タバコと鬱

私には鬱がある。

2ヶ月ほど前から精神科に通っていて、受けた診断は社交不安障害だけだった。でも私の心理的問題に「強いて名前をつけるなら」社交不安障害であっただけで、実際にはいわゆる「鬱」という精神疾患カテゴリーに入る症状も自分は持っていると思う。社交不安障害という病名でさえ、私が自分から精神科医の先生に名前を出して、「そう聞かれたら確かにあなたの症状はそう名付けてもいいでしょうね」と言われただけだ。その先生は別に病名とかにこだわるタイプではなく、患者には個々で千差万別の問題があって、病名というのはそういった問題たちの中に共通する表面的な症状にあえてカテゴリーをつけただけのものだと考えているらしい。それでも「診断をすること」が無意味なことだとは思っていない(先生も私も)。むしろ「診断をされること/病名をつけられること」は私にとってとても大切なことだった。なぜなら、心理的な問題には詰まるところ実体がなく、それ故に自分自身の感じている苦悩に実体を求められないというのは時として大きな苦痛が伴うからだ。考えてもみてほしい。この世の中に「鬱」という病名が生まれる前、あなたが(現代で言う)鬱になったとして、四六時中虚無感や無力感、自分が無価値であるという感覚に激しく苛まれ続けているのに、「この苦痛は〇〇ゆえである」と言うことができないとしたら。苦しんでいるのに、自分が苦しんでいることにさえ疑心暗鬼になってしまうこと。病名がないために、他者に対してもその感覚を表現する術もなく、強いていうなら「なんか嫌なことがあったんだね」程度で済まされてしまうとしたら。それはちょっとした地獄である。

だから、私は実体のない自分の心理的問題に、あくまで部分的な特徴としてでも、「社交不安障害」あるいは「鬱」と、自分で実体を与えることで少なからず救われているのである。もっともこの文章の主題は精神疾患における診断行為のメリットを語ることではない。私はものを書き始めると直ぐに脱線してしまう悪い癖があるのだ。


タイトルを見て分かる通り、この文章の主題は「タバコと鬱」である。タバコと、鬱という心的状況の相互関係について。それがこの文章の主題である。

おそらく既に予想されているように、私は喫煙者である。喫煙者以外がこんなタイトルで文章を書くわけがない。喫煙者にも色んなランクがあるが、私は大体1日に7〜8本タバコを消費する。つまり、約3日で一箱を吸い切る。ヘビースモーカーではないが、ライトなスモーカーでもない。生半可に依存しているがために、いわば最も禁煙が難しい部類の人間であるらしい。私がタバコを吸い始めたのは、「鬱」になる前である。もっとも「鬱」になる前から私の心理的問題は私のうちに潜在していたのだが、それはまあいい。正式に、医学的に「鬱」になって以降も私はタバコを吸い続けている。それ以前と以降でタバコとの付き合い方が変わったかと言われれば、少し変わったかもしれない。いわば私の生とタバコとは切っても切り離せない関係になってしまった。「鬱」の人間というのは、日常の中で幸福を感じることがほとんどない。人にもよるかもしれないが、私の場合は、どんなことがあっても常に頭上に太陽の光を遮る屋根が覆いかぶさっているような感覚がある。そんな私ももちろん幸福は求めてやまないものである。むしろ、健康的な人よりも幸福というものに激しく執着している。幸福でないがために、四六時中それを夢見ている、といえば分かり易いだろうか。そこで私が見つけたのがタバコである。

タバコを吸っている間は、自分の種々の問題や生というゲームの煩雑さから一時的に逃れられるような気がする。救われる、というよりかは、暫時的な逃避である。でも、たとえそれが暫時的なものであっても、何もないよりかは随分いい。と濁った頭で私は考える。ただタバコにも害はある(なんて愉快な命題だろう)。内臓が汚れる、とかそんな月並みなことは言わない。

以前数日禁煙したことがあった。3日目ぐらいで禁断症状が抑え難くなり、苦しんだのだが、その一方では私は強い生命力の隆起のようなものを感じていた。より正確にいうなら、自分の問題をより強く認識し、よりその解決に向けた意欲が湧いてきた、と言ったらいいだろうか。逃避の場所を絶ったことにより、私は「生きる」という極めて戦闘的な空間に、再び、否応なく立たされたのだった。逆に言えば、タバコを吸い続けることは、自分の本質的な問題との対峙を避けられる代わりに、即席の、懊悩とした均衡に停滞し続けるということなのだ。

それを理解してから、私はタバコを吸うたびにある感覚を認識するようになった。煙を一口、二口と吸い込むうちに、自分の中で生へのエネルギーのようなものが削がれていって、瞬間的な静寂を感じると同時に、端的に言えば、私は「落ち込んでいく」のである。抗うつ剤という薬は効果が出るのにひどく時間のかかるものであるが、1ヶ月分ぐらいの抗うつ剤による効果が一本のタバコでかき消される、というぐらいそれは強力である。もちろんまた数時間経てばタバコの影響は消えていくのだが、仮にタバコが切れる隙も与えず吸い続けていたら、私の頭上ではいつまでも屋根が光を遮り続けるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Love, Fake, Crap @babylovethis4you

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ