13-9 成長するビオラの苗

 どたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。


「ラス! 起きるの──」

「起きてるよ。お前は毎朝、騒々しいな。大人だって言うなら、もう少し落ち着け」


 開け放たれたドアを振り返ると、興奮したビオラの顔は赤く染まっていた。


「朝から説教とは、ラスはになるつもりか?」

「言うようになったじゃねぇか」

「ふん! わらわをバカにするラスが悪いのじゃ」

「まったく……そんなことを言いに来たんじゃないだろ? 今日は何だ?」


 腰に愛用の杖を挿し、まとわりついてきたビオラを見下ろす。

 昨日は、リアナに借りた小説が凄いと言って延々と傍で語られた。五百年前にはなかった愛の物語だとかなんとか言って大興奮していたな。その前は、新しく覚えた単語の自慢があって、さらにその前は──ここ数週間のことを思い出しながら苦笑していると、ビオラは俺の手を引っ張った。


「そうであった! とにかく、来るのじゃ!」

「朝飯の後じゃダメなのか?」

「今すぐじゃ!」


 ぐいぐいと引っ張られて連れて来られたのは、店だった。

 窓辺には、黒いビニール製のポットが並んでいる。一か月近く前になるが、苗を移したものだ。小さかった葉は随分青々と茂り、そろそろプランターに移しても良さそうに見えた。


「これじゃ、これ!」


 興奮が治まらないビオラは、苗を指さした。それは他のどれよりも大きな葉を広げている。その中央では、小さな芽がひょこりと顔を上げていた。よく見れば、他の苗も葉の合間に蕾らしいものが見られる。

 暑い夏の中、日差しを浴びて丈夫な根が育ったのだろう。


「……そうか。そろそろ、プランターに移すか」

「妾の選んだ、白いやつじゃの!」

「朝飯を食ったらな」

「これで花が咲けば、愛想のない店が華やぐの」

「愛想がなくても、商売は成り立ってるぞ」

「じゃが、可愛い方が良いのじゃ!」


 ビオラの変わらないこだわりである可愛いという言葉を軽く受け流し、俺はさっさとキッチンに向かった。


「何じゃ。花が咲くのは嬉しくないのか?」

「……そんなことはない」

「今の間は何じゃ!」

「別に……朝からテンションの高いお前についていけないだけだ」


 まとわりつくビオラの頭に手を載せ、ガシガシとその髪をかき乱すと、何をするのじゃと悲鳴が上がった。


「せっかく整えた髪が台無しではないか。淑女レディの身だしなみを何だと思っておるのじゃ!」

 

 キッチンに入ると、後ろから仔犬が叫ぶように文句を言うビオラはついてきた。

 それを適当に聞き流しながら、保冷庫から野菜を取り出す。トマトにキャベツと玉ねぎ、それから冷凍しておいたソラマメ。

 野菜を目にしたビオラの文句はピタリと止んだ。


「朝食は何を作るのじゃ?」

「トマトのサラダに、キャベツと玉ねぎはスープだな。あとソラマメを──」

「ソラマメ! 妾はベーコンと炒めるのが好きじゃ」

「じゃぁ、ベーコンと……卵は目玉焼きで良いか?」

「半熟が良いの。チーズも載せてたもれ!」

「注文が多いな」


 保冷庫から出したものを調理台に置き、テーブルのセッティングと朝のお茶の用意をビオラに任せ、俺は野菜を切り始めた。

 トマトはくし切りにして、コショウをきかせたドレッシングと、玉ねぎのみじん切りを一緒に和えて保冷庫で冷やしておく。その間に、キャベツと残りの玉ねぎが入った鍋に、ベーコンと塩、水も入れて火にかける。

 

「ラス! 今朝のハーブティーはカモミールで良いかの?」

「任せる。お前の好きなのを淹れたらいい」

「なら、ラベンダーも少し入れるのじゃ。それから、レモンバームも」


 鼻歌を奏でそうなくらいご機嫌なビオラは、スカートの裾を揺らしながらキッチンにあるハーブの保存缶を開けた。

 華やぐ香りの横で、俺は油を熱したフライパンに卵を落とした。しばらくしたらスライスしたチーズを上から載せ、それが程よくとけた頃には、半熟目玉焼きが仕上がる寸法だ。


 ソラマメとベーコンを炒めていると、ビオラがひょこっと顔を出した。


「危ないから、顔を出すな」

「待ち遠しいの」

「もうすぐだ。トマトを出しといてくれ」

「任せてたもれ! プラムも食べて良いかの?」

「そうだな。ヨーグルトも出してくれ」


 そうこうしているうちに、ソラマメはベーコンの脂と一緒に色づき始めた。塩とハーブで味を調え、皿の上にある目玉焼きの横に盛りつければ完成だ。


「食べ終わったら、プランターに苗を植えるから、汚れても良い服に着替えろよ」

「ラスのチュニックを着て良いかの?」

「構やしねぇけど……これからも花を育てるなら、作業用の服くらい買っても良いかもな」

「可愛いのが良いのじゃ!」

「汚れる前提だぞ」


 カップにスープを注ぎながら、笑い合う。

 席に着くと、ビオラは手を組んだ。つぶらな赤い瞳が閉ざされる。


「すべての命の重みに感謝し、我が魔力の糧となるものに祝福を」


 いつもの祈り。いつもの言葉。

 すっかり見慣れた食事の前の祈りの風景を、俺は目を細めて見つめていた。

 時が過ぎるのは早いもんだ。

 ビオラが現れてから、何か月が過ぎたのだろうか。


「ラス、どうしたのじゃ? 食が進まぬの」

「……そんなことはない」

「そうかの?」


 つぶらな瞳が俺をじっと見ていた。

 パンに目玉焼きを載せて嚙り付いたビオラの口の周りは、卵の黄身でべったりだ。こんな姿を毎日見ているからか、こいつが俺と同じくらいの年だって考えると、感情が複雑になる。

 言葉でどう言ったらいいんだ。この感情は。


「なぁ、ビオラ」

「なんじゃ?」

「……お前、淑女レディだなんだって言うなら、もう少し綺麗に食え」


 搾ったタオルで口まわりを拭ってやると、その顔が真っ赤になった。

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