13-12 祈りの言葉を紡ぐ

 明らかな不快感と敵意をむき出しにしつつ、エマは握った拳を震わせながら感情を押し込めようとしている。怒鳴り声を上げなかったのは、相手が子どもだからか。

 ビオラがどういった意図で幸せ者と言ったか分からない。

 しかし、不幸だと思っているだろうエマに対して、その一言が鋭い刃となって心に突き刺さったのは間違いない。

 

「お前は黙ってろ。話がややこしくなる」

「勘違いをするでない。が、幸せ者じゃと言っておるのだ」


 空になったカップをテーブルに置いたビオラは、真っすぐにエマを見た。

 その表情は未だ固いが、怒りから戸惑いに変わったようだ。横で寄り添うパーカーも目を見開いて、ビオラに視線を注いでいる。


わらわは母の顔を知らぬ。父の顔もじゃ。だから、妾が望まれて生まれたかどうかを知らんのじゃ」


 小さな指が宙を撫でると、ぽふっと音を立てて光の花が咲いた。

 何をする気だ。──そう思っているのは、俺だけじゃないようで、目の前の二人もビオラの一挙一動を目で追っていた。


「古くから、子どもは夫婦の縁を繋げると言われる。そなた達の間に生まれようとした赤子も、二人の縁を繋げてくれたのではないか?」


 椅子から降りたビオラは二人に近づくと、その重なる手の上に、光の花を置いた。

 二人の視線は、輝く花に注がれた。

 くるりくるりと回る姿は、まるで風車のようだ。それは、しばらくすると細かな粒子となって霧散した。


「魔法は、万能じゃないからの。記憶を封印するよりも、時々で良いから思い出してやる方が、赤子も嬉しかろう。妾は……うたことのない母が、どこでも良いから、妾を思って笑ってくれたら嬉しいのじゃ」


 ビオラの小さな手が、二人の手の上に置かれた。そこに、雫がぽたりぽたりと落ちる。

 もう伝える言葉はなさそうだ。

 程よい温度となったハーブティーに口をつけると、ほんのりと甘い、リンゴのような香りが鼻腔を抜けていく。

 嗚咽と共に、小さくありがとうという声が耳に届いた。


 ややあって、落ち着いたエマの手を引いたパーカーは店を出ると、車の前で立ち止まった。


「お礼を渡すのを忘れるところでした」

「いらねぇよ。あんたらに礼をされる覚えはない」


 車の後部座席から紙袋を取り出したパーカーは、それをビオラに渡した。

 きょとんとしたビオラは中を覗き込むと、花を咲かせるようにぱっと笑顔になった。


「パンじゃ! クッキーも入っておるの!」

「おいおい……タダで貰うのは気が引けるな」

「お礼の品ですから、気になさらず。あの、ラスさん!?」


 パーカーの呼び止める声を無視して、俺は一度、店に入ると小さな紙袋を持って外に戻った。

 店の前に置いたままだったの前にしゃがみ、選り分けた三つのポットに手をかざした。

 魔力が集まるのを手に感じながら、祝福の言葉を紡ぐ。


「天に花なく、地に星なく。渡る風が贈るは祈りの鐘声しょうせい。降りしきる光は導きとならん」

 

 温かな風と光が帯となり、まるで贈り物を包むリボンのように苗を包み込んだ。


祝福をベネディカート


 詠唱を終えると、集まった光がシャンッと音を立てて消えた。

 脇に置いた紙袋へと苗を入れ、車の前でぽかんと口を開けているパーカーに歩み寄った。


「俺からの礼だ」


 紙袋を差し出すと、パーカーは勢い良くかぶりを振った。


「迷惑をかけたのは私たちなのに。いただけません!」

「大したもんじゃない。それに、礼だと言っただろ」

「……礼?」

「俺は赤の他人だ。それなのに、よくプライベートのことを話してくれたと思ってな」


 パーカーの手を取り、紙袋を持たせた。


「記憶の封印はリスクも伴うから、あまり勧めないが、魔法は封印だけじゃない。祝福の言葉もあれば、安らぎを与える魔法薬もある」

「なんじゃ。店の宣伝かの?」

「お前は黙ってろ……また魔法が必要だと思ったら、頼ってくれ。たちの悪い店と違って、対価に見合ったものを提供するぜ」

「相変わらず、がめついの」

「ちゃっかりパンを貰ってるお前に言われたくないな」


 横で茶々を入れるビオラの頭をわさわさとかき乱すと、小さな笑い声が聞こえた。エマだ。

 その笑顔を見たパーカーの青い瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。


「ごめんなさい。父娘かと思ってたけど……不思議なご関係なのね」

「まぁ、少し訳ありでね」

一蓮托生いちれんたくしょうじゃ!」

 

 その一言が、またややこしいことになるってのが分からないのか。

 ため息をついていると、エマは紙袋の中を覗き込んだ。


「これは、ビオラの苗かしら? ふふっ。お嬢さんの名前と同じね」

「妾が種から育てた苗じゃ!」

「少し作りすぎたから、遠慮なく持って行ってくれ。祝福の魔法は今回限りのサービスだ。次は対価を払ってもらう」

「何色の花が咲くかしら。楽しみね」

「ありがとうございます。大切に育てます……エマ、そろそろ失礼しようか」


 紙袋を受け取ったエマは、パーカーに促されて車に乗ると、窓を開けた。

 車のエンジンがかかる。


「ビオラちゃん、また、お話してくれるかしら?」

「いつでも良いぞ! 妾がハーブティーを淹れよう」

「その時は、パンを持ってくるわね」


 楽しそうに微笑むエマは手を振った。その声を聞いたパーカーは感極まったようにまた頬を濡らしている。彼女の笑い声を聞いたのは、三か月ぶりなのだろう。

 運転席でパーカーは頬を濡らした涙を袖で拭った。

 ありがとうございました。繰り返される礼を残して、彼らは帰っていった。

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