12-8 「忘れたのか。妾が魔女じゃということを」
だいぶ日が傾いたといっても、まだ店の外は暑い。
俺は壁に寄り掛かりながら、エッダを見送った。彼女に背負われたトマスは、解毒剤と鎮痛剤が効いたようで、穏やかな寝息を立てていた。
頭痛の原因は分からないが、ひとまず落ち着いてよかった。明日、ちゃんと医者に連れていってくれれば良いんだが。
何度か振り返っては頭を下げる姿が遠ざかり、俺は無意識に、ほっと息をついていた。
「大変だったの」
声をかけてきたビオラの赤い瞳が、傾いた陽射しを受けて輝いた。
「助かった。色々走らせちまったな」
「気にするでない。
機嫌の良さそうなビオラは店に入ると、散らかった毛布を畳み始めた。
「今日は店じまいだな」
「では、立て看板を中に入れてくるの!」
「大丈夫か? 結構、重いぞ」
「忘れたのか。妾が魔女じゃということを」
自信満々に胸を張ったビオラは外に出ると、ややあって、看板を宙に浮かせて戻ってきた。
魔法で引力を操作したのか。それなら、それほどの魔力も使わず楽に物を移動できそうだな。
俺がポットとカップを片付けていると、すぐ傍に寄ってきたビオラはにんまりと笑う。
「どうじゃ。妾もちゃんと働けるであろう?」
「まぁ、そうだな……おい、もしかして店を手伝う気か?」
「そうじゃ。気づくのが遅いの」
「……お前は、マージョリーの手記を解読しなきゃいけないだろう?」
「それは、客が来ない時にやればよかろう? それに、解読はラスもせるじゃろ!」
小さな唇を突き出すようにして、不満そうな顔をしたビオラは俺を睨みつけた。
確かに、マージョリーはビオラが魔術師と契約を結ぶと想定して、封印を作った可能性が高い。
マージョリーの手記にあった紋様は、俺の指に施された契約の印に反応した。あれを見つけさせるためだけなら、もっと他に手段があっただろう。そう考えると、契約者たる俺の出番は、他にも用意されているって考えるのが自然だ。
指に刻まれたビオラとの契約の印を見つめ、俺は諦めに近いため息を零した。
「しばらく謹慎の身で、マーラモードは出られないしな」
「そうじゃ。本ばかり読むのも退屈じゃ。それに……」
毛布をシルバの背に置いたビオラは、自宅に通じるドアを開けると俺を見上げてきた。
「それに、何だ?」
「妾は、
そう言い切ると、シルバと一緒にさっさとドアの向こうへと歩き出した。
「穀潰し……?」
突然、何を言い出すのやら。
自宅に戻りながら考え、ふと、マイヤーたちと別れた日を思い出した。
そう言えば、あの時、レムスだけでも残れば良かったと言い出したビオラに、俺が穀潰しはいらないとか言ったような気もするな。
意外だな。気にしていたのか。
五百年前も、マージョリーの手伝いをして生活をしていたようだし、人を手伝うことがビオラにとっては自然体なのかもしれないな。とは言え、俺の弟子でもないのに手伝わせるのも、いささか抵抗があるんだよな。
キッチンでポットを洗いながら考えていると、横に立つビオラが再び声をかけてきた。
「何かやることはないかの?」
「まぁ、手伝ってくれるのは助かるが……お前は俺の弟子でも小間使いでもないから、タダ働きってのも変だろう?」
「寝食の面倒を見てもらってるのじゃ。十分、手伝う理由になるであろう?」
「そうだが……それは家事だけで十分だ」
濡れた手をタオルで拭き、ビオラの頭を軽く叩くと、形の良い眉が
この話はなかったことにしようと言いかけた時だ。
引き下がることをしらないらしいビオラは、語気を強めて「それに!」と言った。
「今日、ラスが魔法薬とやらを作るのを、面白く思うてな」
「魔法薬?」
「うむ。五百年前にはなかったからの」
「……それを、学びたいってことか?」
「そうじゃ! 妾は花を咲かせなければならないからの。植物を知る必要もあるじゃろ?」
「そう……なのか?」
「五百年前とは違うことが多いからの。妾は、知りたいのじゃ!」
俺のシャツを掴んで見上げるビオラは、真剣な表情で見つめてくる。
俺が
そもそも、五百年前の方が魔術の技術は高かったはずだ。
強大な魔術が失われた後、人々は魔力を一つのエネルギーとして扱い、凡庸性のある魔術を機械に組み込むことで、世の中を便利にしてきた。魔法薬もその一つに過ぎない。
マージョリーは、どこまで五百年後を描けていたのか。ビオラに未来で魔術を学ばせようと考えていたのか。
「ラス、妾に教えてたもれ!」
「……まぁ、仕事のついでになら良いけどな」
「本当かの!?」
つぶらな瞳がさらに見開かれた。その表情は、まるで花がぱっと開いたようだ。
「ラス、約束じゃぞ!」
嬉しそうにはしゃぐ姿を見たら、ぐだぐだと考えていたことが頭からすっぽり抜けた。
気付けば、無邪気なビオラの笑顔に釣られ、俺も笑っていた。
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