12-10 ビオラの種

 夏と言えど、早朝は涼やかな風が吹き抜ける。

 朝食を終えたビオラはスケッチブックと筆記用具が入ったカバンを持ち、シルバを従えて、すぐ傍にある森へと向かった。

 すっかり、植物のスケッチが気に入ったようで毎日、早起きをして森に向かっている。


 お世辞にも上手いとは言えない絵だったが、頑張っていることは伝わってきた。

 半年もすればいくらかマシな絵になるだろう。


 キッチンを片付け、洗濯物を干し、あらかた家事を済ませた俺が外に出る頃には、随分と気温も上がり始めていた。

 さて今日はどの辺りで絵をスケッチをしているのか。

 森の中に足を踏み入れると、鬱蒼うっそうと茂った木々のおかげもあり、日の当たる場所と比べたらその心地よさは雲泥の差だった。

 

 しばらく歩いていくと、麦わら帽子をかぶった頭が見えてきた。


「ビオラ、出来はどうだ?」

「ラス! うむ、会心の出来じゃ!」


 自信満々に見せられた植物は青い花が特徴的な蛍草のようだった。


「まぁ、悪くはないが、それ、魔法薬には使わないやつだな」

「なんと……たくさん生えておるし、お茶にしたら綺麗だと思ったんじゃがの」

「お茶として飲む地域もあるって聞いたこともあるけどな」

「なら、飲んでみたいのじゃ!」

「却下だ」


 目をキラキラと輝かせていたビオラは、すぐに頬をふくらませて不満顔になった。

 確かな情報もなしに、野草を口にするのは危険だからな。俺は、自分で調べて確認の取れた植物しか、魔法薬には使わないことにしている。当然、よく淹れているハーブティーもだ。

 

「それより、ビオラ」

「何じゃ!」


 あからさまに話題を変えると、筆記用具をガチャガチャと片付けていたビオラの不機嫌な声が森に響き渡った。

 シルバが困ったと言うように俺を見てきた。


「今日は町に用があるんだが、一緒に行くか? 花屋に行きたいって言ってただろう」


 別にビオラの機嫌をとるための誘いではない。今日は、元から町の店に頼まれていた魔法道具のメンテナンスに行く予定だったからな。

 顔を上げたビオラは大きな瞳を輝かせて「今すぐ行くのじゃ!」と張り切りだした。

 シルバと顔を見合わせ、胸を撫で下ろした俺は、走り出したビオラを追って来た道を戻ることになった。


 ***


 仕事が片付き、夕方に訪れた花屋は閉店の準備を始めていた。


「待つのじゃ!」

「おや? 君は確か、新装開店の日に花束を買ってくれた──」

「ビオラじゃ! 今日は花の種を買いに来たのじゃ」


 軒先に出していた鉢を抱えていた若い店員は驚いた顔をすると、俺に気づいて、いらっしゃいませと言ってきた。


「ビオラの種ですか?」

「妾の種ではない。花の種じゃ!」

「……え?」

「あー、ややこしくてすみません。こいつの名前がビオラなんです」


 頭を下げると、店員は勘違いをしたのは自分だからと慌てて謝ってきた。そんな男二人の会話など気にもしないビオラは、種の入った袋を眺めながら、今にも鼻歌を奏でそうなご機嫌さだ。


「夏に撒ける種はどれかの?」

「そうだね。コスモス、ストック、ペチュニア……」


 花の絵が描かれた袋をいくつか取る店員に、キラキラした眼差しを向けてうんうんと頷くビオラは、それらを次々に受け取った。

 おいおい、まさか全部植えるとか言い出さないだろうな。


「あぁ、それと、これ」


 にこっと笑った店員が差し出した袋には、愛らしい紫とオレンジ色の花が描かれていた。


「これは何という花じゃ?」

「ビオラだよ。お嬢ちゃんと同じ名前だね」

「妾と同じじゃと!?」

「この時期に植えて、いつ咲くんですか?」

 

 目の輝きが増したビオラは、その頬を少し赤く染めた。その様子を微笑ましく見た店員は、他の種をしまいながら質問に答えてくれた。


「秋には咲きますよ。ビオラと言うと春咲きを思い浮かべるでしょ? でも、夏に撒くと秋ごろに一番花が咲くんですよ」

「ラス! これが良いのじゃ!」

「本音を言うと、もう少し涼しくなった方がおススメですが」

「早く帰って植えるのじゃ!」

「どうやら、待てなさそうですね」


 店員は、会計のカウンターを叩いて訴えるビオラを見て、必死に笑いを堪えていた。


「他に入用のものはないですか?」

「花用の肥料とプランターも買っていくか。ビオラ、そこから好きなものを選べ」

「可愛いのが良いのじゃ!」


 プランターに可愛いも何もあったもんじゃないだろう。

 そう思いながら、店員に必要なものを見繕ってもらいながら、思わず苦笑してしまった。


「苗を植えられた方が確実なんですけどね」

「だろうな。園芸は詳しくないが、ハーブも種から栽培をするのが難しいからな」

「ハーブを育てられているんですか!」

「これでも、魔術師でね。魔法薬を作るためだ」

「そうでしたか。では今回、お花を育てられるのは、お嬢様のご希望ですか?」

「……まぁ、それもあるが」


 どう伝えたらいいものかと言葉を濁していると、ビオラはこれが良いと言って白くて丸いプランターを指さした。


「あいつの……の遺言でな。花を咲かせろって」

「妾が綺麗な花を咲かせるのじゃ!」


 自信満々のビオラを見た店員は、何か言い出しにくそうに、一度開きかけた口を閉ざした。だけど、やはり黙っていられなかったようで、おずおずと言い出した。

 

「……あ、あの、それって……人生を豊かにして欲しいって意味ではないでしょうか?」


 その解釈は、俺の頭になかった。

 ビオラも、全く想像していなかったのだろう。言葉の意味を理解できずにきょとんとしていた。

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