13-10 現れた見知らぬ男は「お礼に来ました」と言う
日中はまだ少し熱さの残るとはいえ、ここ数日は随分と過ごしやすい日が続いている。
店の前で、ビオラの苗をプランターに移し替えていると、さすがに汗が滲んできたが、通り抜ける風は気持ち良かった。
「何色の花が咲くかの?」
「さぁな」
「ラスの目の様な花も咲くかもしれぬの」
頬を泥で汚しながらわらうビオラは、ポットから取り出した苗を白いプランターに寄せていく。
「これはどこに置くのじゃ?」
「あぁ、店の入り口前で良いんじゃないか」
そんな他愛もない話をして、苗を植え終え、まだ土が見える青々としたプランターを店の入り口付近に並べた。
左右対称に一つずつ置かれたプランターを覗き込み、ビオラはいつ咲くかのと呟く。
「数日すれば、様子もまた変わるだろう」
「毎日が楽しみじゃ」
「あぁ。後は、余った苗をどうするかだな」
思いの外、たくさんの苗が出来た。黒いビニール製のポットの中で大人しく出番を待つ苗を見下ろし、どうしたものかと考えていると、丘を登ってくる一本道からエンジン音が聞こえてきた。
振り返ると、小型の魔導式車両が上がってきた。丸みを帯びた赤い車体は砂利道に揺られながら、店の前で静かに止まった。
「あの車は、可愛いの。エイミーの車とは大違いじゃ」
「こっちの方が一般的だ」
魔物を蹴散らしながら山道を走れる車なんてそう多くないぞと思いながら、俺は車から降りる二人に視線を向けた。その片方、助手席から降りて来た女には見覚えがあった。
「あのご婦人、見覚えがあるの」
「まさか、また来るとはな」
再び客として訪れるとは、欠片も思っていなかった。
泥にまみれた作業用の手袋を外しながら、俺は近づいてきた二人に「いらっしゃいませ」と言った。
女の横で、男が深々と頭を下げた。
「今日はどういった御用ですか? 何か、魔法道具の修理か、魔法薬をお求めに──」
「お礼に来ました」
店のドアを押し開けながら尋ねると、男が言った。
その言葉の意味が分からず、俺は足を止めて振り返った。
縮こまる女の横で、男は直立不動のままだ。
「お礼?」
男の言葉の意味が全く分からなかった。
あの日、
俯く女は、男に促されて一歩前に出たが、言葉が上手く出てこない様子だった。
「立ち話もなんじゃ。中に入ってもらえばよかろう?」
「あぁ、そうだな」
「妾が茶を淹れるのじゃ」
「こら、泥を落としてから入れ!」
店に入ろうとするビオラを引き止めた俺は、腰の杖を抜くと、
杖の先で足元のタイルを叩くと白い魔法陣が浮かんだ。
風が巻き上がり、ビオラの着るチュニックの裾を揺らすと魔法陣が足元から上がっていき、ひやりとした風と共に土を巻き取っていく。
汚れがとれたビオラの白い肌に光がさし、きらめく蜂蜜色の髪が風に揺れた。
小さな唇がふっと息を吐くと、可愛らしく微笑んだ。
「もう、良いかの? では、茶の用意をするのじゃ!」
上機嫌で店に入っていくビオラの様子を見ながら、俺はもう一度杖で足元を叩いた。今度は、俺自身の汚れを落とすためだ。
「騒々しくて済まないな」
「いえ……元気な、娘さんですね」
振り返ると、どこか羨ましそうな顔をした男が切なそうに笑っていた。
「娘か……すまないが、あいつの淹れるお茶、飲んでいってくれないか?」
ビオラを娘だと言われたことに、いちいち否定するのも面倒だが、肯定するのも違う。いまだに、どう反応して良いか困っている。
そんな俺の小さな呟きが耳に届いたのだろうか。二人は困惑の色を浮かべて顔を見合っていた。
「最近、ハーブティーのブレンドを教えたら、馬鹿の一つ覚えで淹れたがるんだ」
二人を店の中へ誘うと、奥から「バカとは何じゃ、バカとは!」と声が響いた。まったく、あいつの地獄耳にも困ったもんだ。
苦笑を浮かべながら店のドアを開けると、二人は頭を一度下げて車から離れた。
店内のカウンター側には小さな応接セットがある。そのソファーを二人に勧めて、俺は向かいに腰を下ろした。
「あんた、礼だと言ったが、俺にはそんな覚えはないぜ」
杖の接合部分を外して畳みながら告げれば、男は少し驚いた顔をして女を見た。
「一ヵ月ほど前に、妻がこちらで無理なお願いをしたと……」
「あぁ、そうだな。だけど、俺は出来ない仕事を引き受けない。条件が合わずに不成立となったから帰ってもらった。それだけのことだ」
「えぇ、その話も妻から聞いています」
少しだけ戸惑いを見せた男は、女性──妻であるエマの膝の上で握られる拳に手を重ねると、彼女の様子を伺った。
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