。


 レンジさんの言わんとしていることは俺にも分かる。

 人がいつ死ぬかなんて、誰に分かるものでも無いんだから。


「だからね、イツキくん。俺としては、君たちの誰かが食べるべきだと思うんだよ」

「僕も?」

「君もだ」


 鍛冶師の老人が言っていたこととは全く違うことに、俺は少し面食らった。


「君が食べて『第七階位』としてより強くなって、多くの“魔”を祓えば……それで、結果的に救われる人が増えるかもしれない。そういうことだって、考えて良いと思うんだよ」

「……うん」

「あんまり納得してないって感じだね」

「僕は……これ以上、魔力があっても使い切れないから」

「羨ましいね。俺もそう言ってみたいよ」


 からっとした口調で、さして羨ましくも無さそうにレンジさんはそう言った。

 それはきっと、さっき言っていた『自分のことよりも子どもたちのほうが』ということに繋がるんだろう。


「ま、ともかくさ。俺が言いたかったのは『桃』は君が手にした戦果だってことだよ。だから、それは君が使い方を決めて良いんだ。それに文句をいう大人は誰もいないしね」


 俺はそれに、黙って頷いた。


 それは分かる。


 レンジさんも、父親も、イレーナさんだって俺があの桃を自分で食べても文句は言わないだろう。イレーナさんあたりがニーナちゃんにあげたがるかもしれないけど、無理してニーナちゃんに食べさせようとしたり、俺から奪ったりはしない。


 そういう人たちだという信頼がある。


「俺はね、君たちが幸せになってくれればそれで良いんだよ。桃がそのきっかけになるんだったら食べれば良いけど、そうじゃないなら捨てたって良い」

「……捨てる?」

「ああ。大事なのはね、君たちが――幸せになることだ。アヤやイツキくん。ニーナちゃんが幸せになれるんだったら、そうしたって良いんだよ」


 レンジさんはそう言って肩をすくめると、立ち上がってから俺の目を見て微笑んだ。


「だからさ、アヤをよろしくね。イツキくん」

「…………うん」


 俺は、そのお願いに頷くことしかできなかった。




 とはいえ俺が誰に仙境の桃を渡すか……というのは、考えてみれば最初からほとんど決まっているようなものだった。大人たちはレンジさんだけではなく、父親もイレーナさんも桃を食べずに子どもの誰かに譲るように言っていたし、俺は要らないから必然的に選択肢は絞られる。


 そう。アヤちゃんかニーナちゃんか、ヒナの3人になるのだ。

 なるのだが、ヒナは第二階位。無理して祓魔師の世界に足を踏み入れなくて良いし、そもそも魔法の練習もそこまでやってはいない。あくまで自衛レベルだ。だったらヒナを無理して、この世界にいれるべきとは思わない。魔力を増やせばそれだけモンスターに襲われるわけだし。


 だとすれば、アヤちゃんかニーナちゃんの2人になる。

 だが……レンジさんも言っていた通りアヤちゃんには、氷雪公女がいる。本来であれば第三階位でも、氷雪公女が前に出れば第六階位。そこら辺のモンスターに殺されることは無いだろう。


 誰も死なせないように。

 誰も死なないように。


 そうやって選択肢を絞っていけば、自ずと答えは決まってくるのだ。


「……本当に、私で良いの?」

「うん。この桃は、ニーナちゃんが食べるべきだと思うんだ」


 きょとんとした顔で俺が差し出した桃を見つめるニーナちゃん。

 俺の横にはアヤちゃんもいる。これは彼女とも話し合って出した結論だ。


 もし、アヤちゃんが食べたいというなら……俺は半分に分けて、2人に食べてもらおうと思った。けれど、アヤちゃんは首を横に振ってから言ったのだ。『私は要らないよ』と。


 だから、こうしてニーナちゃんのところに持ってきた。

 しかし、ニーナちゃんは少しだけ迷うように桃から目を離すとアヤちゃんを見た。


「この桃を食べたら、階位が上がるんでしょ? 本当にアヤは食べなくても良いの?」

「うん。私は食べなくても良いの。もっと他に……やるべきことがあるから」


 アヤちゃんはそういって静かに笑った。

 その顔は露天風呂で見たレンジさんの微笑みに似ていて、親子だなぁ、なんてことを思った。


 俺がそんな場違いなことを考えている横で、ニーナちゃんは目を瞑って息を吐き出すと俺の手のひらから桃を優しく手に取る。受け取ってから、そっと胸に抱いた。


「ありがとう。イツキ、アヤ」


 そうして、ゆっくりと言葉を口に出した。


「2人がそう言ってくれるなら、私が受け取るわ」


 そうして、ニーナちゃんは桃を口にいれた。

 手のひらで包めるほどの小さな桃は、わざわざかじる必要もないほどに一口で食べ切れた。


 そして何回かもごもごと口が動くと、ニーナちゃんは桃を飲み込んだ。

 飲み込んでから、再び彼女は感謝を言葉にした。


「ありがとう。イツキ、アヤ。私を見捨てないでくれて」

「……友達だからね」


 俺がそう言うと、ニーナちゃんは照れたように微笑んだ。


「私、強くなるわ」


 ぎゅ、とその強い決意を表すように手を握りしめて。

 それでも、そんな大きな感情なんて持っていないかのように顔には何も出さずに。


「あの遊園地とか、学校みたいなことを、もう二度と起こさせないために」


 それは、きっと1人の人間の生まれ直した瞬間だったんだろうと……思う。

 

「イツキと、アヤと、みんなの期待に応えられるくらい。どんなモンスターだって殺せるくらい」


 正直なことを言うと、俺は知らなかったのだ。

 人は死ななくても、生まれ直すことができるのだということを。


「私、強くなるわ」


 そうやって微笑むニーナちゃんに、もはや数日前の面影は残っていなかった。

 モンスターに心を壊され、泣き、魔法が使えなくなった女の子はどこにもいなかった。


 その全てを乗り越えた、強い祓魔師の卵がいた。

 それを祝うべきだからこそ俺は1つだけニーナちゃんに訂正したくて……しかしそれを飲み込んだ。


 飲み込んだことを悟られないように、俺は二人に話しかけた。


「そろそろ、行こっか。もう東京に帰る時間だから」


 俺はニーナちゃんとアヤちゃんにそう言うと、いち早く父親たちが帰る準備をしているであろう旅館の部屋に向かって歩きだした。




 ニーナちゃんは『強くなる』と言った。

 けれど、それは間違っていると俺は思うのだ。


 何故なら、彼女はずっと強かったのだから。

 トラウマを前にして、それでも祓魔師になろうとした。

 母親から見捨てられたと思っても、それでも祓魔師になろうとした。


 そう、ニーナちゃんはずっとそうだったのだ。


 出会ったときからずっと、眩しいくらいに強い子なのだ。




 ――第5章 『星の再誕』終わり――







 ※あとがき


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