13-11 訪れた夫婦の身の上話は、ハーブティーが冷める前に終わるのか
エマは、あの日のことを恥じているのだろうか。それとも後悔しているのか。俺と目を合わせようとはせず、俯いたままだ。
ここへ来たのは旦那の意思なのかもしれないな。
「自己紹介がまだだったな。俺はこの開錠屋の店主、ラス。
「私は、船着き場の近くでパン屋を営んでいるパーカーといいます」
慌てたように名乗った男、パーカーは頭を下げた。
すると、銀のトレイにカップを並べて持ってきたビオラが嬉々として声を上げた。
「そのパン屋、知っておるぞ! ベーグルが美味しかったの。最近、お休みが続いていて残念に思ってたのじゃ」
「……お前は食い物の話になると、すぐ反応するな」
「美味しいものは幸せを運んでくれるからの!」
俺の嫌味にもひるまないビオラは無邪気に笑った。その屈託のない声に釣られたのか、エマは俯いていた顔を上げた。
彼女の茶色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。
これは、どう見ても訳ありだな。
テーブルに並べられたティーカップを見て、俺は小さくため息をついた。
「ところで、ビオラ。俺のカップがないぞ」
「ポットと一緒に持ってくるから、待っておれ! 全部一度に持ってくるのは無理じゃ」
チュニックを翻してカウンターに戻るビオラの姿を、パーカーは優しい眼差しで追うと「よくできた娘さんですね」と言った。
「娘か……あれは預かっている子だ」
「え、あ、すみません、仲がよろしいので、てっきり
「いや、気にしないでくれ」
「あ、あの……預かっているっていうのは、どういう事、でしょうか? あの子の、ご両親は……」
それまで黙っていたエマが、突然、話に割って入ると、落ち着かない様子になった。ビオラの姿を探しているようだが、興味本位というより心配しているような表情だ。
大方、親と死に別れたとか捨てられたとか考えて、哀れんでいるのだろう。あいつの事情を話すわけにはいかないし、話す気もないが。
「悪いが、あいつのプライベートに関わる。話すことは出来ない」
「そ、そうです、よ、ね……」
エマが再び俯きかけた時、甘い花の香りが漂ってきた。それに思わずほっと息をついたのは、俺だけでなく、目の前の二人もだった。
三人の視線がビオラに向いた。
ティーポットと俺のカップをテーブルに降ろしたビオラは俺を見た。さすがに、お茶をカップに注ぐのはやって欲しいと言いたいのだろう。
ポットの持ち手を掴みながら、俺はパーカーに、それでと尋ねた。
「礼っていうのは、何のことだ?」
「妻がこちらに無理なお願いをしに来たと聞きました」
「よくあることだから、気にしないで欲しい。無理であれば断る。それだけだ」
「それは分かります。私も商売人ですから。大口の依頼や対価の関係で、断ることもありますし」
苦笑を浮かべたパーカーは、ハーブティーの注がれたカップを手にすると、ビオラに頂きますと言って微笑んだ。
「私たちの身の上話を、少し聞いていただけますか?」
「ハーブティーが冷めない内ならかまわない」
「ありがとうございます……三ヵ月ほど前のことですが、妻は、流産しました」
言いにくそうにしながらも、パーカーはエマの手をしっかりと握りしめ、身の上話を始めた。
長年、二人は子どもに恵まれなかったそうだ。
やっとの思いで授かった子だったが、残念な結果となったのが三ヵ月ほど前のこと。それからエマは時折、記憶を失うようになったそうだ。通っていた産婦人科から、心因性によるものだろうと云われたらしい。
記憶を失ったと言っても、時間が経過すると思い出すそうで、生活には支障がない程度だそうだ。
「仕事が忙しいことを理由に、私は妻と向き合えていませんでした。ですが、この一か月、話し合い、二人でたくさん泣きました」
顔を歪めていたパーカーはエマを見ると、おもむろに、その視線を彼女の手に添えた己の手に向ける。
瞳からあふれ落ちた雫が、手の甲を濡らしていた。
「……お腹に赤ちゃんが来た……その時の、喜びを、忘れたくなかった」
「エマ……」
「産んで、あげられなくて……ママに、なれなくて……」
小さく震えながら、ごめんなさい、とその乾いた唇が震えていた。
エマが記憶を封印したいと願った理由は、そういうことだったのか。しかし、あの時、事情を知っていたとしても、俺は断っただろうな。
泣いている姿を横目に、俺はため息を飲み込んでパーカーに視線を注いだ。
「私は、仕事に逃げていたんです。彼女が泣いていても、辛くても、生活をしなくてはと、働かなければと……」
結婚をしたことのない俺には、結婚相手を大切にしてやれと安易に言葉をかけることが出来る訳もない。
「妻は一人でどうにかしようと足掻いていたというのに……私は仕事を理由に、逃げていました」
重い話を黙って聞きながら、息をひそめた。
俺が、この二人に何を言ってやれるのか。
子どもが欲しいと思ったこともなければ、結婚をしたいとも思ったこともない。お気の毒にの一言に尽きるが、そんな言葉を彼らは望んじゃいないだろう。
言葉を紡げずに黙っていると、横でビオラが「幸せものじゃな」と言った。
エマの目が見開かれる。
困惑と怒りと、悲しみの入り混じった歪んだ表情が、ビオラに向けられた。
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