13-3 まだ土から芽は顔を出さない

 霧吹きで種に水を撒くビオラは、毎日、芽が出るのはいつかと聞いてきた。


「十日もすれば出てくるだろう」

「もう、その十日は過ぎたのじゃ!」

「二、三日の誤差はある。植物相手なんだから、そう焦るな」


 窓辺の棚を覗き込んだ俺は、しっとり濡れる土の具合を確認してから、ビオラに視線を移した。

 膨れた顔で下から睨んできても、一ミリもすごみは感じないな。

 その頭を軽く叩けば、子ども扱いをするでないと噛みつくように反抗された。まぁ、この反応も予測はしていたけどな。


「ほら、ビオラ。これやるから機嫌直せ」

「何じゃ?」

「魔法薬に興味があるなら、まずは現代の魔法を知っても良いと思ってな」


 店のカウンター下から出したのは、最新の魔法の歴史が書かれた教本だ。学校の子ども達が使っているもので、身近な魔法の歴史と社会でどう生かされているかなどが書かれている。

 興味深そうにページを捲ったビオラは「読める!」と嬉しそうに叫んだ。


 リアナの語学指導が、十日やそこらでも功を奏しているようだ。まぁ、基本の文法はそう変わりがないだろうし、いくら新しい単語が生まれていたとしても、根本は同じだろうから履修も早いんだろうな。

 目を輝かせて頁をめくる姿を見て、俺は可笑しくなった。

 ビオラの場合、貪欲なほど学びたい気持ちが強いのも、驚異的な学習速度に繋がっているのかもな。


「絵もたくさん描いてあるの」

「子ども達に歴史を学ばせるものだからな」

「ふむ。そう言うことか」


 頷いて頁をめくるビオラは首を傾げた。


「ここには、嘘も書いてあるんじゃの」

「……魔法が廃れた理由のことか?」

「そうじゃ。敵国に持ち出されぬよう、師匠が危険な魔術を隠すために色々と封印したのじゃ。敵国が一丸となって妾たちを封じた訳ではない」


 これでは真逆だと言って、唇を尖らせるビオラは頁をめくった。その様子を見ながら、ポットのハーブティーをカップに注いだ俺はため息を零す。

 俺自身、そう習っていたからな。


「俺の師匠が言っていたことだけどな」

「アドルフがか?」

「あぁ。この世界は魔法によって繁栄を極めていた。だけど、ある日突然、その多くを失った」


 残されたのは、本当に些細な魔法だったそうだ。生きるには過不足はないが、便利なものは失われた。

 昼夜問わずに煌々とたかれる明かりも、空飛ぶ馬車も、敵から身を守る見えない壁も、何もかもがなくなった。


「便利なものがなくなったんだ。不満は募るだろう? だから、それを向ける悪者が必要だったんだろうってな」

「……ネヴィルネーダを悪者にした、ということか」

「なにせ、ネヴィルネーダの記録は全く見つからないからな。マージョリー・ノエルテンペストなんて名前も、歴史にはない。暴食の魔女の名も知られていない。栄えた大国が滅んだことに責任を問われた国々が、責任を押し付けたっておかしくはないだろう」

「……死人に口なしということか」


 ビオラの頁をめくる指が止まった。

 当事者としては、腹立たしいだろうな。だけど、この先、血からを取り戻したとしても、ビオラがこの世界で生きることに変わりはない。

 どんなに濃くでも、この時代に信じられている真実は頭にいれておく必要がある。

 

「事実は一つだが、真実って言うのは見る者、伝える者の解釈で変わる。そう、師匠は言っていた」

「……真実、とな?」

「そこに書いてあるのは、現代の人間が伝え聞いてきたことから導いた真実かもしれない。けどな」


 一度言葉を切り、俺はマージョリーの手記を取り出す。


「ビオラ、俺たちは城でマージョリーの言葉を聞いた。それが真実だろ」


 小さな指が、手記に触れる。

 頷いたビオラは頬を伝って涙を乱暴に拭うと、再び教本を捲った。


「世の真実が違うのであれば、迂闊うかつなことを喋らぬよう、今の歴史も学ばねばならぬの!」

「そういうことだ。それに、世の中に残った魔法が少なくなったのは、悪いことばかりじゃない」


 魔力を動力として動かす機械、魔法工学の発展は目覚ましいものがあった。他にも、医学や薬学なんて分野でも、魔法の力は活かされている。

 ビオラが好きなバイクやトラック、乗りたがってる列車だってその発展の恩恵だ。


「少ない魔法を廃れさせてはいけない。そう考えた多くは、青の魔術師だったんだとよ」

「そうなのか!?」

「小さな魔力しか持たないからこそ、工夫が上手かったんだろうな」


 その工夫って言うのが、正しくなければエイミーのようなことが起きるのだが。


「エイミーも、青の魔女じゃの」


 どうやら、同じ人物を思い出していたらしいビオラは、窓の方に視線を投げた。

 その向こうには鮮やかな夏空が広がっている。


「元気でやっておるかの?」

「師匠が一緒だ。問題ないっだろう」


 そのうち、ひょっこり二人で帰ってくるだろう。そう言って笑い合うと、店の呼び鈴が鳴った。

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