13-4 「俺は、医者じゃない」
焦燥しきった様子の女は椅子に腰かけると下を向き、膝の上で拳を握りしめていた。
どうやら客のようだが、魔法薬を買い求めに来たわけで、魔法道具の修理の依頼でもなさそうだ。
俺の傍に寄ってきたビオラが、俺の耳元でこそこそ「客ではないのか?」と尋ねると、女はおもむろに口を開いた。
「あの……こちらでは、記憶を封印できる、と……聞いたのですが」
その自信がなさそうな声とは裏腹に、忙しなく動く女の視線が気になった。
「出来るぜ。金次第だけどな」
「どのくらい、かかるのでしょうか?」
「記憶の量にもよるな。封印具を作るところから始めたら、物によっては
「そ、そんなに……」
女は四十路を迎える前くらいだろうか。
震える手で、左の薬指に光る指輪を触っている。
「あんた、死ぬ予定でもあるのか?」
「……え?」
「記憶……いや、思い出を封印して残したいって願うやつはたまにいてな。老い先短いか、大病を患って余命宣告をされた客が多いんだ」
以前、持ち込まれた封印物には、息子を励ますための父親の記憶が封じられていた。あの時は封印物を解除する依頼だったが、その逆も、過去に何度か引き受けてきた。その多くが、生きた証を残したいといった思いを抱いての依頼だった。
「余命宣告とは何じゃ?」
「あー、そうか。医療が発達したおかげで、大病を患った人間の死期がある程度、分かってな。それを医者は患者に告げるんだ」
「なかなかに酷じゃの」
「外れることもあるし、最期をどう生きるかって選択肢も広がるから、悪いことばかりでもない。そんなことよりもだ」
興味津々のビオラを黙らせ、俺は再び女を見た。
茶色の瞳が忙しなく動き、そのかさついた唇が震えた。
「余命宣告をされたと言う訳では、ありません」
「じゃぁ、どうして記憶を封じたいんだ?」
「それは……記憶を、失いたく、ないから……」
瞬きを繰り返した女は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私、記憶を、失うことが……あるんです」
「物忘れと言うやつかの? それなら
「ビオラ、お前は黙っていろ。こいつは気にしないで話を続けてくれ」
「あ、はい……その、原因は不明、で、突然、記憶を忘れるんです」
記憶障害に関する問題は難しいな。
感情的になって記憶が吹っ飛んだり、ストレスで記憶を失ったりなんてこともあるが、魔法が関わってる場合もある。
感情や意識に作用する魔法をかけられたり、身体に不適応な魔法を使って、脳に負荷がかり発症することがある。一過性で、記憶が戻ることもあるみたいだが、長年続けば、若い内から認知機能が衰えるなんてことも報告されていた筈だ。だけど──
「俺は医者じゃない。病気の話は、医者を頼るんだな」
「……そう、です、が……どうしても、失くしたくない記憶があるんです。だから」
「それを封印してどうするんだ?」
「そ、それは……」
「あんたに必要なのは、記憶を封印することじゃなくて、治療だろ?」
「で、でも!」
「悪いが、その依頼は引き受けられない」
俺がはっきり断ると、ビオラは驚いた顔をして俺を見てきた。
「お金を出せば、何でも、引き受けてくれるんじゃ……」
「まぁ、そうだが。あんたは俺の提示額を払えないだろうし、その額を払うのはここじゃないって言ってるんだ」
立ち上がった俺は、店の入り口に向かった。
何を言われても、この女の依頼を引き受ける気にはなれないからな。
「封印すれば、記憶は、失わなくてすむの!」
「……あんたが怖がってるのは、そんなことじゃないだろ?」
「え……?」
「もしも、本気なら家族を連れてくるんだ。保証人なしで、あんたの依頼を引き受けるつもりはない」
入り口のドアを開け、帰るように促すと、目に涙をためた女はふらふらとした足取りで店を出ていった。
静かなドアを閉ざすと、寂しそうな顔をしたビオラが椅子に座っていた。
「ラスは、記憶をなくしたことはないのかの?」
「ない。そんな無茶な魔法の使い方はしてないからな」
「なら、ラスにはあの女性の心は分からぬじゃろ」
「……さっきの女の健忘症の原因が魔法かどうかも分からない。医者に行くのが先決だ」
「その医者に行く勇気も、ないのやもしれぬぞ。だから、大切な記憶を守りたくて──」
「だとしても! 健忘症の原因が魔法だったとしたら、これ以上、記憶に干渉する魔法を使う訳にはいかない」
最悪の場合は、深く刻まれた魔法が絡み合って症状が進むことだってある。
「俺は、医者じゃない」
彼女は、きちんと家族と話し合って医者に行くのが最善だ。それでも封印が必要だって言うなら、その時、改めて話を聞けばいい。
閉ざされた入り口を見ていると、ビオラは小さくため息をついた。
「ビオラ、魔法は万能じゃないんだ。俺は、出来ない仕事は引き受けない」
「守銭奴のくせに、変なポリシーを持っておるの」
小さな手が、俺を励ますように背を叩いた。
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