12-9 分からないことは学べば良い

 夕食の片づけを済ませ、自室の本棚の前で書籍を眺めていると、ドアを叩く音が遠慮気味に響いた。

 同時に、一冊の本が俺の目に留まる。


「入って良いぞ」

「聞きたいことがあるのじゃが、良いかの?」


 開いたドアの向こうから、ひょこっと顔を出したビオラは訪ねると、つぶらな瞳をまばたかせた。


「調べ事でもしておったのかの?」

「まぁ、そんなとこだが」

「邪魔しては悪いの。また明日に──」

「構わねぇよ。俺も、聞きたいことがあるからな」


 手にした本を使い古した机に置いた俺が、椅子に腰を下ろすと、ビオラは安堵した様子で部屋に入ってきた。


「マージョリーの手記、読めたかの?」

「あれは古文書を読むようなもんだ。まだ時間がかかるな」


 想定はしていたが、やはり、その話題だったか。

 机の引き出しにかけている魔法の鍵を外し、中から出したのは、廃城から持ち帰ったマージョリーの手記だ。

 表紙を開くと、赤い文字が輝きながら浮かび上がった。どうやらこれは、ビオラとその契約者が開くことで反応し、文字が浮かび上がる仕組みになっているらしい。


「お前とは普通に会話が成立しているから失念していたが……この文字は立派に古語だな」

「やはり、そうじゃったか」


 机の横にある木箱を、椅子代わりにして座ったビオラは小さく息をついた。


「気づいてたか」

「そりゃそうじゃ。わらわも、今の時代の文字を読むと知らない言葉に出くわすからの」

「会話が成立しているだけ、ありがたいってことか」

「ふむ。そこでじゃ、ラス」


 改まったように姿勢を正したビオラは、俺を真っすぐに見てきた。


「魔法薬を学ぶ前に、妾に今の時代についてと、その……言葉を教えてたもれ」

「言葉?」

「そうじゃ。今の時代の文書を上手く読み書き出来れば、もっとラスの手助けになるじゃろ?」

「そう言われればそうだが……俺は教育者じゃないからな。そう言うのは無理だ」


 きっぱりと告げると、ビオラは相当ショックだったようで、眉間にしわを寄せて不満そうな顔になった。

 何でもかんでも叶えられるほど、俺は有能じゃないからな。そもそも、人に教えるとか苦手だから、弟子を取るってのも断っているくらいだ。


「そんな顔するなよ。俺が教えるより、適任なヤツがいる」

「適任とな?」

「リアナだ。まだ学生だけどな。教育者を目指しているから、喜んで教えてくれると思うぞ」

「……リアナは勉強が出来ないと言ってなかったかの?」


 訝しむビオラは、おそらく一か月前のことを思い出しているのだろう。一緒に行きたいとさめざめ泣いていたリアナが、ともに迎えなかった理由が勉強だったということを。


「リアナは、勉学が出来ないから定期テストとやらに、真面目に取り組まないとならぬと、言っていたではないか」

「まぁ、そうなんだけどな。勉学って言っても科目は様々だ。ビオラが学びたい語学の他に、歴史や地理、数学、科学、魔法基礎──」


 科目名を上げていくと、ビオラは首を傾げた。

 五百年前に学校があったかも怪しいからな。ビオラ自身、幼い頃からマージョリーに育てられ、そこで魔法や政治について学んでいたようだし、時代的に学べる人間って言うのも少なかったのかもしれない。


 ま俺も学校には十二歳までしか行っていないし、魔術に関するほとんどのことは師匠に習ったんだけどな。


「とりあえず、科目ってのは数が多い。得手不得手があるのは仕方ないんだ。そして、リアナは語学と文学に強い」

「ふむ、分かったのじゃ。リアナであれば、ラスでは知らぬことも答えてくれそうだしの」

「俺が知らないこと?」

「気にするでない。リアナであれば、気も楽じゃ! 明日、さっそく尋ねようぞ」


 俺には分からないが、リアナなら分かることってのが気になるが、どうやら話す気はないようだ。

 ビオラはにこりと笑うと「それでじゃ」と話をそらした。


「ラスの聞きたいこととは何じゃ?」

「あぁ、そうだった。聞きたいというか──」


 机の上に置いた本を掴み、それをビオラに差し出した。


「これは何じゃ?」

「魔法薬に使うハーブの図鑑だ」

「なんと!」

 

 喜んでそれを手にしたビオラは表紙を開くと感嘆の声を上げた。


「全部、俺の手書きだけどな」

「この絵もラスが描いたのかの?」

「魔法薬を学ぶ前、ハーブを模写して覚えろって師匠に言われてな」


 十二歳の頃だったか。

 店のすぐ前にある森で、毎日一つ、植物を選んでスケッチをするという課題を出された。さらにその植物が何であるか調べて、自分の図鑑を作るというのが最終目的だった。当然、下手な絵ではどれが何だよく分からず、やり直しになった。


「スケッチした植物がハーブじゃないなんてこともあったな」

「なかなか面倒なことをしていたのじゃの」

「半年も続ければだいぶマシな絵が描けるようになるもんだ。で、それが師匠に合格を言い渡された図鑑だ」


 出来上がる頃には、すっかり頭にハーブの知識は刻まれていた。それが師匠の本当の目的だったと知ったときは、してやられたと思ったな。


「愛着があるからな。たまに見返したりもするし、忘れることはない」

「なるほど。やはり、アドルフは面白いの」

「でだ。お前も同じように、やってみないか?」


 魔法薬を学ぶ上で、ハーブの知識は欠かせない。

 俺の提案に、一瞬きょとんとしたビオラは図鑑をちらっと見ると、満面の笑みになって「面白そうじゃの!」と言った。

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